14 交換条件
「まあまあまあ!ようこそいらっしゃいませ!」
にこにこと笑う男———京極壱誠は、背後に嫌そうに顔を顰めるゆりあと、訝しげに壱誠を睨みつける柊一を携え、玄関で待っていた美子に一礼した。
「美子さま、お元気そうで何よりです。先日の毒島グループのパーティーぶりですね」
「ええ、どうぞ上がって、今すぐにお茶を出しますから」
嬉しそうに壱誠を招き入れ、いつもより数段高いトーンの声できんきん喋る美子の態度に、ゆりあは今にも吐きそうな顔をして居心地悪そうに身を揺らした。
それに気が付いた美子の目がきゅっと吊り上がる。
「ゆりあ、何してるの。早く着替えて京極さんをおもてなししなさい。あなたの婚約者なのですよ」
「……はぁい」
「柊一くんも、お迎えご苦労様。あとはいいから、自分の仕事に戻って」
「はい」
柊一はそのまま踵を返し、玄関扉を開けた。客人に気を遣ってか、中の渡り廊下ではなく、外から回って離れに向かうつもりなのだろう。
ゆりあは柊一の後姿をちらりと見て、自分の方を一度も見なかったな、と少し落ち込んだ。
(…私の婚約者が現れたっていうのに、柊一は少しも気にならないのかしら)
心にぼんやりと雲がかかる。言いようのない苛立ちを抱え、ゆりあは階段を上がって自室へ向かった。
制服を脱ぎ、美子にうるさく言われないように余所行きのワンピースに袖を通す。紺色のAライン、五分丈の袖に白色の百合の花の刺繍が施してある。この服を着るのは基本的に源治の仕事相手の家に招かれた時や、逆に客人が来る時、後はせいぜい観劇に行く時くらいなので、柊一の前では着たことがない。もちろんデートにも着て行かない。
なんとなく、この服を着る時のゆりあはゆりあ本人ではなく、御堂家長女という偶像の皮を被るような感覚なので、柊一とのデートにこの服を着ていくのは嫌だったのだ。
逆に言えば自分の婚約者の前でこの服を着るのは、ゆりあの無自覚な当てつけのようなものだった。
ドレッサーで軽く髪を整え、いけ好かない男が待つ客間へ足を運ぶ。
客間の扉を開けると、ソファに腰かけた壱誠がにこやかに出迎えた。
テーブルには既に客人用のカップとソーサーで紅茶が出されていた。香りからして未開封の一級品のものをわざわざ出したらしい。キッチンの戸棚の奥に仕舞われていたのを思い出す。
「ゆりあさん、そのお洋服も素敵だね」
「…どうもありがとう」
失礼にならない程度に笑顔を作り、壱誠の向かいのソファに座る。
壱誠はゆりあの様子に肩をすくめて笑った。
「僕のことが嫌いかい?」
「!!…いいえ、そんなことは。失礼な態度に映ったのでしたら申し訳ありません、今少し学校のことで考え事をしていて」
一瞬ぎょっとして、すぐにゆりあは首を振った。
咄嗟に取り繕って出した話題に、壱誠はほう、と頷き、「どのような?」と含みのある笑みで尋ねた。
———面倒くさい。
ゆりあは素直にそう思った。ただでさえよく知らないうちに用意された婚約者であるのに、先ほどからなれなれしいこの態度。そして詮索が好きそうな目。
ゆりあが警戒するには充分な条件が揃っていた。
「大したことではございませんの、文化祭の準備のことですから」
「ああ、文化祭、懐かしいね。僕も高等学校生だったときはかなり本気で取り組んだよ。ゆりあさんのクラスは何を?」
「皆で作って持ち寄った洋菓子を販売するんですの。私のグループはドーナツを。コーティングするチョコレートをどこから仕入れるか悩んでしまって」
精一杯の作り笑顔でそう答えると、壱誠は「それだったら!」と瞳を輝かせて膝を打った。
「僕にいいツテが。実家が貿易商なんかしてるとね、自然と本場の味を知っていくもんだけれど、初めてブリュッセルの老舗のチョコレートを食べた時の感動が忘れられなくて。父に我儘言って毎年大量に買い付けてもらうんだ。今日も手土産に持ってきたんだ、後でご家族と召し上がって」
興奮した様子でまくしたてる壱誠に、ゆりあは一瞬眉をひそめ、上半身を少しだけのけぞらせて「ええ、ありがとうございます」とだけ言った。
「もしも気に入ってくれたら、いつもうちで買い付けるのと同量をゆりあさんに送るよ」
「あら、そこまでしていただいて、私は一体何を差し出せばよろしいのかしら」
ゆりあがそう言うと、壱誠はハッハッと高らかに笑って、「何もいらないよ」と言った。
タダより怖いものはない———商家の長女として耳にタコができるほど聞いた言葉。
ゆりあは不敵に笑い、「ご冗談を」と唸るような低い声で言った。
「まさか私が婚約者だからとでもおっしゃるの。薔薇の花束の代わりにチョコレートを?京極家の口説き方は変わってますのね」
「いいや、口説くときはもっと夜景が綺麗なフレンチで、白百合の花束を贈るさ。———どれもあの野蛮そうな男にはできない芸当だろう?」
ゆりあの眉尻がぴくりと動いた。
あの野蛮そうな男、というのは間違いなく柊一のことだろう。
「…怒らせたかな。ゆりあさんは使用人を大切に思う素敵な主人だからね」
「…一体何を企んでいらっしゃるの。先ほどからどうにも探られているような気がして、居心地が悪いわ」
「それは失礼を。———ただ、そうだね、『何もいらない』は嘘だ」
壱誠はそう言うと立ち上がり、テーブル越しにゆりあの指先に触れた。
「な———」
「チョコレートを提供する代わりに、僕と文化祭デートをしてくれないかな」
「……はぁ!?」




