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庭師が私を攫うまで  作者: 天乃まりの
萌しの篇
12/15

12 梅雨入り

あの騒動から二か月ほど。

日本列島は梅雨に入り始めていた。


結論から言って、時忠は例の別棟にセツと一緒に暮らす運びとなった。

雛子の両親は事の次第を全て知って当然ながら激怒し、時忠に軽井沢の別荘で余生を過ごすように頼んだが、雛子がそれを強く拒み、両親も時忠が急に持ち込んだ縁談を何も怪しまずに受け入れてしまったことを反省していたこともあり、普段は息子夫婦の生活圏に入らないことを条件として、別棟での暮らしを許可したのだった。


セツは自分から申し出て時忠と共に別棟へ移った。その真意は雛子にもセツの息子である雛子の父にも、無論時忠にもわからないが、恐らく三元家と時忠の因縁を知っていながら今回の婚約に何も口を出さなかったことに対し、何かしら考えがあってそうしたとは思われるものの、少なからず責任を感じているのだろう。


三元製薬に関しては、時忠が藤原財閥の名前を一切出さないことを条件に警察関係者の友人に回収した薬を証拠品として渡し、前々から警察もマークしていたことから捜査が始まり、あれよあれよとこれまでの悪事が暴かれた。

本社の地下室では治療法が確立していない伝染病の治療薬を作るための被験体として浮浪者や貧乏人の子供を攫っては故意に感染させ、死に至らしめるなどの非人道的な行為も行っていた。また、困窮した女性を連れてきては麻薬を投与し判断力を奪い、男性社員に性的なサービスを提供するための部署(表面上は『相談室』などと謳っていたが)を設置していたことも判明した。

現会長であるナオコの夫、そして現社長である浩一をはじめ、犯罪行為に関わっていた会社上層部の社員が数人逮捕された。

浩二についても、はじめ家業にそこまで参画していなかったことから無関係と思われたが、弟を道連れにしてやろうという浩一の証言や、その他浩二の女遊びの()()()をしていた社員がいつか報復してやろうとして残していた日記などが証拠となり、逮捕と相成った。


さて肝心のナオコがどうなったかだが。


ナオコは藤原家の別棟から連れ戻されたのち、三元家の二階の奥の部屋でほぼ監禁状態で暮らしていたが、今回の三元家の家宅捜索の際に警察がナオコを発見し保護された。

ナオコ本人が「家に閉じ込められていたので事業のことは何も知らない」と供述し、ナオコが関わっていた証拠も何一つ発見されなかったために、彼女は『極悪非道な夫に騙され閉じ込められていた妻』であると同情的な意見が多かった。また幸いなことに長きにわたる監禁生活による心身への影響はほとんどなく、そのことによって世間は彼女を『逆境に負けぬ強い女性』として認め始めていた。


その後ナオコは犯罪に加担していなかった一般社員のための支援をするとして、三元製薬という会社を畳むまでの期間、会長代理の座についた。再就職先の斡旋から退職金等に関する一切の相談を引き受け、誰一人として置き去りにはせぬと宣言した彼女に対し、日本中から賞賛の声とあたたかい声援が集まった。

ナオコは一躍時の人として、新聞・雑誌・テレビ取材に追われ、40代後半になってもなお衰えないその美貌にも注目が集まり、化粧品の広告などにも起用されるようになり、平塚らいてうの有名な一節をもじって『太陽婦人』などと呼ばれるようになった。




「…フン」


ナオコが表紙を飾る女性誌を汚いものでも触るかのようにつまんだ柊一は、「やっぱりな」と呟いて棚に戻した。


「柊一、何見てたの?」

「雑誌。それよりお前、必要な本買えたのか?」

「ええ、よかったわ、洋菓子の本があって…」


柊一の元に紙袋を持ったゆりあが駆け寄ってきた。その顔は満足そうに綻んでいて、腕の中に抱えた本を見て「楽しみだわ」と言った。


ゆりあの通う女学校では、毎年前期期末考査の一か月前、六月後半あたりに文化祭を開催している。

三年生のお姉さま方は凝ったお化け屋敷や喫茶店を出店するようだが、ゆりあたち一年生は初めての文化祭なのでそこまで凝った店にすることはなく、それぞれのグループで作った洋菓子を持ち寄って販売する程度に留めようとクラスで決まった。


「私と雛子と馨で、うちのキッチンでドーナツを作ろうと思うのよ」

「まぁた藤原さまと三条さまか?お前、交友関係もっと広げようとか思わねえのか。二人以外に友達いないんだろ」

「い、いないけど!仕方ないじゃない、もうほとんどクラスの中だと仲良しの組が固まっちゃってるのよ…」

「女ってほんとすぐ固まるよな」

「ひとくくりにしないで頂戴」


つんとそっぽを向いたゆりあにハイハイと言って、柊一は書店の前に停まっている車の後部座席のドアを開けた。ゆりあは慣れた様子でそこから車に乗り込む。すっかり柊一は従者としての仕事が板についてきたようだ。

