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29.消えたいとこの手がかりジャム

 

「うちの父ちゃんは、仕入れ専門でな。“べにてがら”で売る商品を探して、イリー都市国家群じゅうをくまなく歩いて回ってんだ」


「新しくって良いものがあると、うちの人はすぐに嗅ぎつけて手配するんだよ。マグ・イーレの天然あら塩も、テルポシエじゃいっとう先に売り出したんだった」


「ははっ!」



 いなせなおじさんは、苺を鉢からつまんでひょいひょい食べながら、笑っている。


 “金色きんのひまわり亭”、厨房食卓の端に座った料理人アンリは、ナイアル父が果物をつまむ速さに感心していた。この分なら息子と違って、お父さまはお通じの方に問題なかろうな~! と勝手に決め込んで安堵する。赤いすじの入った頬を、順調にてからしていた。



「今回は、どちらに行かれていたんです?」



 巨大な急須きゅうすから香湯を杯に注ぎつつ、女将のエリンがナイアル父に問う。



「この菩提樹てぃゆうる幹皮は、デリアドのものと仰いましたね」


「そうそう。はじめはオーランへ、ぶどう葉の買い付けに行ったんだがな。そこの上品な香湯卸商にすすめられたのが気になったもんだから、ついとデリアド行きの定期船に乗っちまったのさ」



 六十代半ばと聞くが、ずいぶん脚達者なようだ。



「ついでにデリアドで、あら塩生産業者の所にも邪魔してきたんだけどな。ありゃだめだ、マグ・イーレのにとてもとても及ばねえ。どうにも潮っぽいくせが抜けてねぇし、砂粒もやたらに混じってやがる」


「デリアド宮廷はマグ・イーレに実習生を送って、あら塩製法を学ばせてると言うけどな?」


「近いどうしの国でも、気候が違えばできるもんも変わるわな。ま、あと何年かすりゃましになるのかもしれんが……。おいアンリよ、まちがってもデリアド塩を使っちゃいけねえぞ?」


「はッ、お父さまッ」



 きりっと真剣顔で、アンリはうなづいて見せた。



「時にお父さま! お腹すいてらっしゃるのなら、何かお作りしますが?」


「お前の父ちゃんじゃねぇんだから、お父さまはやめろっつの。けど、黒ぱんあるかい? 牛酪ばたつけてな」


「はッ、ただいま。ああそうだ、前に作った俺の苺蜜煮がありますよ。牛酪の上にのせましょうか?」


「おう、頼むよ」



 壁際の調理台で、料理人はのこぎり状の刃をしたぱん切り包丁を手に、ごつい黒ぱんを切り始めた。ぞりぞり……。



「お花の方は知っていましたけど。樹の皮のお香湯なんて、とても珍しいわ! 向こうでは、よく飲まれているのですか?」



 菩提樹の香湯をそうっとすすりながら、エリンはナイアル父に聞く。色味は褐色、口当たりもまろやかだが、味はあまり感じ取れない。強いて言うなら、新しくできたばかりの家具の良い匂いがした。



「もともとは、フィングラスの人らが飲んでいたらしいな。それが伝わって、デリアド北部ではおなじみなんだと。発汗、利尿に効能があるとさ」


「淡泊だけど、温まるわ」


「ほんとだね! おとなしくって、出しゃばらない味わいだ。美女桜ばーべなやういきょうなんかと合わせたら、いいかもしれないね」



 ナイアル母も、うなづいている。



「はーい、どうぞ~」



 アンリがナイアル父の前に、分厚く切った黒ぱんの皿を置く。父は破顔してかぶりついた。



「おい、アンリ。父ちゃんだけでなく、俺にもよこしな」


「はいはい……。おひいさまも、いかがですー? あれ、一体いつのまにそこに座ってたんですか。店長と、ビセンテさん……。しかたなーい、皆さん全員におやつ黒ぱんを~」


「あれ」



 いなせなナイアル父が、妙に通る声をあげた。



「どうしたの、あんた?」



 アンリを手伝って、ぱんに牛酪を塗り付ける手を止め、ナイアル母が問う。



「……これ、全部お前が作ったんよな? アンリ」


「ええ、そうですよー?」


「不思議だな。こないだ食った蜜煮に、まんまそっくりな味がするんだよ」



 ばちッ!


 ぎざ刃のぱん切り包丁を調理台に押しつけるように置いて、アンリはナイアル父に向き直った。



「……いちばん最後に、はっかの葉っぱをちっと入れて仕上げてるんだろ?」


「その、とおーりですッッ」


「……それに蜜の甘さ濃さ、ぶつ切りの仕方……。こっちはまだ新しいから、ちっとゆるい・・・が。それを除けばまったく同じ苺蜜煮を、デリアド辺境の町で確かに食ったんだ」



 料理人の顔が、みるみる真っ赤に染まってゆくのを見ないまま、ナイアル父は手の上の黒ぱんをためつすがめつして言う。



「店売りの蜜煮ってのは、たいがい果物が小さく刻まれて口当たりを良くしてある。傷みの進んだ材料で、正体もみ消しちまえってくらいにつぶしてある安物もあるよな? だから料理屋で、これだけごろっとした苺蜜煮に当たるのは珍しい。めし食ったところのおやじに聞いてみたら、流れの女職人から最近仕入れ始めたのだ、と……」


「……イームちゃんだぁぁああああ――ッッ!!!」



 いきなり引き裂くような叫び声を上げた料理人に、その場の全員がびびった。



「お父さまぁッ。どうかその時のことを、詳しく教えて下さーいッッ」


「ぎょへッ!?」



 隣席の息子をぐいいと押しのけ、いきなり胸ぐらに抱きついてきたアンリに面食らって、ナイアル父は手中のぱんを取り落とす!


 ……それを、卓子の端っこからのびてきた長ーい手先の持つ皿が、すちゃっと受け止めた。じつに見事である、獣人ビセンテ。



「この≪ごろごろ苺蜜煮≫は、俺のおじさんに伝授してもらったのです! 同じものが作れるのは、おじさんと俺の他にもう一人! いとこのイームちゃんしかいませんッ」



 みどりのぎょろ目を全開にして、ナイアルは息を飲んだ。イームというのは、アンリのいとこにして元許嫁いいなづけの名である。数年前に男とかけおちして蒸発してしまったという、フォレン村の蜜煮屋の一人娘……!!



「うあああっ、イームちゃんのばかものぉぉ。家を出るにしたって、あんな風に消えてしまうなんて……! かわいそうなおじさんは、それでがっくり気落ちして、引退することになってしまったんだぁぁ……!! わーん!」



 ナイアル父の胸に取りすがったまま、アンリは悲愴と義憤の涙を流す。それが苺しぶきの赤いすじと混じってさらに流れる、実に絵になる凄惨さである!



「デリアドなんて……。そんな遠いところに、行ってしまっていたなんてぇー!!」



 ふるふる震えるアンリの肩に、ぽん……どん引き顔のナイアルが手を置いた。と言うかナイアル父母もエリンも、皆どん引き表情である……。


 店長ダンはいつも通りの平常心、食卓の隅でおとなしく黒ぱんを待っていた。その横では獣人が、黒ぱんのかったい端を規則正しく咀嚼している。彼は甘味は要らない派だ。






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