47.さよならデリアド!また来てデリアド!
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「……ナイアルさん。一体どうしちゃったんです? お顔がいつも以上に、悲惨な感じになってるんですけどー」
「くくく……何なんだろうなぁ、柄にもなく馬車に酔ったのかもしれんな」
「えー、御者台のっかっててそりゃないでしょ? あ! ひょっとして、ゆうべのがちょう鍋がお腹にもたれたとか?」
「だな……。脂のつよいものは若いの向け、俺もとしだ……」
何となく調子のおかしい副長に首をひねりながらも、アンリは馬の手綱をひくイームを見やる。
「どうもありがとう、イームちゃんにエンダさん! 分乗と馬車とでデリアドまで送っていただいて、本当に助かりました」
「いえいえ、どういたしまして。こちらこそカーフェの分も、ありがとうございました」
一夜明けてテルポシエへの帰途につく一行を、カーフェは“さしもぐさ”集落の入り口で、タリナや他の母子らとともに見送った。道々、馬車を御すデリアド青年文官エンダの話を聞く所によれば、カーフェは首邑デリアドへは寄り付きたくないらしい。
――離婚した元旦那さんと鉢合わせしたくない、と言う気持ちはわかるけどなー。でもそれを理由に、実家から勘当されちゃっていると言うのもかわいそうだなぁ。
自分が実家からほぼ縁切りされているということをすっ飛ばし無視して、アンリは貴族カーフェの身の上を気の毒がった。エンダ青年はカーフェの母方親戚で、領地の近い東部分団に勤める文官である。祖父母から継承した“さしもぐさ”周辺の辺境地域を活用して、流入民保護活動を行うカーフェに賛同、大いに協力しているのだそうだ。
途中、マグ・イーレへあら塩仕入れ相談に向かうナイアル父を街道で下ろし、一行はデリアド市へ戻って来た。
「それじゃあ、イームちゃん。これからは時々、たよりをよこしてね? 俺もきっとまた、会いに来るよ。……そしてカーフェさんと、しあわせになっておくれ!」
「ああ。本当にありがとう、アンリちゃん……! お前の鍋は、イリーで一番だ」
がしっっ……!
夏の明るい陽光のもと、デリアド市門の手前で、いとこ二人はかたく抱き合った。
てかてかッ! ぺかぺかッ!
晴れた日である。背後にそびえる灰色市壁、その上に広がる淡い水色の空が美しい。アンリとイームのまき巻き苺金髪、焼きたて頬ぺたが最高潮にてかった。
『良かったのう』
料理人の背中にくくられた平鍋ティー・ハルが、ほっこりと呟いた。
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「……ま、良かったよな。今回の遠征、一番の目的はしっかり果たしたわけだし」
「ええ~!!」
ひと目惚れからの最速・秒失恋、その痛手でずたぼろの心を抱える副長が遠い目をしている理由なんど全く知らずに、アンリは無邪気に答えた。
今回は運よくオーラン直行便をつかまえて、どんどん遠く小さくなるデリアド港の波止場を、定期航行船の甲板から眺めている“第十三遊撃隊”である。
温かく晴れて、海上を流れる涼風が心地よい。やわらかく凪ぐ海を、中型船は絶妙の安定感をもって進んでいた。
――けっっ、てやんでぇ。ひと目惚れなんざ、気の迷いよ……。常識派にして突込み役、慎重な俺としたことが、とんでもねぇへまをやらかしたもんだ。世間知らずの貴族のお嬢ちゃんであるまいし、会ったその日に貴女が好いからよろしくねーとは、言えるこっちゃねぇのだ。しかし……残念だ……じつに、残念だ。……カーフェさん、うううッ。
副長の胸の中では、残念無念な後悔がとぐろを巻いている。
その隣、船室の外壁ぞいに置かれた長腰掛に座るビセンテは、一心にするめを噛んでいる。さらにその隣では、心配していた船酔いを免れた死神隊長が、晴れやかな顔で空を眺めていた。似合わなくてこわい。
……さすがにナイアルは、そろそろ現実に戻ろうと思う。後悔役立たず、次いこう次。そうだそうだ。
「……イームちゃんに、蜜煮おじさんへのたよりを書かせたんだろう? アンリ」
「ええ。足りないところは、俺がおじさんに詳細を補って話すつもりです。でもおじさん、イームちゃんがああして元気に生きていて……。大切に想う人と、やりがいのある仕事に打ち込んでいるってわかれば、納得して安心すると思うんですよ」
隠しから取り出した通信布を手に、アンリは微笑した。
「それにイームちゃんとカーフェさん、近いうちにフォレン村を訪ねてくれるでしょうし」
「そうだな」
俺は絶対その場に居合わせたくねぇな、と苦々しく思いつつナイアルはイームのたよりに目をやる。
「……」
そして固まった。
――……!! 何つう、きったねぇ字だ!? いや読めはするが……、宛名がッ!! 宛先住所が、とことん綴り間違いで埋まっている! “テルポシエ領”しか正確じゃねぇぞ……実家の住所を、何でここまで間違えられるんだよ!? イームちゃん!!
地図の読めない料理人のいとこは、住所の書けない蜜煮職人であった。いくら書いても、たよりが届かないわけである。
イームの強烈にまずい字を見たせいで、副長は忘れてしまった。
消えたスターファのこと、その妙な一味の妙な装備品のこと、今回の事件裏に何があるのか、常々の彼なら細かく推測をめぐらせるはずなのに。
淡青色の空の下、ナイアルはぐったり疲れて呆けていた。




