53.キヴァン戦士の腹ぺこちゃん
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「うまッ」
「懐かしいなあ!」
煮上がって完成した、アンリの≪豚豆煮≫を試食したエノ軍料理長はうなづいた。やっぱり甘いが、塩豚のこくと同化した甘みである。それがもったりとやわらかい白いんげんに絡まって、実にうまい。
「大昔に、ここの騎士食堂でよく出ていたのと、そっくり同じだよ。やー、うまいね。もう俺、このままよそってもらって、昼めし食べてっていいかい?」
「だめだよ、まだ昼に半刻も早いじゃないか」
料理長にたしなめられているのは、草色外套を着た四十路の巡回騎士である。
「俺が責任もって、熱々の状態で取り分けて出すからな。本当にありがとうよ」
「いいえ。俺こそ、≪たまこ・ごごり≫の作り方教えてもらって嬉しかったです! それじゃあ、またよろしくお願いしますねー」
「お疲れさーん」
アンリは大きな籠を背負い、両手にも中型籠をさげて厨房を出る。持参した入れ物の一つに、玉子こごりを分けてもらった。一体どんな風になるのだろうか、夕方が楽しみである!
「あれッ? お鍋の兄ちゃーん」
「ややッ、これは王子さまッ」
中庭に出たところで、ふいに前方を横切る大小の影が見えた。
白金髪のぴかぴか光る少年……。エリンそっくりの、オルウェン王子である!
目の覚めるような青色短衣の裾をひるがえし、ととととッと足軽くやってくると、少年はアンリを見上げて笑った。その右頬には、今日も魔除け安全祈願の黒羽じるしが描かれている。
「なんでお城にいるの?」
「ふっふっふ、実は今日のお昼を作りに来たのですよ~! こんにちは、スカディさんっ」
王子のすぐ後ろにそびえ立つ、巨大なキヴァン女性を見上げてアンリは頬をてからした。
「こんちは、アンリちゃん! 今日もやきたてだな!」
アンリよりもずっと上背のある、長身の女性戦士である。
事情あって遠方の山岳地帯で育ったエリンの実子・オルウェンは、いまテルポシエ王となったエノ軍首領・メイン夫妻の養子となり、この城に暮らしている。オルウェンの友人としてやって来たスカディは、保母でもあり、用心棒でもあった。文字通りに一騎当千、一人で先行部隊一個なみの戦力を誇る人なのである。
「なに作ったの?」
「お豆とお肉を煮たやつです。ぜひ、食べてみてくださいねー」
「スカディも、かならず食べるぞ。お腹スイーてきた」
高ーいところにあるスカディの顔が、ぱかっと朗らかに笑う。両目じりの脇、まゆ毛両脇、口元の脇と、左右対称に入った計六つの≪ぽちぽち≫も、一緒に笑った。
一見大きめのほくろのように見えるこれは、実はキヴァン族の伝統いれずみだ。老若男女に共通する銀髪、やや濃いめの肌、筋肉質で屈強な体躯とあわせて、キヴァン特有の容貌を構成している。
しかし、イリー人とも東部民とも全く異なるその女性を前にして、アンリの胸はきゅうんとときめいた。
――ああー、腹ぺこ胃袋ちゃん! きみに俺のごはんを捧げたい、どんな感じに食いつくしてくれるのかなー!!
料理人に、容貌はどうでもよろしかった。全世界の腹ぺこ胃袋に恋をしている博恋主義者のアンリとしては、食いっぷりこそが最も重要なのだ。
後ろ髪を引かれながらも、開店準備のためひまわり亭へ帰らなければいけないアンリは、二人に手を振って城門の方へと去ってゆく……。
〔アンリちゃんのごはん、どんな風なのかな。ローナンは、食べたことがあるんだよね?〕
スカディはふと、王子に聞いてみる。二人でいる時は、基本会話はキヴァン語だ。イリー正式名のオルウェンでなく、慣れ親しんだローナンの名で呼びかける。
〔うん、あるよ。ちょっと前に、リフィと一緒にこっそり行ったんだ……うみのお母さんのお店、“金色のひまわり亭”に〕
〔何食べたの? おいしかった?〕
〔玉ねぎ卵とじ!めっちゃめっちゃ、うまかったよう!〕
〔そうー。スカディも、食べてみたいなあ〕
素直に言って、次の瞬間スカディはふいっと眉根を寄せる。
〔……いや、だめだなー。キヴァン戦士のかっこうで行ったら、たぶん他のお客が怖がる。アンリちゃんとお店に、迷惑がかかってしまう〕
スカディは自分の身体を見下ろした。消炭色のびしっとした戦衣は、墨染上衣に革鎧というお仕着せのエノ平傭兵の間でこそ目立たない。しかし城の外、一般テルポシエ市民の中に出るとなると……。
〔そろそろ、スカディもイリーの衣を着ないとだめだ……。しかし、でっかいスカディに合うのが、売ってるもんだろうか? 男もの買ってきたら、リフィが直してくれるかなあ〕
〔どうせなら、かわいいの作って着たら。そうだ、俺のうみのお母さんに相談してみる?〕
〔そうだねー、エリンさんに聞いてみよ。かわゆいイリーのおようふくを着て、かわゆいアンリちゃんのごはんを食べにゆくのだ〕
〔アンリってかわいいの?〕
王子はきょとんと首をかしげる。
薄い水色の空から落ちる夏の陽光が、大小ふたりの銀髪と白金髪とを、ちらちら輝かせていた。
おひるは、まだだろうか。




