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庭師が私を攫うまで  作者: 天乃まりの
萌しの篇
11/15

11 青草のダンスホール

ゆりあは、時忠の話を聞いて放心状態の雛子を連れ、客間を後にした。

柊一は使用人に頼み、事の次第を馨に伝えようと広間にある電話を借りに行った。

客間に残された時忠はしわくちゃの頬に涙を一筋流しながら、重い静寂を丸い背に背負い、項垂れていた。


ゆりあは震える雛子の肩を抱いて、途中でお茶を運んでいる使用人に会ったので二人分雛子の私室へ持ってくるように伝えた。

私室に戻った雛子は、ふらつく足取りでベッドに座り、ゆりあも隣に腰を下ろした。


「雛子、あの、…つらいでしょう」

「……はい、正直に言うと、少し」


ゆりあが雛子の背中をさすってやると、ワッと顔を覆って泣き出してしまった。


「おじいさま…どうして…」


雛子にとって時忠は厳しくはあったがよき祖父であった。

休日を利用して雛子と遊んだり、多忙な両親に代わって雛子と一緒に食事をとったり、雛子が寂しい思いをしないように努めてくれた存在だった。

だからこそ自分を犠牲にしてかつての不倫相手とその息子を守るために、幸せになれるとは到底思えない婚約を取り付けたことが雛子にとってはとてつもないショックだったのだ。


更に、仲が良いと思っていた祖父母の夫婦仲が冷え切っていたこと。

時忠の不倫に気がついていたであろうセツが何も言わなかったこと。

愛し合う祖父母に望まれて生まれた父、そしてその父と母から生まれた自分は、愛の連鎖から生まれた存在だと思っていたのだ。


「こんなのってないわ…」


ゆりあの唇がわな、と震えた。

ぎゅうと拳を強く握りこんで、元々のつり目がこめかみにくっつきそうなほど吊り上がっている。


化け猫のような顔をしながら、ゆりあは甲高くギャンと吠えた。


「不倫していたことも許せないし、それをずっと隠していたことも許せない!自分の息子かもしれないのに雛子の結婚相手にあてがうのも、それがナオコさんと浩二さんを守るためなのも、あとあの別棟!あれが一番気持ち悪いわ!わざわざ増築したのもだけど、昔自分とナオコさんが不倫の巣として使っていた場所を、今度は浩二さんと雛子の住まいにさせるなんて!」

「ゆ、ゆりあさん…?」


きぃきぃとサルががなるように時忠への不満をぶちまけた。

雛子はその様子を見て、驚いたような引いたような曖昧な顔で少しのけぞった。涙もいつの間にか引っ込んでしまい、今は困惑の方が勝っているように見える。


「雛子、おじいさまを許してあげることないのよ。もう隠居させて、雛子の視界に入らないようにしましょうよ。絶対それがいいわ」

「ま、待って、ゆりあさん」

「だって絶対許せないもの!」


ゆりあの怒りは富士山頂より天高く打ち上がっていた。もう最高潮というやつである。

ゆりあはオイタをした人間に正しく罰が下らないことをこれ以上ないほどに嫌っている。

先ほどは急で仰天してしまい狼狽えたが、浩二の件は今回が初犯ではないことは明らかで、同じような手口で被害に遭った少女たちがいることを冷静に考えると、時忠に言われた通り刑事事件に発展させて正しく処罰を受けさせた方がいいかもしれないと思い始めた。

そして時忠についても、大親友の雛子にこんな悲痛な顔をさせるだなんて、あのジジイこそ巨悪なのではないか?と少々苛烈な思考に至っていた。


「ここで許したらきっとまたどうにかしてナオコさんと浩二さんを引き取ろうとするわよ」

「さすがにそれは父と母が許さないと思いますが…」

「いいえ!藤原家の実権を握ってるのはまだおじいさまだもの、絶対絶対何かしてくるわ!」


こうなったらゆりあはもう止まらなかった。

完全に時忠を悪者として、とっちめてやろうという気持ちに支配されているのだ。


雛子は少し困ったように眉を八の字に曲げ、「ゆりあさん」と落ち着いた声でゆりあの手を握った。


「ゆりあさんの目には、おじいさまはとんでもない極悪人に映ってらっしゃると思います」

「ええ、ええ、悪人も悪人だわ!事の発端はおじいさまの不倫だもの!」

「私も、今回のおじいさまのしたこと、許せることではないと思っています」


ゆりあは、そうでしょ!?と言わんばかりに大きく何度も頷いた。

そんなゆりあを見て、雛子は寂しそうに笑い、「でも」と続けた。


「今まで私を大切に育ててくださったのも、おじいさまなんです」

「そ…そりゃ、そうかも、しれないけど」

「ゆりあさんにとっておじいさまは他人ですもの。裁くのも簡単でしょう。でも…」


雛子は少し間をおいて、自分のデスクに飾られたオンシジュームの花を見つめた後、ゆりあの目と合わせるように視線を戻す。


「……私の気持ちは、そう簡単に決着がつくものではないんですのよ」


そう言って雛子は柔らかく笑い、ゆりあの手をそっと解くと、ベッドから立ち上がって窓を開けた。

窓の外はどんよりとした曇り空。湿気た空気を肺に送り、溜息ごと外に吐き出す。


「…ついさっきまでは動揺してしまって、悲しいとか、どうしてとか、そういう気持ちばかりでした。でも、私以上におじいさまに対して怒ってくださるゆりあさんを見て、少し冷静になりました」


