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庭師が私を攫うまで  作者: 天乃まりの
萌しの篇
6/15

6 従者交代

柊一はオイルランプの灯りを頼りに、今夜のゆりあの手紙を読んでいた。

初デートの終わり、ゆりあは柊一を護衛として今度のパーティーに連れて行くと宣言した。その詳細を手紙で教えるから、と言われ、現在に至る。


「藤原雛子…ああ、ゆりあのダチか、黒髪の方の」


手紙によれば、ゆりあの言う今度のパーティーとは、来週末に藤原邸で行われる、雛子の16歳の誕生日パーティーのことらしい。

ゆりあは毎年招待されており、去年までは諒吾を伴って参加していた。もちろん護衛の意味合いもあるが、雛子の家のパーティーでは社交ダンスの時間があり、ダンスパートナーとしても丁度よかったのだ。


「はぁ~ん、ダンスねえ……ダンス!?」


胡坐をかいて座っていた柊一は思わずガタンと文机に膝をぶつけた。


「ふざけんな!俺は踊れねえぞ!?」


1人でわあぎゃあと騒いでいると、隣の部屋からトントンと壁を叩く音がした。うるさい、の意だ。

咳払いをひとつして、急ぎゆりあへ返事の手紙を書く。


自分はダンスなんて踊れない、ステップひとつ踏めない、だから行かない。

護衛の役目も諒吾のままに。いくら多少腕っぷしが強いとはいえ、人の護衛などしたことがない。その訓練を受けてきた諒吾の方が適任に決まっている。


というような内容を書いて、綺麗に紙を折り畳む。

明朝これを渡した時のゆりあの不服そうな顔が目に浮かんだ。











「断ると思ってたわ」


翌朝、ゆりあに断りの手紙を渡すと、その場ですぐに手紙を読まれた。

どうにか説得したかった柊一は、時間のない登校前ではなく、ゆりあが起きる頃の時間を見計らって訪問した。

ネグリジェ姿のままのゆりあは一通り目を通すと「ふうん」と言って手紙をたたんで、予想通りといった反応をした。


「な、考え直せ。他のデートならするから。何も俺を連れ立ってパーティーはねえだろ。第一パーティーに出られる服なんかねえし、作法も知らねえ。恥かくのはお前だぞ」

「作法も服もなんとかなるわ。あと一週間以上あるのよ。」

「そんな付け焼刃でどうにかなるもんかよ!言っとくが俺は要領が悪いんだ」


柊一はどうにかパーティーだけは回避したかった。

生まれてこの方金持ち連中のパーティーなんか出たことがないし、そういう場に呼ばれるような身分でもない。

しかもゆりあは社交界でもかなり目立つ。そのゆりあの護衛として従者家系以外の男がついてきたとなれば注目の的になることが目に見えているのだ。


「でもあんたはパーティーに行くのよ」

「だから!行かねえって!」

「行くの。もう決まったから。お父様にもお願いしたわ」

「おとっ……お前まさか旦那様に言ったのか!?」

「契約関係のことは言ってないわ。諒吾をすみれの専属にしたいから柊一と替わらせてって言ったの」


スン、とすました顔で部屋に入り、ゆりあは手紙をライティング・ビューローに置くと、「入って」と言って柊一を部屋の中に招き入れた。


「どうしてもパーティーに一緒に来てほしいのよ」

「なんでそこまでパーティーに連れて行きたいんだ。別に橋本でいいだろ?」


「日程が被ってるの」


それだけ言うと、ゆりあは卓上カレンダーを取って柊一に見せた。

指をさしたところは丁度雛子の誕生日パーティーの日付で、よく見ると手書きで何か記されている。


「……『すみれ 初めてのダンスパーティー』…すみれ様ダンスできるようになったのか?」


柊一の問いに、「ええ」とだけ返すと、ゆりあはドレッサーに腰をおろして寝癖を直し始めた。


「最近調子がいいみたいでね。主治医の先生が無理のない範囲でならと許可してくださったのよ。そしたらちょうどいい時期にすみれのお友達の家でダンスパーティーがあって」

「なぁるほど、それで橋本をすみれ様のパートナーに据えてやりたいわけか」


柊一は合点がいったというように顎をさすり、ゆりあも案外勘がいいなと感心した。


「お前案外敏いな」

「なんのこと?」

「すみれ様と橋本のことだよ。わかっててそうしたんだろ?」


柊一がそう言うと、ゆりあは首を傾げて「何が?」と心底不思議そうに言った。

マジかよ、と柊一は呟き、「いやわかってないならいいんだ」と笑った。


「諒吾は立場上長女である私の護衛につくことを優先しなきゃいけないの。態度には出さないけど、すみれの初めてのダンスパーティーが心配で仕方ないみたいでね。」


ほらあの子すみれの兄みたいな気持ちでいるでしょ、と言って、ゆりあはヘアブラシを置き、柊一の目の前に立つと、絶対に引き下がらないという顔をして「お願い」と言った。


「すみれも諒吾には懐いてるわ。パートナーとしてついてきてくれたら安心でしょう。これからどんどん社交界に出て行く機会も増えるし、そのうち学校にも行けるようになるわ。あの子には諒吾が必要なの。初めてのダンスパーティーはなおさらリードの上手い諒吾が付くべきでしょう」

