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庭師が私を攫うまで  作者: 天乃まりの
萌しの篇
8/15

8 パーティー事変・中

仕事納めしてたら全然書けなくて長く空いてしまいました…

ゆりあと柊一と馨は、ヴィヴァルディの『春』が流れるパーティー会場の隅でジュースを飲みながら、ぼそぼそと話し合っていた。


「……つまり、藤原様は婚約者に何か裏があるって思ってんだな」

「そこまでは言ってなかったけれど、何か胸騒ぎがするって。確かにおかしいのよ、婚約が決まったのは三日前だって言うんだもの。つい先週までは候補すら決まっていなかったのに」

「随分急な話だよね。雛子のご両親もおじいさま方も、跡取りになる人間をそんなにトントン決めるはずがないのだけれど。そもそも普通、婚約発表なんておめでたいことを直近に迫った誕生日パーティーに無理矢理ねじ込むかな。雛子の家なら余計、改めて別にパーティーを開きそうなものだけど」


馨は訝しげに首を捻り、手で顎を撫でる仕草をする。

雛子は来客への挨拶回りで忙しいのか、先ほどから会場内を両親と一緒にくるくるくるくる歩いている。

自分で婚約者のことを調査する暇がないため、ゆりあたちに頼んだといった次第だった。


「お相手はあの三元(みつもと)製薬の会長の次男の三元 浩二(みつもと こうじ)さんだって言ってたわ」

「ああ、あっちでワイン飲んでるあの男か?新聞で見たことあるな。確か22歳で、今年の春に大学を卒業したんだったか」


柊一の視線の先には、ネイビーのダブルスーツをすっきりと着こなし、こなれた仕草でワインをあおる男がいた。黒髪をオールバックに仕上げており、表面がつやつやしている。

すぐ隣に長男の浩一(こういち)がおり、二人は和やかに談笑しているようだった。


「三元製薬は戦前に出来たんだよね。前社長…今の会長がやり手で、軍需の効果もあって一気に成長した新進気鋭の企業だったと記憶しているけれど」

「ますます変じゃないの、あの頭の固い雛子のおじいさまがそんな若い会社から婿を取るなんて信じられないわ」

「そうだよね、僕もちょっとおかしいとは思う。社長を長男の浩一さんに交代したばかりで、まだ社内も落ち着かないだろうに」


ゆりあは猫のように目をきゅっと細めて浩二を見つめた。

身につけているスーツや靴やアクセサリー、所作や話すときの口の動きまで、じっとり品定めしてやっているのだ。


別に歳の若い企業を馬鹿にする意図はゆりあにはない。ただ、歴史の長い財閥家である藤原家があえてそこから婿を取ることのメリットがわからないのだ。雛子の祖父は頑固で昔気質で、強く安定した基盤こそ正義と考える御人であり、雛子の婿も同様に歴史の長い良家から選ぶと言っていたはずなのに。

これから膨らんでいきそうなところに目を付けたのか、最初から会社ごと買い取る心づもりなのか、あるいは。


「……監視のためか」

「なんですって?」


柊一がぼそりと零したのを、ゆりあは聞き逃さなかった。


「戦前に出来た製薬会社が急成長してここまでのし上がる、っつーと…まあ、麻薬だろうな」


言いづらそうに柊一はゆりあから目をそらした。


ゆりあが怪訝そうにどういうことなのと繰り返すので、柊一は仕方なしに説明してやった。


曰く、製薬会社と麻薬の関係は第一次世界大戦前まで遡ると。


大戦前、アヘンから作られるモルヒネは、鎮痛剤としてイギリスとドイツから日本に輸入されていた。

それが大戦をきっかけに停滞し、日本はモルヒネの国産化を推し進め、製薬会社はこぞってモルヒネを製造し、やがて麻薬として流通するようになった。

その勢いはとどまるところを知らず。日本の麻薬生産は拡大の一途をたどり、より依存性の高いヘロインやコカインも生産量世界一位にまでなってしまった。

密売も横行し、密売人と結託する製薬会社も現れ、そいつらが巨大な富を短期間で築き上げることとなった、と。


そして太平洋戦争の折には、日本軍も兵士たちに麻薬を配ったと。

痛みを感じさせないためだとか、気を大きくさせて恐怖を紛らわせるためだとか。

生産が追い付かないほど日本軍からの需要は大きかったとかなんとか。


柊一は医薬品管理をしていた復員兵から聞いただけの話だから真偽のほどは定かではない、と付け加えた。


「三元がそうかは知らねえが、今もヘロインを作っては裏に流す製薬会社が結構あるらしい。身寄りのない人間に売りつけて麻薬漬けにして、新薬の治験と称した人体実験のために連れ去るだとか、まあ噂程度の話なんだが」

