64.ヴィヒル蜜煮が評価対象に?
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その後もたびたび、“金色のひまわり亭”で働く面々の間では、この≪ももの実賞≫が話題にのぼった。
「こないだ来た、≪季刊・料理の道≫の中でも、大きく取り上げられていたのを読みました! なんだか、影響力が大っきそうですよね~! ももの実三つ取っちゃったら、イリー都市国家群のいたるところから、お客さんが来て下さるかもしれませんッ」
地図は読めなくても、料理本と業界専門誌は熟読するアンリである。今日も興奮して頬をぎらぎらてからせながら、にんにくの皮をむいている。
「うむ。何と言っても、ガーティンローのキノピーノ書店主催だからな! それこそあの金持ち国の食い道楽が、ごっそり列をなして来てくれるかもしれん。想像するだけでうはうはだ」
アンリの脇、食卓上ではっかの葉をすりこぎでごりごりと潰しながら、ナイアルも相槌を打った。
そこで、ふっとアンリは思い当たる。ガーティンローに移転した、兄とその店“麗しの黒百合亭”のことを……。
――当然、兄さんもモモノミー賞のことを聞き及んでいるに違いない。ティエリ兄さんは、この賞のことをどう思うだろうか……? 俺にそんな外部評価は要らん、と鼻で笑うか。あるいは本気で、ももの実三つを狙ってくるか……!
「……大丈夫?」
ひくく若い声にそうっと言われて、アンリはうつむけていた顔を上げた。
「アンリさん、お顔が何だか苦しそう」
今日は習字のお稽古日、ミオナが来ていてナイアルのすり鉢を支えている。
「あはっ。何でもないよ、ミオナちゃん! 料理のこととなると、どうにも深く考え込んでしまうのさ!」
毛筆描きのようだった雄々しい輪郭を、たちまち焼きたて調に戻して、料理人は少女に笑いかける。話題もちょっと変えることにした。
「ガーティンローと言えば、ナイアルさん! デリアドに行った時に名刺をいただいた、ぷよ騎士さん。無事に帰って、お元気ですかね~?」
「お、そうだったな。そろそろ、軽ーく挨拶のたよりでも出してみるか……。名刺はそこに、貼りとめたまんまだっけ」
ナイアルの視線を追って、ミオナは連絡事項や暦などの小布片がびっしりと鋲で留められた、壁上板の隅を見やる。
「……ベッカ・ナ・フリガン、さん? 騎士のひとに会ったの?」
「ああ、文官さんだ。いかにも市職員、つう字だよな」
でもって優しくてまじめな人の字だ、と少女は思う。思ってから、再びアンリを見た。
「……あのね。その、ももの実賞の審査員だって言う人が、こないだうちのお店に来てたの」
「えっっ!?」
「“ヴィヒル蜜煮”にか!?」
アンリとナイアルは、思わず声を出して驚いた。
「うん。男の人と女の人と、二人で来てて、お父ちゃんと話して……。改めて審査に来るから、ご家族みなさんでその日待っててくれますか、ってお願いされたの」
「へぇ~!! まあ、ヴィヒルさんの蜜煮なら当然、って気がしますけどね! さっそく審査してまわってるんだ~!」
感心して、アンリは屈託なく言った。
「あともう一カ所、“フォレン食堂”のおじさんも、同じことを言われたらしいの」
今度は、首をかしげる料理人である。
「えっと……? 集会所の隣にある、“野ばら煮物”ではなくて?」
ミオナはふるふる、と首を横に振った。
少女の住むフォレン村に昔からある大きな料理屋は選ばれなくて、アンリの良く知らない別の店だけが審査員の目に留まった、と言うことなのだろうか。料理人は少々不思議に思った。
「すげえじゃねぇかよ。で、審査員さま達はいつ来るんだ?」
フォレン村の事情をそこまで知らないナイアルは、明るくミオナに問いかけている。
「あさってのお昼頃、って言ってた」
「ふーむ……」
ぎょろ目をくるりと回し、副店長は何ごとかを企んでいる。にやーり!
「ようし、アンリ。あさっては作り置きできる鍋とつぶし汁を用意して、俺らはフォレン村へ視察と行こうじゃねぇか。競争相手がどういう料理を出してんのか、審査員の後ろでこっそりがっつり分析しながら、食わしていただこうぜ」
てかーり! アンリも頬を光らせて、答える。
「くくくッ、それ視察じゃなくって偵察じゃないですかー、ナイアルさんてばぁ」
「そのあと、うちにも寄ってくれるよね?」
「おう、行くよ。ついでに蜜煮の壺も、もらって行こう」
ミオナが頬をまるくして、笑った。
――あらー、俺のてかりがうつって、ミオナちゃんが焼きたてに……?
興奮のあまり、料理人は知らず知らずのうちに両のこぶしを握りしめていた。その中には皮をむいてうつくしき白き裸となった、にんにく片が……。
強烈な手のひら臭になること請け合いである、気づく頃にはもう遅い。




