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庭師が私を攫うまで  作者: 天乃まりの
萌しの篇
3/14

3 デート?①

「ええと、それでつまり、柘植さんとは恋人になったということですの?」


朝。校舎の正門の前で待ち合わせをしていたゆりあの友人———藤原 雛子(ふじわら ひなこ)は、怪訝そうに首を傾げた。

顎の高さで切りそろえられた真っ直ぐな黒髪が揺れる。財閥の孫娘で、市松人形を思わせるような純和風の神秘的な美しさから、社交界の華として有名な女だ。


「いいえ、『恋人になって誘拐してもらう』約束をしたのよ」

「えっ…?ではつまり恋人では…?」

「やめておきな雛子、真面目に聞いたら頭痛くなるよ」


混乱する雛子の頭に手を置き、苦笑いをするのはもう一人のゆりあの友人———三条 馨(さんじょう かおる)。男にも負けぬ身長とアメリカ人の母から譲り受けた金髪のショートカットで、一部の女子から異様なほど人気がある。代々医者一族らしく、本人も医学に興味を持っている。


「相変わらずゆりあは突飛な真似をするね。どうして急に政略結婚が嫌になったの?」

「だってよく考えたら恋もしないまま結婚なんておかしいじゃない。庶民のお嬢さん方は自由に恋愛をしてらっしゃるのに。馨のご両親だって恋愛結婚だったじゃない」

「まあうちは単に医者家系っていうだけで、由緒正しきうんぬんかんぬんはないからね。子供のうち誰か一人が病院を継げばいいだけで、結婚相手にはあんまりこだわりないんだよ。女の僕に医者になることは期待してないだろうから猶更ね」


ムックと膨らんだゆりあの頬をつつきながら、馨は「それにしても」と続けた。


学校の玄関につき、上履きに履き替えつつガールズトークに花を咲かせる。


「時給アップを約束してまで結んだ契約関係で、いざ始まるのが文通とはね」


馨はくっくっと肩を震わせながら笑い始めた。雛子も「そうですわねえ、それはちょっとまた…なんというか、古風というか…」と言葉を選びつつ苦笑いをしている。

ゆりあはムッとして、


「じゃあどうしたら恋人っぽいっていうのよ」


と呟いた。

ゆりあ本人は文通を気に入っているので、馬鹿にされたのが悔しかったのだ。


馨と雛子は顎に手を当てながら首を傾げて考える素振りをする。

ゆりあの文通を笑った二人だが、実のところこの二人も恋愛経験はない。

三人とも女子校育ちであることも大きいが、雛子は家柄的に自由恋愛は許されていないし、婚約者についても未だ祖父母と両親の意見が合わず決まっていない。

馨はその男勝りな性格から男が寄り付かず、本人もあまり恋愛に興味がなさそうに見える。


『恋人』とは何たるか。


そんなもの、雛子にも馨にもわかるわけがないのだ。


「ええっとぉ…デート…とかしたら、恋人らしいんじゃ、ないのかな?ね、雛子」

「え、ええ。恋人といえばデートですものね。」

「でえと」


復唱したのち、ゆりあは黙り込んでしまった。


デート。

デートとは何たるか。


たしかによく読む少女雑誌の恋愛小説では、ヒロインと相手の男が二人きりで出かけ、そこで何かをきっかけに仲が深まっていく様子がよく描かれる。

服選びに悩むヒロイン、待ち合わせに浮かれる二人、さりげなく車道側を歩く男、映画を観ていい雰囲気になり、重なり合う手……ゆりあの脳内に、濁流のように『理想的なデート』のカットが流れ込んでくる。

