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庭師が私を攫うまで  作者: 天乃まりの
萌しの篇
7/15

7 パーティー事変・上

ゆりあが柊一をパーティーに連れて行くと宣言したあの日から一週間と少し、ついに雛子の16歳の誕生日パーティー当日となった。


この一週間、柊一はずっと諒吾にダンスレッスンを受けており、練習場所である大広間では散々諒吾の怒号が飛んだ。

諒吾はゆりあから柊一のダンスの指導を頼まれた当初、絶対に嫌だと言って頑として受け入れなかったが、試しに躍らせた柊一のセンスの無さに絶望し、「主であるゆりあ様がこんなダサい男を連れ立って社交界に出るなんて耐えられない」と言って最終的に引き受けた。当然指導は熾烈を極め、柊一はしばらく諒吾を「鬼教官」と呼んだ。

柊一の耳には幻聴のようにして彼の怒鳴り声が残り続けている。それは大広間を通りかかる使用人たちも同じで、今日ようやっとあの怒鳴り声から解放されるのだと各々ほっとしていた。


(今年の曲はセレナーデと美しく青きドナウ、春の声…事前にゆりあに聞き出してもらってよかったな)


ステップひとつ知らない柊一にとって、一週間で基礎から学んであらゆる曲で踊れるようになるのは現実的に無理な話だったので、最初から曲を教えてもらい、それに合わせた踊りだけ叩き込む形となった。

ゆりあも実のところ社交ダンスはさほど好きではなかったので、毎年雛子から事前に予定の曲を聞き出し、必要なステップだけ完璧にして参加していたのだ。


御堂家の本宅の広間で美子にタキシードを着せられた柊一は、かっちりとした衣装に全身を拘束されているような気分になり、落ち着かない様子で壁にもたれかかってゆりあを待っていた。

柊一のタキシードは定番の黒のショールカラーで、中の白いブロード生地のシャツに黒い蝶ネクタイをつけている。源治が貸したカフスボタンはサファイアが輝き、一体この小さなアクセサリーひとつで自分の給料何年分に相当するのか、柊一は怖くて聞けなかった。


廊下から足音がして広間を出ると、ちょうど支度を終えたゆりあが柊一を迎えに来たところだった。


「ごめんなさい、待たせたわね」

「…ゆ、」

「どうかしら、今年のドレス。お父様がわざわざ外商さんを呼んで選ばせてくださったのだけど」


ゆりあはそう言うと、自分のドレスをそっとつまんでカーテシー。


露草色のベルラインドレスで、オフショルダーが彼女の細く白い肩口を惜しみなく晒している。首元に輝くダイヤモンドのネックレスの光を吸い込んだ瞳は、くるんと上がったまつ毛のおかげでよくよくその中の星が見えた。

栗色のふわふわの髪はハーフアップにされ、これまたダイヤモンドがはめ込まれたバレッタがこれでもかというほど発光している。


普段幼く見えがちなぶん、今宵のゆりあはより艶っぽく、柊一の知らない女のようにも思えた。



「……似合ってる、……綺麗だ」



気が付いたらそう口走っていた。


「えっ」と目を見開いて頬を桃色に染め上げたゆりあに、はっとして柊一は「いや、」と言いながら自らの口を塞ぐ。


「……ガキも少しはマシに見えるってことだ」

「な、なによそれぇ!褒めてくれたと思ったのに!」


ガスガスと柊一の腕を殴るゆりあをよそに、柊一は脈打つ心臓を落ち着かせるのに必死だった。


少しでもゆりあが視界に入ればドッと血流が激しくなり、指先まで熱くなる。

子供だと思っていたゆりあも、関わることが多くなった最近では年相応の美しい女性に見える。

それは柊一がこれまでゆりあを気にすることがなかったからで———今は意識的にゆりあを正面から見ようという気持ちが芽生えたことが理由だろう。



なんにせよ会場である藤原家に着くまでには、このみっともなく熟れた頬を戻さねばならない。

ゆりあをエスコートしつつ、柊一は片手で自分の顔を扇いだ。












「雛子!誕生日おめでとう!これプレゼント、爺やさんに渡しておくわね」

「ありがとうございます。柘植さんも、本日はお越しいただきありがとうございます。楽しんでくださいね」

「ああ、いや…おめでとう、ございます」


車で藤原家に到着すると、使用人に案内されて雛子が待つ部屋へ通された。

雛子はエンパイアドレスに身を包んでいた。陶器のようなクリーム色の肌によく映える濃紅梅の生地と濡れ黒羽の髪とのコントラストが際立ち、彼女の持つ神秘的な美しさを一層引き出していた。

顎のラインで揃った細い髪の隙間で光る真珠のイヤリングは小ぶりで、細身でしなやかな雛子によく似合っている。


「雛子すごく素敵!なんだか去年より気合いが入ってるじゃない」

「まあ、そう言うゆりあさんもいつもと違う殿方がお相手だから張り切ったのでは?」


雛子がくすくす笑ってそう言うと、ゆりあは「そんなことないもの」と頬を膨らませた。

柊一はいたたまれない気持ちになり、「出てていいか」と言った。


「部屋の外で待ってるから。藤原さまもまだお仕度全部終わってねえみたいだし」


柊一は雛子が座っているドレッサーに置かれたままの櫛と口紅、ネックレスをちらりと見てゆりあに視線を戻す。


「あら、ほんとね。雛子が言った時間のとおり来たと思ったけど…私達早かった?」

「いいえ、時間ぴったりですわ。馨さんも同じ時間にお呼びしたので、もうじき来ると思います。ちょっとパーティーの前にお話ししたいことがあったので、お二人には開始より一時間早い時間をお伝えしたんです」


