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庭師が私を攫うまで  作者: 天乃まりの
萌しの篇
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4 デート?②

ゆりあと柊一が出かけて行った後、諒吾はゆりあの部屋の隣の部屋、御堂家の次女であるすみれの居室に足を運んだ。

ゆりあの部屋が洋風に改築されたのに対し、すみれの部屋は本人たっての希望で手を付けず、和室のままだ。


襖に手をかける前に一度跪き、中にいるすみれに声をかける。


「すみれ様、諒吾です。入ってもよろしいでしょうか」

「あ、諒吾さん、ちょっと、ちょっとだけお待ちください…」


慌てたような声が聞こえ、とたとたと軽い足音がして、次いで布擦れの音がやってくる。

ああまだ着替えが終わっていなかったか、焦らせてしまって悪いことをしたなと諒吾が苦い顔をしていると、足音が近づき、僅かに襖が開いた。


諒吾が顔を上げると、襦袢を着て額に汗を滲ませたすみれが息を切らせて立っていた。

すみれは母親である美子よりも父親の源治に似ている。ゆりあが栗色のウェーブヘアなのに対し、すみれは黒髪のストレートロングで、目もどちらかというと垂れ気味で幼さがある。まだ十になったばかりなので実際幼いのだが。


「ごめんなさい、着替えが遅くて…」

「こちらこそ急かしてしまったようで申し訳ございません。お琴のお稽古の準備を手伝うようにと奥様から仰せつかって参りました。先生が16時にはいらっしゃるそうですので、急いで着付けてしまいましょう」

「はい、ありがとうございます。お姉様からおさがりでいただいた銘仙を着ようと思うのですが…ほら、あの、鮮やかな躑躅色の」

「ああ…あれですか」


衣装箪笥を一瞥すると、諒吾は首を振って「あれはすみれ様には似合いません」と言った。

すみれはその言葉にぎゅっと襦袢の襟を握り、「ごめんなさい」と呟く。眉尻ががっくりと下がり、垂れ目なのも相まって、くぅくぅと鳴く仔犬のようにも思えた。

ハッとした諒吾が慌てて立ち上がり、「申し訳ございません、出過ぎたことを、言葉もよくない」と自身の頭をがしがしと搔きむしった。


登下校をゆりあと共にし彼女の相手をしていると、彼女の性格に感化されるのか諒吾もあまり言葉を選ばなくなってくる。ゆりあはそれをうまく受け流したり反論したり、諒吾が言い過ぎた際には「弁えなさい」とぴしゃりと叱るので、その調子ですみれを相手にしてしまうと、時々こうして真正面から傷付けてしまうことがある。姉妹で随分と性格が違うものだ。すみれははっきりとした物言いを避ける傾向にあり、他人からもそういった物言いをされることに怯えている。


気をつけようとしていただけに、諒吾は罪悪感に苛まれた。


「言い方が悪かったですね、あの、ゆりあ様の着物は少し派手といいますか、はっきりとした色合いのものを好んで着られる印象があるのですが…僕個人としては、すみれ様にはもっと淡い、そうですね、白藍や淡紅藤のような色がお似合いになるかと…」

「いえ、いいんです、私もあまり似合わないかなって思っていたので…」


眉尻を下げたまま笑うすみれに、ズキズキと胸が痛んだ。


「諒吾さんの見立てなら間違いありませんね。水色の友禅にしましょう」

「…はい」










屋敷の裏門から外へ出たゆりあと柊一は、行くあてもなくとりあえず町の中心部へ向かっていた。

ゆりあは通学以外では基本車で移動するため、初めて歩く道に興奮している様子だった。

あれはなあに、あの家の屋根の色が素敵、あの木は、花は、草はなあに、と、幼児のように繰り返す。


「あれは金木犀。秋口に花が咲くんだ。香りの強い花で、練香水の香料なんかにも使われてるって話だぞ」

「へえ、練香水って使ったことがないわね。どこに売ってるの」

「俺は詳しくねえが、化粧品店にあるんじゃねえのか。まあ、祭りの時の露店に子供向けで売ってるもんは見たことあるが…質のいいもんじゃねえぞ」

「それってお祭りのときにしか出ない?」

「さあなあ。露天商が集まる通りに行きゃあるかもしれんが、あそこは治安が良くねえからなあ。万が一があったら旦那様に殺されちまうから、お前は連れて行けねえよ」


それを聞いてゆりあはムックと頬を膨らませた。


「私も香水をつけてみたいのに」

「奥様の借りりゃいいじゃねえか。たくさん持ってたろ」

「ええ、一度久邇(くに)香水を使わせてとねだったことがあるのだけど。私に香水はまだ早いと言われて使わせてもらえなかったわ」

「ああ…いやそりゃ香水っつーか、()()香水がダメだったっつーか…」


美子が夜会や源治とのデートの時にしかつけない大切な香水だ。一度だけ香りを嗅がせてもらったことがあるが、芳醇な茉莉花の香りがぶわっと広がる、柊一にも高いとわかるほどの一品だった。


