25.“みつ蜂”のブフ・キャロット
・ ・ ・ ・ ・
「ほんじゃあ、皆。くれぐれも目立たんようにするんだぞ……!」
帽子を深くかぶり直しながら、ナイアルが言った。
「うぃぃぃっ、副店長ぉッ」
「はい!」
「……」
「……」
いつも通り頬をてからせながら料理人アンリが、そして緊張した面持ちの女将エリンが答える。ダンとビセンテは、無言でうなづいていた。
「別に、向こうじゃ気にしないんでないのかね? どっちみち黙っていたって目立つよ、あんたたちは」
ナイアル母が、息子の横から口を挟んだ。
ここはテルポシエ北区の下町、老舗乾物商“紅てがら”の裏口まわりである。本日の昼営業を休みにした“金色のひまわり亭”の面々は、大いなる使命をもってナイアルの実家に来ていた。
「いや、見ようによっちゃあ敵情視察なんだからよ? 母ちゃん」
「……料理屋と酒商じゃ、好敵手になりっこないがねぇ……。まあとにかく、行っておいでよ」
「行って参りますぅぅ! お母さまッ」
「お母ちゃんじゃないっちゅうに。……アンリ君、あんたやっぱし、お鍋持って行くのかえ……」
そうして一団は、路地を進む。ナイアルを先頭に、エリンが続く。その左右に自然と寄り添うアンリとビセンテ、後ろにぬぼーんと店長ダンがついてゆく……。四方を漢の壁で囲まれて、どうにもエリンは気恥ずかしかった。
――こんな街なかで、護衛の陣形を組む必要あるのかしらね……?
四人は意識的にやってるわけではない。長年の習慣からしみついた、彼らの日常湯飯事なのである。許してやって欲しい。
下町の細い石だたみ路地界隈は、昼の賑わいの一歩手前だ。じきにひる休み、食事に行く人や家に帰る人達でごった返す直前を狙って、一行はほんの数丁さきにある酒商、“みつ蜂”を目指す。
酒商と言うからには酒類の量り売りが商売の主体なのだけれども、ここは珍しく朝昼晩の食事をも提供する店なのである。
「……お姫さまは、そこで何度か食べたことがあるんでしたっけ、ね?」
左側をゆくアンリが、てかっと頬をつやらせてエリンに話しかけた。今日は野戦装備でも白い料理人服でもなく、ふつうの麻衣姿なのだけど、さりげなく背の革帯に平鍋“正義の焼き目”を括りつけて携帯していた。背中にくくれば自分の目に入らない、すなわち目立たないと思っている、非常に自己中心的な主人公である。相変わらず。
「ええ、そうなの。でもいただいたのはお湯受けのお菓子だけだから、ごはんを食べに行くのは、実は今日が初めてなのよ」
正直なところ、エリンもちょっぴり緊張している。
十数年前の包囲戦時、王女の自分の身代わりとして城にやって来た町娘……それが、“みつ蜂”女将のクレアだ。
壮絶な祖国陥落を一緒に耐えて、以来ずっとエリンの友人でいてくれている。息子のオルウェンを手放して本当につらかった十年の間、護衛のケリーとともにこの店に立ち寄り、すてきな香湯を飲むのが何よりの楽しみだった……。テルポシエ元首を引退した今、もと女王はしみじみ思う。
「ふッ、お姫も気合入れて味わってみろ……。北区随一、≪家族で行ける酒商≫みつ蜂の日替わり昼食だ。……行くぞッ」
ナイアルはずんずん歩いて、かたんと店の扉を開ける。
「いらっしゃいましー。おやッ、“紅てがら”さんと、お姫さん!」
入り口間際の席を整えていた男が、かぱっと笑顔になった。
「ごちになりに来ましたよー。五人なんだけど、角席いいかい?」
「ええ! どうぞ、こちらへ」
東部系のまだ若い男は、きれいに剃り上げた頭をめぐらし、きびきび歩いて一行を店の奥へと誘導する。店は既に、食事客でにぎわい始めていた。二・三人用の小さな卓はほぼ埋まりつつある。
――すごいなぁ! まだ、お昼休みの前なのに……!
アンリは目をきょろきょろさせて、店内の様子をうかがった。
――おやっ、長台でひとりごはんを食べている、エノ傭兵や巡回騎士もいるぞ!?
「今日の日替わりは?」
ゆったり角席に座り込みながら、ナイアルは男にたずねる。
「はい、人参と牛肉のこく煮込みです。五人前、ぱんは大皿で?」
「そうそう。一人分だけ、肉を骨付き中心にしてもらえるかな?」
「了解ですよ!」
やわらかく笑うと、男は去ってゆく。
「……びっくりしたわ! 朝方とは雰囲気も、お客の層も全然ちがうのね……!」
栗色木材で統一された内装の店内に、人だかりの色彩が様々まじっている。見慣れたはずの“みつ蜂”が、エリンには別の場所のように思えた。
――まあ~、……うちも昼と夜ではだいぶ感じが違ってるけどね。俺の入魂の内装が、かがやいてるの……。そろそろ壁の塗り直し、予定くもうかな……ってまだ早いか……。
一番かさばるのっぽの店長ダンは、角っこに押し込まれても平常心。内心で言いたい放題である。
アンリは無言で、客たちを観察している。お喋りしつつ肉を頬張っている職人風の一組。長台にかけているおひとり様の男性客は、大きな杯をかたむけて……ずいぶんとくつろいだ様子だ。
「はーい、お待ちどおさまっ」
きれいに通る声が響いて、晴れやかな笑顔の女が大きな盆を卓子に置く。
「ナイアル君、姫さま、こんにちは! “ひまわり亭”の皆さんで来て下すったのね!」
「よう、クレアっち」
手渡される鉢を受け取って次々に回してゆきながら、ナイアルも女将に笑いかける。
「忙しい時にごめんなさいね、クレア」
「親父さん、元気かい」
「ええ。元気にお鍋作って、子どもの面倒みてくれてますよ。皆さんが来てくれたって知ったら、あとですっごく喜ぶわ! さあ、召し上がれ」
「ありがとう」
かきいれ時だ、交わす会話も手短になる。けれど去ってゆく女将が、その中にありったけの歓迎をこめたことは、誰にも明らかだった。
――大したもんだな。あれがクレアっち、引っ込み思案だったあの子かね。立派になったな……。
同じ界隈育ちで家はお得意どうし、ごく幼い頃からの彼女を知るナイアルとしては、ぎょろ目をみはる成長ぶりであった。
「はい、ぱんです。お代わり自由ですからねー」
ひょひょいと大皿を持ってきた、先ほどの若い男が言った。
「おっ、ありがとうセイン君。……あんたも幸せよなー、うらやましいよ」
「ええ、おかげさんで……」
たはっと笑って、男は行ってしまった。
「?」
意味のわからない料理人は、ナイアルを見たのだが。
「さあっ、いただきましょうっ!」
エリンが華やかに、張り切った声を上げた。そこでアンリは瞬時に忘れ、目の前の鉢皿に全神経をかたむける。
でっかい角切り牛肉と、その脂肪からまるにんじんの赤み…。ぱらりと散らされた生の旱芹菜の緑、たまらぬ垂涎の絶景がそこにある。
「つやっつやのきらっきら! 香りからして、んもう芳醇なこく確定ッ。いただきまーすッ」