「い、いや、それでも、一週間じゃあどうにも…」

「ね、柊一、お願い」


柊一を見上げるゆりあの瞳はきゅるんと丸かった。

柊一はこの顔を見たら終わる、と絶対に目を合わせようとしない。きらきらに潤んだ瞳にしゅんと下がった眉、小さな両手をぎゅっと握って顎の近くに持って来て、おねだりのポーズ。ゆりあがこうすることで言うことを聞かぬ者はいなかった。

なまじ効果があることをゆりあ本人がわかっているからたちが悪い。


柊一も例外ではなかった。唯一この顔が効かないのはゆりあが幼いころから身の周りの世話をしてもらっていたばあやくらいである。


「いや、けどやっぱ俺には…」

「柊一。お願いよ」

「ぐぅ…」

「ね?臨時報酬も上乗せするから」

「うぐっ…わぁったよ、行けばいいんだろ、行けば!」


折れた。ついに柊一はゆりあのおねだり顔に負けてしまったのである。


「ただし服もダンスもお前がなんとかしろよ…」

「ええ、当然よ。引き受けてくれてありがとう」

「後で旦那様に俺からも改めて話しに行くって伝えといてくれ…急に時給上げてもらった件もあるし…」

「わかったわ。とりあえずまずは今朝の登校の護衛をお願いね。八時に門で」

「あ、ああ…」


柊一はふらふらとゆりあの部屋を出て行く。負けてしまった自分が情けない。

ゆりあはフン、と鼻で笑って、「どうせそうなるんだから最初から聞いてくれたらいいのよ」と言わんばかりの顔で柊一の背中を見送った。














「旦那様!!僕は納得できません!!」


朝食後のダイニングに学生服姿の諒吾が息を切らせてやってきた。

橋本家は御堂家のすぐ隣にあり、裏庭が繋がっている。諒吾は毎朝自分の身支度を終えると、ゆりあの登校中の護衛のために裏庭から御堂家にやって来る。

弱冠14歳にして有数の商家の長女の従者として生きている諒吾の顔は普段から険しく、眉間の皺は深く刻まれすぎてもう癖になってしまっている。

今朝はその顔がより険しくなり、吊り上がった眉とちらちらと見える犬歯の鋭さのせいで、般若のようにも見えた。


「おう諒吾、今日は早いなあ」


ゆりあの父であり御堂家当主の源治は、読んでいた新聞を折り畳んでにっこり笑い、どれ珈琲でも淹れてやろうと立ち上がった。


「珈琲は結構です!それよりなぜ橋本家長男の僕がゆりあ様の護衛を下ろされねばならぬのですか!」


ドスドスと足音を立てて諒吾はゆりあの席まで近付き、ゆりあをきっと睨みつけた。


「ゆりあ様、何か企んでおられますね」

「あらなんのこと?私はただすみれのためを想って進言しただけのこと」


ゆりあは食後の緑茶を飲みながら、まだ朝食をチマチマと食べているすみれを一瞥した。

姉の視線に気が付いたすみれは、びくりと固まって諒吾を見つめる。


「確かにすみれ様の初めてのパーティーにご同行させていただけるのは光栄です。ですが今回だけではなくこの先ずっとすみれ様の専属になれというのは納得できません」

「あんたが納得できるかどうかは関係ないでしょ。これはあんたの主である私の決定よ」

「だからどうして急に!僕にも橋本家長男としての矜持がございます。御堂家の長子の従者をやめさせられるとなれば、相応の理由がなければ承諾しかねます」

「決まったことにぐちゃぐちゃ言わないでよ。とにかく従者は交代。あんたはすみれにつきなさい」


ゆりあは少しも譲らない。諒吾も橋本家の長男として譲れぬ立場だ。両者の間に飛び散る火花に、すみれは顔を青くしてふるふると震え始めた。

凍り付いた食卓。源治は知らぬ存ぜぬの顔をしていらないと言われた珈琲を淹れている。

見かねた母・美子がため息をついて立ち上がり、「よしなさい」と言った。


「すみれが怯えています。諒吾、納得できない気持ちはわかります。ただほかでもないあなたの主人であるゆりあが決めたことです。あなたが納得できないからと言って決定は覆りません。夫が承諾した時点で、御堂家の決定として扱われるのですから」