「マァでも、お前みたいなガキにゃまだ香りもんは早いかもしれねえな」

「何よ!そのガキとデートしてるくせに」

「俺のこれは報酬が発生するれっきとした仕事ですぅ」


ただでさえ膨らんでいたゆりあの頬がもっと膨らんだ。頬袋いっぱいにどんぐりを詰めたリスのようだ。

柊一は「ふは」と吹き出して、「リスかよ」と言った。


ムキャッと怒ったゆりあが、繋いでいた柊一の手に爪を立てる。

柊一は思わず「いてぇ!」と声を上げ、ゆりあの頬を反対の手で掴み、ぶーっと空気を吹き出させた。

淑女としてそんな真似をしたことがなかったゆりあはカッと頬を染めて、「なんてことするのよ!」と柊一を睨みつける。


「おうおうそんな怒りなさんな」

「まったく、この私の頬に気安く触るのはあんたくらいなもんだわ」


ふんっとそっぽを向いたゆりあだったが、数秒してくすくすと笑い出した。

柊一は急に笑い出したゆりあに驚き、「どうした」と問う。ゆりあは「いえ、おかしくて」と答えた。


「昔はよくこうやってあんたにからかわれては怒ってた」

「ありゃお前が先にちょっかいをかけたんだ」

「うそよ、大体あんたが原因だったわ」

「記憶っつーのは都合よく改竄されるもんなんだなあ」


ゆりあが初等部に上がる前は、庭でよく柊一と遊んでいた。

毎日のように庭を駆けずり回り、服が汚れるのも気にせずに地べたに座って虫や草の観察をしたり、木登りをしたり。柊一が池の蛙を捕まえてゆりあの目の前に差し出して大泣きさせる事件もあった。


立場を考えれば許されないことだったが、当のゆりあが柊一を一番の友達だと思っていたし、源治と美子も柊一の存在をありがたく思っていたので何もとがめられることはなかった。

柊一を屋敷に連れてきた当時のお抱え庭師である茂がひとり、胃を痛めるだけだったのだ。


「私たち、いつから遊ばなくなっちゃったのかしらね」

「お前が手習いで忙しくなったころからだな。俺も庭師としておっさんに厳しくしごかれてたし。マァ友達なんてそんなもんだ」

「でも寂しかったわ」


ゆりあはしゅんとして下を向いた。

こういうところが柊一は苦手だった。わがままで奔放で、柊一を振り回す厄介な女なだけだった方がよほどマシだった。

ゆりあは確かにわがままだ。しかしわがままというのは、言い方を変えれば自分に嘘をつかないということ。自分の気持ちをまっすぐに表現できるということ。


ゆりあが度々見せるこの素直さが、柊一にとっては苦手だった。


「…過ぎたことを言っても仕方ねえだろ。それよりほら、商店街ついたぞ」

「マ!これが噂に聞く商店街!」


歩いているうちに二人は町で一番活気のある商店街にたどり着いた。

八百屋や魚屋の店主が店の前で熱心に声を張り上げて客引きをしている。

今日は葉物野菜が安いよ、いいハマチが手に入ってね、などと魅力的なうたい文句に誘われ、おそらく夕飯のために買い物に来た主婦であろう女性たちがわらわらと群がっていく。


ゆりあは目を輝かせて商店街全体をぐるりと目を回して見渡した。


「こんなに人がいっぱい!」

「ここはでかい商店街だからな。俺もたまに来る」

「あら、ここでお買い物するの?何を?」

「この辺は八百屋とか総菜屋とかばっかりだが、もうちょっと行くと古本屋があってな。そこでたまに本を安く買うんだ」

「本を?何を読むの?」

「俺は難しい漢字は読めねえから、ガキが読むような絵本を買う。こんなんでも、本が読みてえときはあるんだ」

「ふうん…」


意外そうにゆりあが柊一を見上げる。柊一はいい歳した男が絵本は引いたか、と一瞬話したことを後悔した。

そして矢継ぎ早に言い訳を並べ始める。


「いや、俺も別に内容が面白くて読んでるわけじゃ。ガキの本だってわかってるし、ただ字とか文章の勉強になるから読んでるだけで。好きなわけじゃねえ」

「私何も言ってないわ。それに、絵本が好きなのは私も同じだもの」

「え?」


「子供の頃からずっと大切にシンデレラの本を読んでるわ。お父様が昔外国で買ってきてくださったものを、家庭教師の先生が訳してくださったの。当時は題名が違ったけど」

「シンデレラ…っつーと、灰被りか」

「ええ。虐げられていた女性が王子様に見初められて幸せになるお話よ。努力家で控えめで健気で。私とは全然違う」


そう言うゆりあの目はどこか遠くを眺めていた。

傾きかけた太陽の、黄色とも橙色ともつかない光の筋を瞳に映す。


柊一はこの目も苦手だった。どこか悟っているような、それでいて何かに対する消えることのない憧憬の火を宿しているような。


「ね、時間がないわ、その古本屋に連れて行ってちょうだい」

「あ、いや、そりゃ構わねえけど…ここより少し奥まってるし、貧乏長屋も近くにたくさんあって少し治安が悪くなるんだ。俺から離れねえって約束できるなら連れて行く」

「約束するわ。絶対に離れない」


そう言うとゆりあは柊一の手をぎゅっと強く握り直した。


柊一がよく訪れる古本屋は、商店街を進んで一本脇に入った先にある。

川沿いの長屋通りと呼ばれる場所の近くで、そこには金に困った人間がどっちゃりと集まって暮らす長屋が数軒あり、身なりのいい人間を襲って身ぐるみを剥がしてしまうという噂があった。

柊一は被害にあったことこそないものの、明らかに獲物を狙っているような素振りを見せる奴らを見かけたことはある。


戦争の影響で、住むところも家族も金も身体の一部もなくしたような人達だ。本来ならば政府からの救済があっていいはずだが、何らかの理由であぶれたか、それでもどうしようもなかったのだろう。




「…じゃあ、行くか。」




柊一はいつもより一層気を引き締めて、商店街の真ん中を、ゆりあの手を引いて突っ切っていった。



ゆりあは彼の足についていくのに精一杯になりながらも、前を歩く大きな背中を眩しそうに見つめていた。

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