43.崖を背に
「……何てこと、してくれたんだよ。あんたら」
どすの利いた低い声……。ビセンテ以外の全員が、何かの聞き間違いだと思った。
「馬をようようなだめて、ここまで来たが……。こいつら二頭は、もう限界だ。かわいそうなことしやがって」
「……スターファさん??」
てかる頬に混乱をにじませたイームを、上背のある女はちろりと見下ろした。
「あんたがいなけりゃ、男どもを全員殺してさっぱり終わりだったのによう。そいつはどうにも胸くそ悪い……あんちくしょうめ。まったく、探してる奴も見つからないし、ふんだりけったりだ」
ちりちり暗色髪をふさふさと揺すって、女は溜息をついた。次いで、右手首にじゃらじゃら巻いていた金の鎖を取って、イームに手渡す。
「タリナの面倒ぶんだ、とっといて。あれは何にも知らないみなしごなんだから、あんたに後をたのむしかない。どこぞの母さまと縁づけてやっておくれ。……そいじゃあな、あんたとカーフェさんとは、いい人だったよ」
すたすたすた、女は大股で路傍へと歩いてゆく。
「ちょっと……スターファさん?」
「奥さん、一体なにが……」
イームとナイアルが話しかける中で、アンリはぴよッと思い当たる。
「あーわかった。奥さま、お腹すきすぎなのでは? 何か召し上がりますか、簡単におつくりしますよー」
この状況で、料理人ッ!
くるっと振り返ったスターファは、その言葉にわずかに噴いたのかもしれない。海を背に、口角を片方ちょっとだけ上げた。
「……いい人すぎて、失敗したよ。あたしゃ」
とーん……。
「あっっっ」
「あああああっっっ」
皆の叫びが流れる中、女は軽やかに後方へ跳んだ。
「スターファさーん!!」
崖っぷちに駆け寄るイームを、アンリはがしりと抱きとめた。その料理人の上腕を、ナイアルがつかむ。
「もう……、だめだっっ」
副長の腕を、さらにダンのでかい手と、しわのよった父の手がつかんだ。
互いにつかみ合ったまま、一同は崖の下をそうっとのぞく。波が打ち寄せる岩肌と岩礁の連なりは、闇にまぎれて何もわからない。
「何てことだ……、スターファさんっ」
涙のにじむ声で、イームがむせんだ。
「一体、どうしてっ……!」
「ナイアルさん。あの人、自分でとびました」
くわっと赤く頬をてからせて、イームを強く抱きしめながら、アンリはナイアルに囁いた。副長も顔をしかめて、アンリの腕をつかむ手に力を込める。
――あの女は、さらわれたんじゃねえ。もともと一味の仲間だった、つうことか……!
「ナイアル! 何か、怖ぇことになっちまったぞ……!」
深刻に言うものの実際は息子が落っこちるのが一番こわくて、思わずナイアルの腕をつかんでしまっている父が言う。
同様の理由、皆に墜落されたら一人では到底うちに帰れないと心配になって、副長の腕をがっちりつかんでいるダンも呟いた。
「……とりあえず、退こう」
茫然と後じさるナイアル、アンリとイーム……。そのナイアルの耳元に、音もなく寄って来た獣人が、ぼそりと言葉をかけた。
「あいつ。……あの女」
ぎらりと光る副長のぎょろ目は、頭巾の下のビセンテの蒼い瞳に――珍しいことだが――、疑惑と不安とが満ちているのをとらえた。
「……うたってやがった。ずっと」