雛子は聡明な女である。傍目から見れば確かに時忠は若い女にうつつを抜かして愚かな行いをしたどうしようもない老人だろう。しかし雛子は、物事はただ一面からみるべきではないということを常に心がけるよう、他でもない時忠から言いつけられていた。


「…あれほど愛した女性がいながら、藤原家当主の務めを果たし、私を可愛がってくださった。元から私を浩二さんの妻にしようとして育てたわけではないと思います。ただきっと…かつて救いきれなかったナオコさんと浩二さんを…今度こそ救い出したいという気持ちが膨れ上がってしまったんだと思うんです」

「でもっ…そんなの、雛子を利用していい理由には…」

「ええ。私もその点に関しておじいさまを許すつもりはありません」

「それなら…」

「ですが、おじいさまと会えなくなるのも悲しいのです」

「あ…」


ゆりあはハッとして眉を下げた。

ゆりあに欠けていたのは、自分が雛子だったらどう思うか、という視点だ。未熟さゆえの純粋な怒りは正しいと言えば正しいが、時忠の身内である雛子の複雑な心境を無視してしまっている。

しおしおと風船がしぼむように勢いをなくしたゆりあは、「ご家族の結論を待つわ」と言った。


「ごめんなさい、私、気持ちが先走って」

「いえ、怒ってくださって嬉しかったです。私一人では、あんなに素直におじいさまのしたことを怒れなかったでしょうから…」


雛子はそう言って窓を閉め、「あとは家族会議で結論を出すしかないですね」と言って、残念そうに笑った。










「そう、…雛子のおじいさまがそんなことを」


電話口で馨が呆れたように深く溜息をつくのが聞こえた。

やはりそういう反応にはなるよな、と思いつつ、柊一は今の雛子の状態と、浩二の処遇についても話した。


「俺は雛子さまへの世間の批判を防ぐためにも、今回のことは公にせず、藤原家で内々に処理すべきだと思います。ゆりあも大事にする気はないと思うので…三元製薬の悪事のほうが表沙汰になるころには、雛子さまと浩二の婚約も完全になかったことになっているでしょうから。既に業界内でも三元兄弟の手癖の悪さは話題になっているみたいですし、芋づる式にバレるでしょう」

「そうだね。雛子と親しい僕たちとしては、それが一番いいと思ってしまうね」

「…と、言いますと」


馨の声の温度が急激に下がった。柊一に対して怒っているわけでも、時忠に対する失望でもない、ただただ何かを嫌悪するような色を含んだ声だった。


「あの様子じゃ薬を使った強姦の常習犯だろう。ただこれまでそれが公になったことはなかった。被害に遭った女性たちが誰一人として被害を訴えていない、なんてことはないと思うんだ。大事になって自身が好奇の目で見られることを恐れてしなかった人はいるとは思うけどね」

「…握り潰されたと?」

「さァね。そもそも三元の後ろ暗い噂がこれだけ出てきているのに警察が動かないところを見るに、内部に()()()()()でもいるんじゃないかな。あるいは金の力で口を封じたか———証拠不十分で相手にされなかったか」

「…つまり三条さまは、そうしてなかったことにされた女性たちのためにも、浩二を今警察に突き出すべきだと」

「今回のことは僕たちが仕組んだとはいえ、あれだけの人数が強姦寸前の現場を目にし、飲ませようとした薬も出てきた。それが僕たちの仕組んだ作戦だったにせよ、まァ警察が多少相手にしてくれるくらいの証拠はあるわけだ。今後三元製薬の裏の顔が明らかになって、流れで兄弟の悪事も話題に上がったとしても…強姦はね、被害から時間が経っていたり、証拠がなくて被害者の記憶のみが頼りの場合は事件として取り扱ってもらえないことの方が多いんだよ。今回のように証拠が残る方がレアケースだ。三元兄弟に法の裁きを受けさせる絶好の機会なのに、それをみすみす逃して内々に処理したなんて———被害者感情としては、『ふざけるな』の一言だろうね」


それはそうだろうな、と柊一も電話越しに頷いた。

ただ馨の声が少しだけ、ほんの少しだけ震えているように思えて、馨の言葉は被害者たちの気持ちを代弁したものではなく、馨自身の気持ちを表したものなのだろうと感じた。


(…16の女がこんな声を出すなよ。ご令嬢っつーのは、皆そんな色々抱えなきゃなんねえのかね)