「倫理上許されない商売をしている可能性がある、ということだね」

「ちょっと、本当にそうだったらそんなところと関係を持っちゃまずいんじゃないの?」

「ああ、本来なら避けたい相手だ。それをあえて婿取りで関係を持つってことは、だ」


柊一の言葉に馨がハッとして、片手の拳でもう片手の手のひらをポン、と叩いた。


「そうまでして目の届く範囲に置かなければならない理由がある、ということだね」

「そういうことになりますね」


二人が合点がいったというように頷く中、ゆりあはわけがわからないという顔をして首を捻っていた。

医者志望で頭の良い馨は、時々ゆりあには理解できないことを言い出す。それは慣れていた。

だけれど柊一がこんな風に馨と対等に話していることは意外中の意外であった。

豊富な知識に加えわずかな情報をそれに結び付けて仮説を立てることができるのは、頭の回転が速い証拠である。


「つまり雛子の感じ取った『嫌な予感』というのは、そういう類のものだと」

「断定はできませんが、可能性はあります。恐らく藤原様が感じている不安は、三元の後ろ暗さだけではなさそうですが」

「Huum…三元浩二本人に対する不安もあるということかな?」

「見ている限りでは」


そう言って柊一が雛子に一度視線を移し、再度浩二の方へ目を向けたのを、馨とゆりあも同様に追いかける。


「……男にしかわからない感覚でしょうが、あの兄弟、二人で談笑しているように見せかけて視線は常にゲストの女性を追っています。ただの好色ならばまだ良い……いや良くはありませんけど、あの目はもっと嫌な……」


柊一の眉がぎゅっと中央に寄る。

ゆりあはええっと驚いてもう一度三元兄弟の方を見つめたが、柊一が言うような嫌な雰囲気というものは感じ取れなかった。むしろ爽やかな好青年にしか見えず、中等部の頃に短期間だけ来ていた教育実習生を思い出した。女子校ではああいう物腰の柔らかそうな男にやたらと憧れる生徒が多かった。ゆりあは特になんとも思わなかったが。


しかし馨はそうではないようで、顎に手をやり考えるような仕草をしながら浩二を睨みつけたあと、「ああ」と声を漏らした。


「成程、あれはタチが悪そうだ」

「えっ、馨、わかるの?」

「同じような目をした男を知っている」


不思議そうに目を丸くするゆりあに、馨は何故だか妙に自嘲的な笑みを返した。


「柘植さんの言いたいことはわかったよ。確実に何かあるね」

「三条様も藤原様も人を見抜く心眼をお持ちのようですね。ゆりあはサッパリですが」

「ちょっと!なんなのよ!」

「まあ、実際何かありそうに見えても、証拠がないんじゃどうしようもないけれど」

「加えてタイムリミットは藤原様のおじいさまのご挨拶までです。婚約発表のタイミングはそこしかないでしょうから」

「タイムテーブルどおりにいけばおじいさまのご挨拶は20時。多く見積もってもあと3時間程度か…」


ゆりあを置いて、柊一と馨だけでどんどん話が進んでいく。

ムックと頬を膨らませたゆりあは、二人の間に割って入り、「こうすればいいじゃない!」と言ってすぐ近くでドリンクをサーブしていたボーイの銀トレイから、サッとシャンパンの入ったグラスを掠めとった。


