34.森ふかき国、デリアドをゆく
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がたがた、がた……。
イリー都市国家群、最西の地デリアド。
マグ・イーレとの国境からこちら側、“デリアド岬”の付け根にあるのが首邑デリアドだ。北上したところにある内陸国のフィングラスと並び、広大な領土を誇る。しかし開墾面積はごく小さく、人口もぐっと少ない。実質的には小国である。
さらに領土の西端へ進めば、深い森に覆われた山脈が幾重にも連なる。これが層壁となって、“白き沙漠”の乾燥からイリー人の土地を守っているのだ。
「すんごい、モリモリやまやました所ですねー。山間ブロール街道の比じゃないなー」
がたがた……。
農耕馬の引く大型荷車に揺られながら、まき巻き苺金髪を震わせて、アンリが感嘆の声を上げた。道の両脇にせまる樹々の密度が、テルポシエとはまるで違う。ぎっしりと壁のようにそそり立つのは樫の巨木だろうか、太い幹の連なる向こうに見通しがきかない。
「フィングラスから先、キヴァンの山地はさらにすげぇぞ」
つい半年前まで、そこへ足繁く往復していたナイアルが言う。
“第十三遊撃隊”は、そそくさとデリアド市を後にした。農家の空馬車あいのりを探し、西の末端から東に向かって、イリー街道を進んでいるところである。
アンリとビセンテ、ダンは馬に乗ることができない。ゆえに、一行には駅馬利用の移動が不可能だっだ。
――ふふふ……。同じのりものでも、こっちの方が断然いい……。
長槍を抱えて荷車の隅にうずくまる隊長ダンは、ようやく平常心に戻ったらしい。ほくそ笑んでいる、こわい。
その隣、やはり調子を取り戻した獣人ビセンテが、通常仕様のぶっちょう面で、かわはぎの干したやつを噛んでいる。
「にしても、よう。アンリ、お前ぇのいとこってのは、この辺に誰ぞ親戚縁者でも居るんかい?」
荷車の前部分、向かい合って料理人の正面に座り込んでいるナイアル父が聞いてきた。
「いいえ、全くいません。少なくとも俺が知る限り、母方の親戚は全員、テルポシエ領内に住んでいるはずなのです」
「かけおち相手が、こっち方面の人間だったのかもしれんぞ?」
アンリ周辺の内情をよく知るナイアルが、隣の父に言う。
少し前のこと、この地に新商品開拓の旅に来ていたナイアルの父が、たまたまアンリのいとこであるイームの手がかりを見つけ出した。
近年かけおちをして故郷フォレン村をすてたまま、全く消息の知れなかったイームを探しに、はるばる“第十三遊撃隊”はやって来たのである。
当初、アンリは一人で探索に赴くつもりだった。そりゃそうである、全くの私事なのだから。
……しかし料理人は地図が読めず、馬にも乗れない。自称恥ずかしがり屋の人見知りだから、他人さまをつかまえて聞くこともできなかった。移動行程は目で見て風景でおぼえる派、知らない土地で道に迷えば平鍋ティー・ハルを四ツ辻にたてて、倒れた方向へすすむ男である。……到底、行って帰ってこられない。
そして料理人不在で、料理屋を開けられるわけがなかった。一人でイーム探索に行かせ、数か月間迷われでもしたら、それこそ“金色のひまわり亭”は破滅的終焉を迎えることになる。
副店長ナイアルは女将のエリンと頭をひねり、六日分のつぶし汁を作り置きして、最長七日間の旅に出ることにした。旅慣れした頭脳派水先案内人の副長ナイアルがいれば、イリー都市国家群の中で迷うなんてことは、まずないのである!
ではビセンテとダンは何しについてきたのかと言うと、まぁ用心棒だ。
「誰か知った人間がいて、その土地に後ろ盾がありゃあ良いんだがよ。俺が問題の蜜煮を食った店があるのは、おせじにも治安のいい町じゃねえんだ」
息子の倍も生きてさらに旅経験値の深いナイアル父が、やや心配そうにあごのあたりを手でしごきながら言った。
「……かの地ではならず者が、幅を利かせているそうですね?」
きら、ぴかっ! 料理人の輪郭が、心持ち粗くなる……。真剣味あふれ出る、筆描き仕様だ。瞬時にしてべた塗り一色となった背景、アンリの目元にしろく集中線が浮く。
「ああ。それもデリアド産の荒くれ不良者でなくってよ、どうも外から新しく流れ着いた奴らが、牛耳っているらしいんだなぁ。皆、油断すんなよ……?」
そう……。状況は、不穏なのである!
アンリ、ナイアルとその父は、イームが≪最悪の事態≫にいることを予想し、危惧していた。
テルポシエの平和な田舎育ちのイームである……。純朴な娘は男にだまされて、遠方の異国で身動きを封じられているのではないか? そこで奴隷の如く、蜜煮を作らされているのではあるまいか、と。
蒸発して数年、イームがフォレン村に残してきた老父に全く連絡をよこさずにいるのも、それならば説明がつく。
――すべてがきゅうりで(※)、イームちゃんが幸せに暮らしていると言うなら、それはそれでいいんだ。おじさん宛てに一筆おたよりを書かせて、無事でいると教えてあげられるから……。
いとこの懐かしい顔を思い出して、アンリは寂しげに頬をてからせた。
『切ないのう。蜜煮おじさんのすすめに従って、お前があの子のお婿に行っときゃ、こんなこんぐらかった話にゃならんかったのにな……。ま、仕方がない』
アンリの背中で、平鍋ティー・ハルがぼやいた。誰にも聞こえていないが、本人……本鍋は、料理人をなぐさめているつもりでいる。
「お兄ちゃん達。そこの細い分かれ道の先が、トープランの町だよう」
その時、農耕馬を御すおじさんが、荷車の速度をゆるめながら言ってよこした。
「おっ、そんじゃ降りまーす。どうもありがとう、旦那さん」
農家のおじさんは馬の足を止めかけたのだが、……客たちがひょいひょいと跳び下りて、既に道を行ってしまっているのに気づき、面食らう。
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※きゅうり……。杞憂、と言いたかったらしい。(注・ササタベーナ)