「……申し訳ございません」

「ゆりあ。充分な説明もしないで急に交代させるなんて、これまで尽くしてくれた諒吾に対して不誠実ではないの。きちんと説明なさい」

「……はい」


諒吾もゆりあもまだ子供である。返事だけは立派に、ぶんむくれた顔をして二人はそっぽを向いた。


すみれはギリギリと痛む胃をさすりながら、なんとか食べきった朝食の皿を前に「ご馳走様でした…」と小さく呟いた。


「すみれ様、お薬を飲みましょう。今白湯をお持ちしますね」

「あ、諒吾さん、ありがとうございます…」


諒吾はすぐに従者スマイルに切り替え、すみれの湯飲みを持って台所へ消えた。

しんと静まり返ったダイニングで、すみれは居心地悪そうにもじもじと身体をよじらせる。むくれたまま緑茶を啜るゆりあと、やれやれとあきれ顔をした美子を交互に見つめては、どうしてうちの女性陣はこんなに圧が強いのかと肩をすくめた。

厳しい美子に才色兼備で気の強いゆりあ。二人の圧に囲まれてきたすみれは、それに押しつぶされるように気の小さい子に育った。


「すみれ」

「は、はい、お姉様」

「勝手に決めてごめんね。でも諒吾ならダンスも上手いし適任だと思ったの」

「あ、いえ、私は、その…心強いんですけど、でも諒吾さんが」

「いいのよあんたは気にしなくて。あの子もそのうち飲み込むでしょう」

「……でも……」


ゆりあが諒吾に一瞥もくれずつっばねたあの瞬間、諒吾が傷付いた顔をしていたのを、すみれは見逃さなかった。あれはどういう感情から来る顔だったのだろうとぼんやり考える。


(諒吾さん、…すごく嫌そうだった…お姉様のおそばにいられないことがそんなに…)


しゅんと俯いて黙り込むと、コトンと音がして目の前に白湯が置かれた。


「わ、あ、すみません…ありがとうございます…」

「いえ。…では僕はこれで。すみれ様、何か御用がございましたらお申しつけください」

「あ、……はい」


諒吾は刺々しい雰囲気を纏ったまま、ゆりあと目も合わせずにダイニングを出て行った。

バタンと大きな音で閉じられた扉が少し軋み、ゆりあはムッとした顔で「なにあれ」と言った。











諒吾は裏庭に出、自宅に帰ろうとしたところで、離れの縁側に座ってぼうっと松の木を見つめる柊一を見つけた。

ゆりあの朝の護衛の時間までの暇潰しといったところか。自分から仕事と立場を横取りした男に、諒吾は腹の底からぐつぐつと煮えるような気分を覚えた。

ぐっと拳を握って大股で近寄る。


「柘植」

「ん?…ああ、橋本。どうした」

「貴様何を企んでいる」

「……何がだよ」


柊一はぎろりと諒吾を見上げた。蛇のような眼光に、諒吾は半歩後ずさる。


「最近随分ゆりあ様と親し気にしているが、二人で何を企んでいるんだ」

「別に。あいつも高校に通うようになって少しお稽古事が減ったから暇が出来ただけだ。俺はあいつの暇潰しだよ」

「護衛の件も説明しろ。お前にそんな腕はないだろう」

「仕方ねえだろゆりあが決めたんだから。俺だって護衛が務まるなんて思っちゃいねえよ」

「俺を下ろしてまでお前を護衛につけたがる訳を知りたい」

「なんだお前、拗ねてんのか」


諒吾はかっと赤くなって柊一の胸倉を掴んだ。作業服の襟がぐしゃりと潰れる。


柊一は「図星かよ」と笑った。


「俺はなんも知らねえ。ゆりあの気分屋は今に始まったことじゃあねえだろ。今はただ、()()()()ってだけだよ」

「……俺はお前を認めない」

「はいはいそうかよ」


諒吾の手を強く掴んで自分の襟から剥がすと、少しだけ装いを整えて立ち上がった。


「じゃあな、そろそろゆりあの登校の時間だから」


「柘植」


「あ?」


「……少なくとも、()()()()の仕事を続けている限り、お前にゆりあ様のおそばにいる資格はない」


「………」


諒吾の言葉に、柊一は唇を真一文字に結ぶ。見えないように拳を握りしめ、ギリギリと皮膚に爪が食い込む。

一言も答えないまま、諒吾とすれ違うようにして裏庭を後にした。諒吾はその背中をじっと舐めつけるように見つめ続けていた。








(…言われなくてもわかってんだよそんなことは)



門の柱に寄り掛かって待っていたゆりあは、柊一を見つけて嬉しそうに手を振ってくる。



その姿を一瞬瞳にとらえ、柊一は焼き付けるかのように瞼を閉じた。


そしてもう一度目を開けて、ゆりあを眩しそうに見つめながら、そっと手を振り返した。

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