「ゆりあ、それお酒だよ!」

「いいのよ、柊一、あんたお酒飲めたわね」

「あ、ああ」


ゆりあは柊一をきっと睨みつけて、グラスを彼の顔の前に突きつけた。

柊一は幼い頃から兄弟子たちに絡まれて酒を舐めさせられていたためすっかり酒に強くなってしまっている。

まさか、と思い柊一がグラスごとゆりあの手を掴み、「何するつもりだ」と問いただした。


「いいから全部飲み干してちょうだい」

「その前に企みを話せ」

「庭師のくせに私に楯突くの」


バチバチと火花を散らす二人を交互に見ながら、馨は戸惑った顔で黙り込んだ。下手に口を出せない気がしたのである。


「俺は今日、橋本の代わりとしてここに来てんだ。お前を守る義務がある。何を考えてんのか話せ」

「諒吾の代わりだと言うのなら、あんたは私に従うべき立場でしょ。飲んでくれたらわかるから見てて」


頑としてゆりあは話そうとしない。話したら却下されることがわかりきっているからだ。

つまりゆりあがしようとしていることは柊一に却下されるようなこと、それだけ危険なことだということだ。


柊一はとにかくゆりあに吐かせるために差し出されたグラスを手に取って一気にシャンパンを飲み干した。


「飲んだわね。空のグラスちょうだい」


ゆりあはパーティーバッグの中から口紅を取り出し、少し指ですくって頬にとんとんと叩きこんでいた。ほんのり桃色だった頬が、酔っぱらったように赤くなる。

そして柊一から奪った空のグラスを持ったまま三元兄弟の元へふらふらと近付いていく。


「まさかっ…ゆりあ!」

「ゆりあ!おい!」


ゆりあの企みを察して顔色を変えた馨と柊一がゆりあを連れ戻そうとしたその時、三元浩二がゆりあに気が付いた。


「!柘植さん、待って、向こうがゆりあに気付いた!」

「な、っ~~~……クソ!」


下手な動きができなくなった二人は、その場で立ち止まり、不自然にならないように体の向きを変えてゆりあと浩二の様子をうかがうことしかできなくなった。


浩二は稀代の女好きである。

特に若い、というよりは幼い女が好きだ。浩二本人は22歳だが、20歳を過ぎた女には魅力がないのだと考えている。

10代の女は良い。まだ世間も男も充分に知らず、年上の余裕のある男に憧れがちで、少し紳士的に接してやればすぐに夢中になってくれる。扱いやすいことこの上ないのだ。


浩二にとって、今回の雛子との縁談は願ってもない好機だった。

社交界の華と称される雛子の容姿はそれはそれは美しく、つややかな黒髪やあどけない垂れ目が純朴そうな雰囲気を醸し出し、まさに浩二の好みど真ん中の相手である。

更に16歳。中学校を卒業したばかりの彼女は、厳しい家族の躾のおかげでまだ恋すら知らないのである。

自分が好きにこの女を扱い好きに育てて良いのだと考えると、それだけで腹の底から歓喜の声が沸き上がった。

光源氏の気持ちがわかるような気がする。若紫ほど雛子は幼くないが。


散々若い女を騙して遊んできた浩二だったが、もうそろそろ身を固める時か、と、雛子を自身の最後の相手として迎えようと考えていた。


が、しかし。


西洋人形のような美少女の前では、その決心も揺らぐというものである。


栗色の波状になった髪をハーフアップでまとめ、細雪のような肩を晒し、ドレスを揺らしながらおぼつかない足取りで歩いてくる、彼女。

浩二はすぐさまそれが御堂家の長女、ゆりあであることに気が付いた。

初めて社交界で彼女を目にした時からいつか一口でも味見をしてみたいと思っていた。


紅潮した頬に潤んだ瞳、片手には空になったシャンパングラス。

これほどの好機は二度と訪れまい。


ああやはり、幼い女を漁るのはやめられぬ。

そう思った浩二は、隣にいた兄の浩一に目配せをした。


「兄さん」

「ああ、行ってこい。藤原のご令嬢にはうまく誤魔化しておいてやる」


浩一にワイングラスを託し、浩二はゆりあにそっと近付く。


ゆりあもそれを見計らい、履きなれたヒールでわざと足を捻るようにして浩二の胸めがけてよろめいた。


「きゃっ!」

「おっと!」


ゆりあを抱きとめた浩二は、優しく慎ましやかな微笑みで「大丈夫ですか」と問うた。

ゆりあは顔を上げて、少し恥じらうように瞼を半分伏せながら「ええ、すみません」と答える。


浩二の胸元にそっと両手をついて離れ、体制を整えた。


「失礼ですが、御堂ゆりあ様でいらっしゃいますか?雛子さんのご学友の」

「え、ええ。そうですが」

「やはりそうですか。ご挨拶が遅れて申し訳ございません。私、この度藤原雛子さんと婚約させていただいた三元浩二と申します」

「まあ、雛子の…。ご丁寧にありがとうございます。この度はご婚約おめでとうございます」


ほろ、と花が綻ぶように微笑んで見せると、浩二の頬がポッと染まった。


「大丈夫ですか?足取りがふらついているように見えましたが」

「ええ、実はジュースと間違えてお酒をいただいてしまって、少し酔ってしまったんです。雛子には申し訳ないのですけれど、どこかで休ませてもらおうかと思って…」


そう言いつつゆりあは浩二越しに雛子を探す。

浩二は振り返って少しパーティー会場を見渡した。

そうしてまだ来客と談笑している雛子を見つけ、「ああ、あちらに」と手で示した。


「少々立て込んでいらっしゃるようですね。僕で良ければ休めるお部屋に案内いたしますよ」

「えっ。でも、友人の婚約者の方にご迷惑はかけられませんわ…」

「いいんですよ。むしろ雛子さんの大切なご学友が体調が悪いとおっしゃっているのに放っておいたとなれば、それこそ雛子さんに叱られてしまいますから」


困ったように眉を下げて笑う浩二は、慣れた手つきでゆりあの手を取り、「では行きましょうか。おつらければどうぞ腕につかまって」と言って会場の出口に視線を向けた。



ゆりあは悟られないようにごくりと唾を飲み下し、こちらの様子をうかがっている柊一に一瞥をくれると、申し訳なさげな笑みで浩二を見つめた後、「すみません、お願いします」と言って彼の腕に自分の腕を絡めるようにして掴まった。





柊一はゆりあが浩二に導かれ、パーティー会場から出て行くのを目で見送った。

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