途端にゆりあの目がきらきらと輝き出した。


「いいじゃないデート!やってやろうじゃないの!」


ガタンと立ち上がって背景に炎を背負うゆりあ。

雛子と馨は顔を見合わせ、ゆりあが勢い余って倒した椅子を戻しながら、さてどうなることやらと苦笑した。







「ただいま!」


フンフンと息を荒くし、大股で帰宅したゆりあ。

その三歩後ろをゆりあの学生鞄を持ってついて歩く護衛の橋本諒吾。


「あらゆりあ、随分急いで帰ってきたのね」

「ええ!ちょっとこれから行くところがあって!」


玄関まで出迎えた母親の横をさっさと通り過ぎると、サーキュラー階段を駆け上がって自室へ向かった。

その様子を見ていた母・御堂 美子(みどう よしこ)は、不思議そうな顔をして後から玄関に入ってきた諒吾に話しかける。


「諒吾、あの子どうしたのかしら」

「柘植と買い物に行くそうです。彼は腕も立ちますから万が一があっても大丈夫だとは思いますが、念のため僕も同行しますか?」

「柊一くんと?随分急ねぇ、今まで一緒に出掛けることなんてなかったのに。諒吾はついて行かなくていいわよ、柊一くんが守ってくれるでしょうし。代わりにすみれのお琴のお稽古に付き合ってあげて」

「は、わかりました。先生は何時に」

「16時にはいらっしゃると思うわ。ついでにすみれに薬を飲ませてやって」

「はい」


美子がリビングヘ去っていくのを見届けた諒吾は、睨みつけるようにゆりあが駆け上がっていった階段の先を見つめた。


(…何のつもりだ、柘植柊一)






「柊一!やっぱりそこにいたわね!」


自室に入ってすぐに制服を脱ぎ、先日新しく買ったワンピースに袖を通す。

桜色の上品な丸襟のワンピース。愛用の白い靴下とブラウンのバレエシューズを合わせるのが可愛いと思って購入したものだ。

初デートにはちょうどいい。


部屋奥のバルコニーへ出てすぐ下の庭園を覗き込むと、しゃがんで花壇の雑草をむしっている柊一の丸まっている背中を見つけた。


ゆりあの声に顔を上げた柊一は、らんらんと光る彼女の目とめかしこんだ服装を見て、嫌な予感がすると眉をひそめた。


「……ゆりあお前また何か企んで、」

「柊一!私と今からデートしましょう!」


そうら来たぞ厄災が。柊一は深く深く溜息をついた。






———三十分後に裏門に集合で!ちゃんとデートらしい恰好してきてよ!



それだけ言うとゆりあはバルコニーから自室に引っ込んでしまった。柊一は「ちょっと待て!」と叫んだが、それで待ってくれるゆりあではない。

何よりゆりあは柊一がデートなんてめんどうくさくてたまらないと思っていることを知っている。

だから柊一の意見なんて聞いてたまるかとさっさと隠れてしまったのだ。


当のゆりあはドレッサーに座って髪を結い直し、おしろいと口紅をつけるだけの簡単な化粧をしていた。

顔回りと前髪をまとめて後ろで高めに結い、リボンをつけて完成。

おしろいはつけすぎると粉浮きしてしまうから、薄めに。

口紅は『キッスしても落ちない口紅』をキャッチコピーとしたキスミースーパー口紅だ。

桜色のワンピースに合わせ、淡いピンク色のものをチョイスする。


(お化粧自体は元々好きだけど、どうしてかしら…今日のお化粧はとびきり楽しい気がするわ)


ドレッサーの引き出しから口紅を選ぶとき、色とりどりのリボンの中から服に似合う色のものを選ぶとき。その一瞬一瞬が楽しくて、内側から活力が湧き出るような感覚さえした。


(小説の女の子たちはみんなこんな気持ちだったのかしら)


ウォークインクロゼットからブラウンのショルダーバッグを出し、全身鏡でコーディネートをチェックする。

リボン曲がってないかしら、そうだ物足りないから真珠のイヤリングもしてみましょ、とあれこれ準備にいそしむその姿は、まさに少女雑誌の1ページのようだった。





一方柊一。


(…どうしたもんかねえ)