反対側のドアから柊一も車に乗り、二人は帰路についた。


「あ、ねえ、柊一!文化祭の日、庭師の仕事はお休みにしておくから、あなたもいらっしゃいよ!」


本宅の玄関にさしかかったあたりで、ゆりあは思い出したように上半身を反らせ、既に離れの方へ向かっていた柊一に声をかけた。

柊一は面倒くさそうに振り向いて、


「ガキのお店屋さんごっこに付き合うくらいなら庭仕事の方がマシだ」


と一言残して歩いて行った。


ムキャ!と眉を吊り上げたゆりあは、もう誘ってあげないんだから、と舌を突き出した。











自室に戻った柊一は、文机の引き出しが少しばかり開いていることに気が付いた。

ぎょろんと狭苦しい部屋を見渡す。人の気配はない。

布団一式を入れただけでいっぱいいっぱいになるような小さな押し入れをスパンと開けて、中に誰もいないことを確認する。


部屋の入口の襖を閉めて、文机の引き出しを引っ張り、中をそっと覗いた。


一通の手紙が入っている。ゆりあからではない。



『水無月 十三日 丑の刻

 ※読了後 燃ヤスコト』



それだけ書かれた簡易的な書類だ。しかし柊一には、これが何を意味するかわかっている。



「…クソ」



引き出しにしまってあるマッチと、昔兄弟子から譲り受けた安物の灰皿を取り出す。


マッチに火をつけ、手紙の端に近付けると、じわじわと火が広がって手紙が灰となってゆく。

持てないほど熱さを感じ始めたところで、手紙を灰皿に置いた。パチパチと控えめな音をたてて、ゆらめく炎の中で白い紙のかけらが踊っている。


「……姉貴…」



灰皿の上の燃え屑を眺めながら、今にも消え入りそうな声でそれだけ呟いた。










———同刻 中央官庁 総理府———



「それで、きちんとお手紙は届けてくれたかな?諒吾くん」


上等な革のソファに長い脚を組みながら腰かけ、優雅に珈琲を飲みながら、その男は目の前の少年に微笑みかけた。


「ええ、滞りなく」

「そう。それはよかった。いつもありがとうね」


諒吾は両ひざの上に拳を置き、自分と向かい合う男をじっと見つめた。

自分の父やゆりあの父よりだいぶ若く、しかし柊一ほどは歳の近くない男。

不思議と若作りに見えない狼カットの髪は柔らかく跳ねていて、顔立ちの涼やかさや体の線の細さもあいまって随分と頼りない印象を受ける。

見れば見るほどゆりあの父———御堂源治とは似ていないな、と諒吾は心の中で独り言ちた。


御堂 聡支(みどう そうし)———御堂源治の弟であり、ゆりあの叔父である。


「あ、ごめんね。お客様に珈琲も出さないで」

「いえ、結構ですので」

「諒吾くんにはまだ苦かったかな」

「いただきます」


クスリと笑ってからかうような言い方をするので、むっとした諒吾は勢いで珈琲を注文してしまった。

含みのある笑みを浮かべて、聡支は応接間から奥に続く給湯室に向かい、パーコレーターからカップに珈琲を注ぐ。


「さっき作ったばかりだから、多分まだあたたかいよ。冷めてたら淹れ直すから」

「いえ、ありがとうございます」


カップを受け取って、諒吾は一口珈琲を含んだ。そしてすぐに苦悶の表情を浮かべ、「イ”…」と声にならない声を歯の隙間から漏らしてしまう。

その様子をカンラカンラと笑って見ていた聡支は、満足したのか給湯室に再度消え、すぐに手に角砂糖の入れ物を持って戻ってきた。


「やっぱり14歳には早かったね」

「子ども扱いしないでください…と言いたいところですがありがたく頂戴します…」


ポチャポチャと角砂糖をふたつみっつ入れ、諒吾は苦さに痺れた舌を空気に晒してひぃひぃ言いながら、笑顔を崩さない聡支を再度見た。


「……聡支さま、柘植の仕事はいつになったら終わるんでしょうか」

「うーん、僕としても早く終わってほしいんだけどね。如何せん額が足りないって島のヌシが言うもんだから」


こればっかりはね、と、聡支はなんでもないことのように言った。

諒吾は何を言っても無駄だと溜息をついてカップをテーブルに置き、ふと音がした気がして窓の方に目をやる。窓ガラスに水滴がひとつ、ふたつ、と増えていく。


「あ、…雨」

「おや、降り始めたね。どうりで今日は髪の毛が言うことを聞かなかったわけだよ」


指先に髪の毛先を巻き付けてくりんくりんと回転させるようにして、参ったねというように肩をすくめる聡支を見て、いつもそんなものでしょうと一蹴する。


「嫌な季節だよねえ」


聡支はそう言って窓辺に立つと、きゅっと目を細めて遠い空の分厚い黒雲を眺めた。

その背中を横目にとらえながら、諒吾は甘い珈琲を喉に流し込み、カップを空にして立ち上がる。

「ごちそうさまでした」とだけ言って荷物を持って扉に手をかけたところで、後ろから聡支の「またね」という声が降ってきた。


それには答えず、軽く会釈だけして、諒吾は部屋を後にした。






(…『またね』、ね)

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