首を横に振って眉を下げながらはにかむ雛子に、ゆりあは首を傾げた。

柊一は意味ありげな雛子の表情を見て、「余計俺はいない方がいいですね」と言って部屋を出ようと扉に手をかける。ガチャリ、とノブを回した時、その軽さに柊一は怪訝そうに眉を顰め、周囲を警戒しながら勢いよく扉を開けた。


「うわ、っと!?」


扉が内側からぐわんと引っ張られて全開になり、向こう側にいた人影が部屋にもつれ込んできた。

驚いた声が女性のものだったので、柊一が咄嗟に腕を伸ばし、身体を支える。


「申し訳ない、開ける前にノックするのを忘れていたよ。内側から開けるところだったんだね」


入ってきたのは馨だった。

支えにしていた柊一の腕をそっと離して体勢を整え、鮮やかなマラカイトグリーンのドレスのホルターネックを直し、長い脚を使って大股で雛子の元へ近付いた。


「馨さん、いらっしゃい」

「ご招待ありがとう、雛子。ささやかだけどプレゼントがあるんだ」


そして雛子の目の前に手のひらを見せ、「見ていてね」と言って拳を作り、もう片方の手で拳を撫でる。


「ワン、ツー、スリー、はいっ!」


ぽん、という小さな破裂音と共に、何もなかったはずの馨の手にオンシジュームの花束が現れた。

雛子とゆりあはぱっと目を輝かせ、「まあ!」と二人そろって声を上げた。柊一もほぉ、と興味深げに馨を見る。


「16歳の誕生日おめでとう」

「ありがとうございます、すぐにお部屋に飾りますわ」


雛子は花束を愛おしげに見つめ、少しだけ頬を染めながらはにかんだ。そして廊下に控えていた使用人を呼ぶと、花束を預け、花瓶に移してくれるよう頼んだ。

ゆりあは「いいなあ」と言い、馨の腕に抱き着いた。


「馨、私の時はこんな手品してくれなかったじゃないの」

「ゆりあは花よりお菓子の方が喜ぶから。去年母の国のお菓子を倉庫ひとつぶんあげたじゃないか。さすがに倉庫を手から出すのはね」

「お花だって喜ぶのに。馨はいつも雛子にばっかり甘いのよ」


ふん、とふくれてそっぽを向いたゆりあに、雛子と馨は顔を見合わせて呆れたように笑い出す。

柊一は邪魔をしないよう音を立てずに廊下に出て、扉をそっと閉めた。




柊一がいなくなった部屋で、ゆりあは馨から離れ、「それで」と切り出した。

ドレッサーに置いてある櫛を取って雛子の髪に通し、勝手知ったる様子でドレッサー横のチェストの上に置いてある小さな香水棚から、香水と並び立つ椿油の瓶を取り出すと、2,3滴手に出して雛子の髪に塗り付けた。より艶が出た雛子の髪は深い銀河のように輝く。


「話ってどうしたの。一時間も早く私と馨を呼び出して」

「えっ、確かに例年より早いとは思ったけれど。何か話があったの?」


馨は驚いてドレッサーの鏡越しに雛子を見つめた。


雛子は溜息をついて、「ええ」と言うと、口紅を取ってキャップを外す。

くるくると口紅を出して形のよい丸い唇に塗り、ンマンマ馴染ませると、引き出しに口紅を仕舞った。

そして熱を含まない単調な声で、「今日のパーティーは」と呟く。




「……今日のパーティーは、16歳の誕生日パーティーというのは建前で。本当は私の婚約発表パーティーなんです」





しばしの沈黙。

二人とも大きな瞳が零れ落ちそうなほど目を見開いて固まっていた。



その沈黙を破るようにして雛子は続ける。



「だけど…私、なんだか嫌な予感がして。……ゆりあさんじゃないですけど、この結婚、嫌なんです」



雛子が「嫌」と口にすることは珍しい。

あまり自己主張をしないタイプであるし、財閥の本家末裔として親と祖父母が決めた結婚を滞りなく行い、優秀な跡取りを生むことを自身の大義としていた。それなのに特に決定的な理由があるわけでもなく、自分が嫌な予感がするという不確定な事情で、結婚を「嫌」と言った。


その異常さに気が付いたゆりあと馨は、驚いている場合じゃないと頷き、息を呑む。



「……つまり、雛子の話っていうのは、私が柊一に頼んだようなことと同じ」

「えっ、僕らで雛子を攫えと!?」


ぎょっとして無理無理と言いながら馨は手を振る。

雛子は「いいえ」と凛とした声で否定し、「でも似ているかもしれません」と言った。






「お二人には婚約を破棄できるような理由を、…見つけてほしいんです」






黒蝶真珠のような瞳が、ゆりあと馨を真っ直ぐにとらえて離さなかった。

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