59.魚屋むかしばなし
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六つの時に母とテルポシエに住み始めたビセンテは、町の中ではあんまりうまくいっていなかった。
“てならい”に行くのは嫌ではなかったが、他の子どもがうるさくって仕方がない。田舎ものとからかわれ、かたおやと蔑まれるのが、まったく理不尽だった。
彼にとっての普通が、他の子どもの普通でないこと。それの一体、何がいけないのだろう?
母には何度も、他の人を傷つけてはいけませんと言われていた。だから、彼は腰掛を叩き壊した。どれだけ自分が不快感に耐えているのかを、周りのうるさい町の子達に知って欲しくて、壊したのである。
その後は、誰も彼に寄りつかなくなった。教師も彼に取り合わなくなった。
ビセンテは別にそれでよかった。文字を習うだけ習って、彼は汚い家に帰る。
他のうるさいものを見たり聞いたりしたくなかったから、彼は屋根に登って夜が降り、やがて母が帰ってくるのを待っていた。
ほんとは大きな樹に登りたかったが、町の中に森はない。あまりひとところにいては、うるさい誰かに見とがめられるかもしれないと思い、ビセンテは西区じゅうの屋根を渡り歩いていた。
ある時、ある一画の屋根で、ビセンテは“おもしろい”匂いがするのに気づいた。潮なまぐさい、魚のにおいである。けれど港の匂いともちがう。それは何匹…何十匹ものさかなを凝り固めたような、濃いにおいだった。
ビセンテも母も森の合間の村育ちだったから、海の魚はあまり知らない。未知のかおりに純然たる興味をおぼえて、ビセンテ少年はそろそろっと匂いの源へと近寄って行った。
屋根の端っこまで来た時、たまたま台所裏口から出て来た人に気づかれる。
しまった!と思った瞬間、見上げてくる婆さんの目が、きらきらっと輝いた。
「いよう、でっかい猫にゃん」
面白い匂いは、その婆さんのあたりから、もわもわとほとばしり出ている。
「腹へってないかえ? 降りといでよ」
婆さんちは、魚屋であった。
ここでは日暮れとともに店を閉め、売れ残りやあらを使って汁を煮る。
「こんな寒い、雨降ってる夕方に、屋根歩いてるやつがあるか。あほう」
早寝に備えて、早い夕めしを食おうというところだったらしい。ビセンテは気がついたら、じいさんのでっかい手巾でそこらじゅうを拭かれていた。さらに食卓に座らされ、例の匂いの根源らしきものがなみなみ入った鉢をもらった。
じいさん婆さんは、ビセンテがついていけない早口町言葉でずんずんばりばりしゃべくっている。さっぱりわけがわからなかったが、婆さんがさじを押し付けてきたので、とにかく匂いのもとを食べてみることにした。
「おっ、食ったぞ。どうだ? うめえかよ、小僧」
「今日はかさごが多いんだからさ、ようく噛みな。ようーく」
なんにも言えなかった。ビセンテは最後まで、ひたすら口中のあらを噛みまくっては汁をすすった。あんまりうまかったから混乱して、さらにぶっちょう面になった。
「ごちそう」
ようやく、それだけ言うことができた。さまでした、が続かない。
「そうかよ。気に入ったんなら、また食いに来やがれ」
「そうだそうだ。来て、じいちゃんを手伝いな」
じいさんはぶっきらぼうに言い、婆さんは肥った体をゆらして笑った。
その日から、ビセンテは“魚屋”のじじいとばばあの元へ、足繁く通った。
店の裏側で、魚屋ばばあが貝をむき身にするのを見ておぼえ、手伝う。
ぶっきらぼうな言葉遣いの魚屋じじいが、すいすい三枚おろしや切り身をこしらえていくところを、じーっと見ていた。
毎日毎日、店の中には知らないさかなや貝が山のようにやってきて、とても名前をおぼえきれない。別に気にしない様子で、魚屋ばばあは何度もその名前をビセンテに教え続ける。手習いで覚えにくい文字とつづりは、こうして食い物の名を通してようやく身についた。
夕方のかき入れ時の前、ばばあは汁を煮始める。まず、ためておいたその日のあらを煮て、店じまいの後に売れ残った魚を入れてしめる。
裏庭に生えているういきょう茎だの何だのをむしって散らして、薬味とする。そうして、毎日なかみの違うあら汁を三人で食べて、ビセンテは暗い家に帰るのだった。
「こんなにあっちゃ食い切れねぇぞ、あんちくしょう」
小鍋になみなみ分けてもらって、家に持って帰ることもしょっちゅうだった。それが夜遅く帰ってくる母との、二度目の夕食になる。
お礼に来た母をみて、じじいとばばあは嬉しそうだった。
「丁稚だよ。欲しかった丁稚が、ういきょう背負って屋根から降って来た」
「てやんでぇ。小骨始末にちょうどいいな」
こうして、テルポシエ市内でも随一の治安の悪さを誇る西区貧民街において、ビセンテは周囲の不良くささにも染まらず、奇跡的に獣人のまま成長したのである。
ちなみに魚屋への行き帰りは、鍋を持っていようがいなかろうが、いつもの彼の通り道……屋根づたいに歩いて行った。




