44.イームの恋人はデリアド貴族
完全に陽の落ちた中を、一行は仕方なく引き返すことにした。
「大丈夫かい、イームちゃん」
ぽくぽくぽく、常足で進むナイアル父が、隣で雌馬を駆るイームに声をかけた。
「正直、ものすごく辛いよ。おじさん」
「そらそうよな」
「必死でデリアド人になろうとしているスターファさんを、助けているんだと思ってたのに……」
さすがにイームはしょんぼりして、頬のてかりも落としていた。
――おひと好しまる出しなところは、アンリと同じだな……。利用されるだけされちまった、と言うことだ。
しかし、と二頭馬車を御すナイアルはぎょろ目を細める。
――あの女は一体、何の目的でイームの集落に潜入していたのだ? 逃亡奴隷の情報を集めて、それを探している連中に売ろうとしていたのか。いや、ちょっと待て……。それならさっき俺らがのした奴らと言うのは、北部商人の手の傭兵であるはずであって……。そうだ、探していた奴が見つからんとか言ってたな、……誰を探してたんだ……?
悶々と考えているナイアルの後ろ、馬車の中では獣人が座席にかけて、一心不乱にするめを噛んでいる。その隣席では、専門外のことに悩まない主義の料理人が、村の工房に置いてきた二つのがちょう鍋の心配をしていた。
――あーあ、もう夕食どきだ……。皆さん、片方をあたため直して食べて下さってるとよいのだけど……。
そう、夕食どきである。黒馬をひとりで駆って最後尾についてくる隊長ダンも、空腹を感じてちょっと困り始めていた。
「おっ、あれは……?」
老眼の冴えるナイアル父が、前方の人だかりをいち早く察した。
「さっき倒した奴らを、置いてきたとこじゃねえのか。デリアド騎士団が、もう来たんか? 早ぇな」
ナイアルもぎょろ目をみはった。小さな松明を手にした影が、ちらほらと蠢いている。数頭の馬を連れてきているようだった。うち一人がこちらに気づいて、手を振り声を上げる。
「おーい。止まんなさい、そこの一団」
デリアド訛りの正イリー語、やはり騎士らしい。ナイアル父とイームはその誘導に従い、ゆるやかに路傍に馬をとめた。ナイアルの馬車、ダンの黒馬がそれに倣う。
「身元をなのりなさい」
言われて前に出ようとしたナイアルの横、すいっと出て来たイームが、しゃきっとした態度で言った。
「“さしもぐさ”工房の共同責任者、イームです。さらわれた保護女性の乗った馬車を、追跡してきました」
ちょっとびっくりするくらいの変わりようである! ナイアルは内心で、イームちゃんやるじゃねぇかと思う。
「ああ、あんたかい! それで、どうだった?」
デリアド騎士は、イームと面識があるらしかった。手にした携帯式松明の灯りに、ぼんやり外套の黄土色が見てとれる。近くにある分団の騎士か、とナイアルは推測する。
「逃げられてしまいました。この先の崖から、海に跳ばれて」
「自死か!?」
「わかりません」
「そうか、……残念だが、今夜はもう捜索は無理だ。明日の朝いちで周辺を探してみよう……」
イームは騎士にうなづいて、その背後を見やる。先ほど“第十三遊撃隊”が叩きのめした男たちが手足を縄で拘束され、地べたに座っている。その脇に、松明を手にしたデリアド騎士たちが立っていた。
「この人たちは、やっぱり北部の奴隷商人ですか?」
「いや、それもまだわからん。全員生きているから、分団に連れて行って締め上げるがね……。あんたらが、やったのかい?」
騎士はイームの周り、“第十三”の面々を見まわして言った。
「そうです。わたしのいとこと、その従業員です」
――いや、違うぞッッ。
ナイアルは突っ込みたかったが、どうもイームはこのデリアド地方分団騎士に信頼を置かれているらしい。副長は何も言わず、ひょこんと頭を下げるにとどめた。
「……カーフェさん達が、分団に一報を入れてきてね。もう集落の方面にも人をまわして警戒してあるし、行っていいよ。改めて、話を聞きに行くから」
騎士は振り向いて、お縄になった男達の後方にむけて腕を振った。
デリアド分団騎士達が掲げ持つ松明の灯りの後方にかたまっていた一団が、そうっと歩み寄ってくる……。
アンリとナイアルは、その先頭に立つ一人の若いデリアド騎士を見た。
確かに黄土色の外套を着ている、しかし剣も槍もさげていない様子。青白い端正なその顔が、松明の灯りに照らされる……。
――あ~~、色白美男子のデリアド貴族!!
――イームちゃんのいい人ってのは、こいつかー!
「イームさんっ」
果たしてイームの名を呼びながら、彼は小走りに近づいて来る。
ほ、ほ~! と思いかけたナイアルのぎょろ目は、次の瞬間その横を走ってくる人物に釘付けになった。
――うおおおおおおお!! でかい! 細い! 面長・典型的イリー美人、文句なしの星五つ、……どころじゃねええええ!!
何と言うことだろう! ここに来て“第十三遊撃隊”副長ナイアルに、遅すぎる春が来た……!?




