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27.“みつ蜂”女将・クレア

 

「おとうさん。長台の方に、お鍋ひとつ」


「あいよー」



 すばやく小気味よく用意された牛肉・にんじん煮込みの鉢を盆に載せて、酒商“みつ蜂”女将おかみのクレアは、厨房と勘定長台の間をすいすい自在に行き来する。



「女将、しめ・・のはっか湯もらえるかい! 濃くしておくれ」



 おひとり様の巡回騎士のじいさんが、声を上げた。



「はーいっ」


「おひいさんとこにも、はっか湯五つね」



 下げた皿を盆いっぱいに積み上げて、軽々運んで来た夫が厨房への入り際に言ってよこす。



「はい、了解っ」



 笑いかける目、応援してくれる眼差し。今も昔もクレアの大好きな、まじめなセインがすぐ近くにいる。だから彼女は安心して、自分の場所で自分の役目に一生懸命になれるのだ。




 ……仇敵マグ・イーレ軍の夜襲があったとき、エリン姫と一緒に城の旧北棟、地下室にいたクレアは、忍び込んできた敵の総大将に拘束された。


 それは小柄な、……自分よりもずっと小さな女だったらしい。いきなり喉もとに短剣を突きつけられて、クレアの頭の中は真っ白になった。突き飛ばされて部屋の隅にへたり込み、続く惨劇を目の前に見た。



 テルポシエ最後の一級騎士シャノンと、神童ケリーが、エリンと自分を背に守って長短の槍をふるい戦った。


 相手は黒づくめの大男……騎士なのか傭兵なのか、よくわからない変なおじさんだった。そいつが二人をぶんぶんはねのけ打ちのめして、ついに小さなケリーの身体を壁に叩きつけた。


 その時クレアは、ようやく扉まで這ってたどりついたところだった……錠を上げなくては、と。あまりに恐ろしくてがくがくと腰が抜け、思い通りに身体が動かなかった。


 ざりっ……


 鎖と刃の強く擦れあう音がして、……シャノンの背の真ん中に、男の剣の切先が生える・・・のを見た。




 間一髪で助けが入り、エリン姫は敵に連れ去られるのを免れた。シャノンの身体と、ひくひく呼吸に動くだけのケリーと一緒に、クレアは本城の医療所に運ばれた。


 そこでずっと、ケリーの鼻血を拭いていた。どこもかしこも真っ赤に染めてよごして、顔の中心を壊された少女はうめき、泣いていた。


 治療師のおじいさんも、その手伝いの人たちもいたのに、クレアはケリーと二人っきりで、誰の助けも来ないがらんどう・・・・・に取り残された気になっていた。


 やがてその隣の寝台にエリンが横たわる。出産直後の身体で無理をして、とうとう自力で立つこともならなくなっていたテルポシエ王女…エリン・エル・シエ女王。クレアの友だち。


 ケリーとエリンの寝台の間にうずくまり、クレアは時の感覚も、空腹も忘れていた。今こそたよりにしたい騎士姉妹は、どちらもいなくなってしまっていた……。



 ぼそり、と前方から声をかけられ、クレアはぼんやり顔を上げる。



「おくれてごめん。探してたんだ」



 敵は卑怯にも火矢を放って、市内のあちこちにぼや・・を起こしていた、と聞く。


 その火事を消すために駆けずり回らされた、予備役傭兵の人かしら、と思う。



「……ここは、薬翁にまかせて」



 すすけてまっ黒ぐろの顔のその人は、クレアに向かって手を差し伸べた。



「帰ろう、クレアちゃん。送ってくから」



 ……それがセイン、自分がいちばん大切に思う友だちのセインだとわかって、よろめき立ったクレアは彼にすがりついた。


 初めてその胸に顔を埋めて、毛織上衣の下にある革鎧の硬さを知る。粗い編み目は焦げくさかった、けれどセインの声と眼差しと、彼の熱とが、クレアを安堵でふるわせる。



「……帰ろう。“みつ蜂”へ」



 すぐそこにある褐色の瞳を見た時、クレアはセインが友だちでなくなったことを知る。


 自分はこの人がいんだ、とわかった。



 ・・・



「はーい、はっか湯!お待ちどおさま」



 ……あの日のことを、クレアはよく思い出す。思い出して恐ろしくもなるけれど、同時に励まされてもいた。エリンと自分を守って強敵に立ち向かったシャノンの背中を想えば、その辺のちんぴらやいぎたない酔客にも立ちむかってやる、と気勢を上げられるようになった。


 そしてセインが、ずっと側にいると宣言してくれたのだ。そういう彼にこたえたい。いつだって自分を一番に考えてくれた、父の思いにもこたえたい。そうするには、……“みつ蜂”の女将として、胸をはって行く!!





 ず~~~、


 年寄り臭くゆのみをすすって、アンリは深く溜息をついた。



「ふはぁ」


「……うまかったな。これぞ北区の味だ……」


「本当に、美味しかったわ。はっか湯も……」


「……」 ←ビセンテである。獣人は牙……ちがった、犬歯に挟まった牛すじのことしか、考えていない。


「……」 ←ダンである。自分の食べた牛が、生前もじゃもじゃ毛長だったのか、すべすべ白黒ぶちだったのかを判別する方法はないものだろうか、と言う不毛な疑問にとらわれている。



「俺って、ひとりじゃないのですね」


「……何だ、いきなり?」


「久しぶりに、他の方の作ったお鍋をいただいて……。何だか、力をもらったような気がするんです。おいしかった……。俺もこんなすてきな鍋を目指して、精進を続けます」



 ナイアルとエリンは首をひねった。焼きたて頬をもも色にてからせて言う料理人は、何だかほっこりと嬉しそうだ。“みつ蜂”の鍋を好敵手として、競争心を燃やしているというわけでもなさそうである。



――大事な人、大事なお客。色んなひとのことを考えて、心を込めてつくったものの味だ……。素朴だけれども、本当においしい! そしてお腹の底から、あたたまる。俺もこういう鍋で、腹ぺこちゃん達を幸せにしたい……。そうして自分も、しあわせになるのだッ!



 店はいよいよ、混みあってきた。


 人々のざわめき声がそのまま熱量となって、有頂天になった料理人アンリの頬を包み、その頬をますます赤くてからせている。




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