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62.潮汁とあら汁は別ものではありますが

 

・ ・ ・ ・ ・


「アンリさん! お庭のあさつきを取って、洗ってきたよー」


「このくらいで足りるのかしら?」



 ケリーと女将のエリンとが、厨房裏口の扉から聞いてよこす。



「ええ、十分ですね! ばっちりですよ」



 大鍋の前に立って、頬をぺかぺかとてからしつつ、アンリは答えた。


 きれいに洗って下処理をした、かさごをぐつぐつ煮ているところである。そろそろ潮の匂いが抜けて、まろやかに食欲をそそる香りが一帯に漂い始めた。



 ぱき、ぱりっ。


 ビセンテは食卓の角に陣取り、アンリがかさごの前に下茹でをして開いた、ふえ貝の殻をむいている。



「量があるから……、けっこう大変なのですね……」



 ビセンテの左横で、リフィも殻を取っている。二人の前には、ふえ貝がこんもり盛られた鉢がどかんと、四つも鎮座していた。



「殻ごと全部入れると、鍋の中でかさばっちゃうんです。これだと四分の一くらいかな……、一部残してあとはむき身にしておつゆに戻すのです。その方が見栄えもいいでしょ?」


「確かに。なるほど」



 保母騎士は、どや顔の料理人に向かって素直にうなづいた。



「あ~、やべぇ。まだ昼間一刻以上もあるってのに、もう腹減ってきたぞ」



 客間で卓子の上の手巾を整えつつ、ナイアルがぼやいた。



「この匂いはたまらん」


「あんた、お粥しっかり食べてんのにねぇ。ま、うちは朝が早いから仕方がない」



 おんなし顔した母が、客間の隅に置かれた小卓上のひまわり花瓶を持ち上げる。



「……にしても、やたら長持ちするひまわりだね? 確かに水吸ってんだから、造花でなし……。どうなってるんだろう」



 首をひねりながらも、とにかく水を替えに花瓶を抱えてゆく。廊下を通り過ぎる際、ナイアル母は踊り場の方を見上げた。



「そうだ、今日はまだ大将の顔を見ていなかったよ。まさか、まだ寝てんのかね? おーい、店長ぉぉぉー?」



「ふーむ…うーん…」



 硬い殻をこじ開けようと苦戦している保母騎士の手から、ビセンテはひょいとふえ貝を取り上げた。



「あ。あのー……??」



 代わりに難なくこじ開けて、ついでにビセンテはリフィの右手を指でつまんだ。


 小さいがぎゅうと引き締まった手のひら、関節のところが少し節くれだっている指。おもて、裏とこねくり返して検分し、次いで左手の方も見た。


 ひとことも人語を話さぬ獣人にいきなり手をつままれて、リフィはぽかんとするしかない。


 しかし次の瞬間、獣人はふいと騎士の手を放した。何事もなかったかのような態度で、目の前の大鉢からあらたにふえ貝をつかみ、再びぱきぽきこじ開けては、むき身を作ってゆく。



「あのう、わたしの手が……なにか?」



 そうっと聞いてきたリフィにぶっちょう横面だけを見せて、ビセンテは黙々貝を割る。


 流れ落ちたままの長髪、その毛先が喜んで跳ねているのだが、そのへん見慣れていないリフィには全くわかっていなかった。



「あとで、あぶら」


「……???」



 保母騎士の手がささくれだっていなかったから、獣人は安心していた。


 それでも念のため、後で扁桃油をすりこんでやろうと思っている。


 彼はいま、機嫌が良かった。左脇の女性騎士から流れてくる、石けんとめし一般の入り混じったまろやかな匂いを、ビセンテは気に入っていた。



「さあ~、そろそろ仕上げましょうかねー! ビセンテさん、リフィさん、できてる分だけのふえ貝を、お味見に入れましょう~! おひいさまとケリーちゃんは、あさつきを刻んでくださーい」



 かさごの身が白くほろりとほどけかけているのを確認して、アンリが朗らかに声を上げる。



「しみじみほっこり、アンリのうしお汁ですよー!!」



 うしお汁。あら汁。


 名前が違っても、ぎゅうっと海のうまみの濃い汁は、獣人ビセンテにとって懐かしきしあわせの味である。




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