部屋の隅に追いやられたハンガーラックに、埃防止のカバーがついたままの洋服が2,3着並んでいる。

柊一は毎日庭師として働いていて、オシャレな洋服を着る機会は滅多にない。

たまに源治が社会勉強のためにと洋食レストランやパーラーに連れて行ってくれるときくらいだ。

それ以外は動きやすい作業着だし、和装にしても質のいいものは持っていない。

そもそも服に構うような性格ではないのだ。


中途半端な格好で行けばゆりあは大いに拗ねるだろう、と柊一は頭を抱えていた。


「…もういいか、これで。格好良くもねえが、ダサくもねえだろ。」


選んだのはごく普通の生成りのシャツに黒いスラックス。源治のおさがりでもらったベルトだけは高級品なので、それさえつければなんとなく身なりが整ったように感じる。

柊一は全身鏡なんて持っていないので、隣の使用人部屋を訪れて、どこか変なところはないかと尋ねた。


「柘植さん珍しいっすね、洋服着るの」

「ゆり、…あー、ゆりあお嬢様がな、買い物の伴をしろって。」

「ふうん、男手が必要なんすかね。大きいものでも買うんですか」

「さあな。」


隣は料理人見習いをしている若い男が住んでいる。中年が多い使用人の中では唯一歳が近いため、柊一とはよく互いの部屋を行き来し、ものの貸し借りや暇つぶしにおしゃべりをしたりしていた。




ファッションチェックを終えて柊一が離れの裏口から屋敷の裏門へ向かうと、既に準備を終えたゆりあが待っていた。



ふわふわと風に揺られる栗色の髪。細い糸のようなそれは陽の光に照らされ、黄金色に輝いていた。

桜色にぷっくりと艶めく唇に髪がくっつかないように、髪の束を細い指でとらえては耳にかける、を何度か繰り返す。


まだかしら、と足元を見ながら柊一を待つゆりあを見て、柊一は思わず、



「……綺麗だなぁ」



ぽつり、と零した。


そしてすぐにハッとして自分の口を手で押さえる。


(俺今なんて言った!?あのゆりあを『綺麗』っつったか!?冗談じゃねえクソガキだぞ!)


自分で自分の発言が信じられず、思わず硬直してしまう。



そうこうしているうちにゆりあが顔を上げて柊一を見つけ、花が綻ぶような笑顔を見せた。



「柊一!」

「あ、ああ、悪い、待たせた」

「いいえ、今来たところよ。……あっ!このやりとり、小説で読んだわ!」



どことなくぎこちない柊一に比べ、ゆりあはキャッキャッと嬉しそうに両頬を手で包んで、「私は今愛子を追体験してるのよ」と小説のヒロインになりきった。


そんなゆりあに柊一は思わず笑って、「馬鹿なやつ」と言った。



「どこに行くか決めてんのか」

「決めてないわ!柊一がエスコートしてちょうだい。デートだもの」

「お前ってそういう女だったよ」


柊一が少し悩んだ素振りをしてから、「女が喜ぶ場所なんざわかんねえぞ」と言うと、ゆりあはきょとんとしてからすぐにくすくすと笑い出した。


「あんたがそんなこと言うなんて」

「笑うなよ、こっちだって給料分はちゃんと恋人をやろうとしてだな」

「デートって、女性が喜ぶ場所に行くものなの?」


ゆりあはああおかしいと言いながら笑いすぎて滲んだ涙の玉を拭いた。




「正しいデートってよくわからないけれど、手を繋いで歩くだけでもデートになるんじゃないかしら。私、それだけでも喜ぶわよ」




そう言って柊一の手を取ると、幼い頃のように握り、「繋ぎ方合ってる?」と尋ねた。




ぶわり。突然握られた手から体中が次第に熱くなってくる。

途端に柊一の視界の彩度が上がった。すべての植物の色が濃く鮮やかに見え、その中でもゆりあの姿が一層際立って、彼女の全てに視線が惹きつけられてしまう。


三日月に笑った桜色の唇はつやつやとして、おしろいで整えられた肌は陶器のようだ。柊一を見つめる瞳の奥は花火のようにぱちりぱちりと輝いている。




「あ……いや、恋人、なら、こっちだな」




どくどくと跳ねる心臓を「嘘だろ」と誤魔化すように首を振って、柊一はゆりあの指と自分の指を絡ませるように握り直した。


ヒャア!と毛を逆立てる猫のように驚いて、ゆりあは「恋人ってすごい繋ぎ方するのね」と言った。

柊一は赤くなる頬を見せないように顔を背けると、裏門の扉を片手で開けた。


「暗くなる前に行くぞ。夕飯までには帰るからな」

「ええ、わかったわ。行きましょう」





こうして二人の初めてのデートの幕が上がったのである。

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