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55.“紅てがら”のミオナ

 


 お習字教室の後、ミオナは“べにてがら”で母が迎えに来るのを待つ。乾物屋のかき入れ時は昼前と夕方だ。店じゅうが忙しくなる時は、この台所の食卓で書き取り練習をして過ごす。ひまわり亭から早く帰ったナイアルの母が、一家の夕食をこしらえるのを手伝うこともあった。


 今みたいにお客の入りがあまりない午後は、ナイアルとマリエルを手伝って店の品物整理や、在庫確認をさせてもらえることもある。


 “紅てがら”は、どでかい構えの店ではない。けれど棚と言う棚に、こまごまとした品が目いっぱいに詰まっているから、常に店内補充に目を光らせておく必要があった。梯子はしごを使わないと届かない、天井近くの棚にも無数の壺が並べられているが、ほこりをかぶっているのは一つもなかった。どの品も、頻繁に売れるのである。


 さら布にくるんで包む他、容器を持参する客には量り売りもする。二台あるはかりは最新式のだが、どうしたって扱いはむずかしかった。



「蜜煮屋は、売るときゃ壺単位だけどね。くだもの持ち込む人の買取査定に、手間かけるわけに行かないよ」



 言いながらマリエルは、勘定台でミオナに秤の練習をさせてくれる。



「今は、お父ちゃんが一人で量ってんのか?」



 最高級品の黒いとげとげ、干しなまこを丁重に扱いながら、ナイアルが聞いてくる。



「うん。そいでお父ちゃんの言うお代を、わたしと弟のヴィヒルが言うの」



 たいていの蜜煮屋は、みずから材料まで調達することはあまりない。近隣農家が持ち込んでくる果実を、大量に買い取って煮るのだ。また山森で採った野生の黒苺や丸すぐりを持ち込む人もいれば、庭のあんずや黄梅の実を籠に詰めてくる村人もいる。


 ミオナの父、大ヴィヒル(息子の名前も同じだから、こう区別して呼ぶことにしよう)は熟練の職人だが、生まれつき話すことができない。常人に聞こえない父の声は、子ども達あるいは妻のアランが代弁するしかなかった。


 フォレン村に越してから、ミオナはずっと小さな店の手伝いばかりしている。


 器用な父は、今でこそひょいひょい手軽に秤を扱っているけれど、その父が蜜煮の鍋に集中できるよう、自分が客あしらいを全て受けもつようにならなければいけない、ということはわかっていた。


 だから“紅てがら”での時間は、これもお習字に引き続いての学びの時間なのである。


 知らない人や、ちょっとしかなじみのない人と話すのは、ミオナはかなり苦手だった。寒いね暑いねと気軽に話をふってくる村のおばさん達に、どう答えていけばいいのか、まだわからずにいる。



「ああ、そうだ……。贈物用ののし・・書きしなくちゃいけなかった。ナイアル、ここちっと頼んでいいかえ? 奥で書いてくるから」


「何だ、俺が書こか?」


「いやー、三丁目のへんくつ婆さんのだから。あたしがやるよ」



 マリエルは台所へ引っ込む。静かな店内に束の間、ミオナが秤の分銅を動かすくぐもった音と、ナイアルが空の木箱を重ね置く音だけが響く。



 その時ふいに扉が開いて、すばやく入って来た人がいた。


 勘定台の内側にいたミオナと、ひっつめ白髪の大柄なおばさんの視線がぶつかる。



「……いらっしゃい、ませ」



 ミオナはとっさに、かすれ声でそう言った。対するおばさんは声を上げず、ぎゅうっと眉根を寄せて、きつい目つきを投げてくる。


 ひるんで、ミオナは震え上がった。



「いらっしゃいましー」



 ミオナの横、かがんで木箱を積み上げていたナイアルが立ち上がった。その顔を見て、おばさんはほっとしたように表情をゆるめる。



「こんにちは。香湯の材料、いくつかもらえるかえ」


「はいはい。……この箱な、裏に持ってってくれるか?」



 そっと言われて、ミオナはすぐに箱を持ち上げる。台所へと行きかけた。



「……ちょっとっ、ぼんちゃん! 何なの、あのは!?」



 勢いのある囁き声で、おばさんがナイアルにただしている。



「は、研修生でございまして」


「やめときなさいよ、東部系の子なんて! こそ泥がお店の勘定台を荒らしているのかと思って、慌てちゃったじゃないの」


「あっはっは、そこまで油断する“紅てがら”じゃあござんせんよ。さーて、香湯は何を包みますか? 奥さん」



 戸板と壁を隔てても、おばさんの話し声は全部ミオナに聞こえていた。


 廊下の真ん中、木箱を抱える手が震える。



――気にしちゃだめ。気にしちゃ、……。



 深呼吸をしても震えは止まらず、お腹に到達する。たまらず、ミオナはその場に立ちすくんでしまった。




 おばさん客が出て行った後、ミオナはそうっと店先に戻った。何ごともなかったかのように、秤の周りを布で拭いているナイアルの横に立つ。



「また秤の練習、するか」


「うん」


「……さっきの婆さんな。俺やひまわり亭の皆と違って、イリー人でないのをおっかねえと思ってる連中は多いんだ。特に年配世代だな。慣れればどうってことないから……、ま、心配すんな」


「うん……」


「しかしなー」



 ナイアルの口調が、独白よりになってゆく。



「……前掛けして店ん中にいるってのに、部外者としてしか見られんつうのはどうにもな。わけても目の悪い婆さん連だ、“紅てがら”内々の者とひと目でわかってもらうには、どうしたら……。と……」



 何となく妙な、しり切れとんぼのナイアルの言い方に、ミオナは顔を上げた。


 がらんとした店を突っ切って、扉の方をぼうっと見ているようなナイアルの顔つきがおかしい。


 次の瞬間、ナイアルはぱちんと笑顔になって、ミオナを見下ろした。



「簡単だよな! “紅てがら”すりゃいいんじゃないか、ミオナちゃんっっ」



――えっっ!?






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