「まあゆりあが刑事事件にしないというならそれまで。僕が口を出すことではないね」

「…恐らくこれから藤原家で家族会議が始まります。雛子さまがご参加されるかはわかりませんが、時忠さまの処遇が決まり次第、浩二氏のことも決まるでしょう」

「そうだね。———柘植さん」

「はい?」

「ナオコさんって女性のこと、あなたはどう見る?」


馨にそう問われ、柊一は一度受話器を耳から離し、言葉を必死に選ぶように眉間に皺を寄せた。


「———雌蟷螂」


柊一が一言だけそう零すと、電話越しに馨が大笑いする声が響いた。



「同意見だよ」










藤原邸から帰ったゆりあと柊一は、今晩8時に中庭で会おうと約束してそれぞれの部屋へ戻った。


ゆりあはパーティーの準備で忙しかった間書かずに止めていた手紙のやり取りを再開させるため、ガラスペンをとってノートのページを一枚破ってライティング・ビューローに座った。


パーティーに行ってくれてありがとう、あの時助けに来てくれてありがとう、突っ走ってごめんなさい。

そんな内容をつらつらと書き連ねていく。




夜8時。


ネグリジェの上に、ポケットに手紙を入れたカーディガンを羽織って中庭へ足を運ぶと、着流し姿の柊一が佇んでいた。


「柊一」

「おお」


さくさく草を踏んで近付くと、柊一はゆりあの服装を見て顔を顰めた。


「お前、そんな格好でうろうろすんな」

「誰にも会わなかったわ」

「だとしても。離れには男も結構いるんだからな」


柊一の忠告を聞いているのかいないのか、サワサワと夜風に吹かれながらゆりあは空を見上げた。

最近の東京は工業の発展が著しく、排気ガスによる大気汚染ですっかり星が見えなくなってしまった。


「ねえ柊一、雛子のおじいさま、これからどうなるのかしら」

「さあな。藤原さまが望んでない限り、家族と離れて隠居ってことにはならないんじゃねえか。まあご両親の気持ち的に今まで通りにはいかないとは思うが」

「…そう…。…ご家族の意思が一番大切だって、わかってはいるけれど…なぁんか納得いかないのよね」


そう言ってゆりあは、足元にあった石ころをひとつ、サンダルの爪先でコンッと蹴っ飛ばした。放物線を描いてストンと草の中に落ちたあと、ころりころりと転がって池に入った。

ほんの小さな水しぶきと、柔らかく消えていく波紋を眺めて、ゆりあは柊一を振り返る。


「これっておかしいのかしら?」

「…まあお前が納得いかないなら、浩二のことも訴えて、時忠さまのことも公に発表すりゃいいんじゃねえの」

「………意地悪」


ぷい、と頬を膨らませて池の方を眺める。ぼんやりと輪郭を失った月が映りこんでいた。


雛子のためを思えば、今自分がすべてを公にすることは得策ではないことはわかっている。

それが社会的に、法的に正しくはないとしても。


曇りがかったゆりあの顔を見、柊一は溜息をついてゆりあの腕を引っ張った。


「ちょっと、何」

「せっかくあれだけ鬼指導されて踊れるようになったのに、結局一度も披露せずに終わったなって」

「ダンス?悪いけどそんな気分じゃないわよ」


柊一の手を振り払うように肘を後ろに引こうとするゆりあを強引に引き寄せる。華奢な体は簡単に傾いて、柊一の胸元に顔を突っ込むようにしてなだれ込んだ。


「ねえ!やめなさいよ!」

「お前が考えたってしょうがねえことなんだよ。モヤモヤするくらいなら頭空っぽにして身体動かせ、ほら」

「そんなこと言ったって…ちょっと待ってよサンダルじゃやりづらいわ!」


ぎゃんぎゃんと文句を言うゆりあを、柊一はしょうがねえなあと言って片腕で抱き上げた。

空いた片手でゆりあの足に引っ掛かっているつっかけのサンダルをぽろぽろ適当に地面に落として、そのままゆりあを下に降ろした。


「キャーッ!裸足で土を踏むなんて!」

「うるせえな、ガキんときはよく裸足で駆けずり回ってたくせに。あ、今もガキか」

「今と昔じゃ違うわよ!もぉ…草がちくちくして気持ち悪い…」

「ほら、俺も脱ぐから。おあいこだろ」


柊一も下駄を適当にすっ飛ばして、素足を草の上におろす。


月下でゆりあと柊一は、青々とした草をしっかり踏んで向かい合った。

ゆりあは「強引なんだから」とぶつぶつ言いつつ、柊一の手を取る。浩二に触られた時のような違和感や気持ち悪さを一切感じない、あたたかくて少し節くれだった手。


柊一のリードで踊り始めると、ふわりとネグリジェの裾が夜の帳の中で舞う。


「あーあ。綺麗なドレスじゃないし、ハイヒールじゃないし、髪だって結ってないし。音楽もない。」

「はいはい、ほら回れ」


言われるがままターンして、柊一の顔を改めて見つめ直す。

どこか寂し気だが、ゆりあに対する慈愛がこもっているような、やわらかな瞳をしていた。

それを見て、なぜだか急に胸が締め付けられるような切なさを覚えた。誤魔化すように精一杯顔を背けて、夜風に頬を照らして熱を冷ます。


「…まあ、たまにならこんなダンスもいいかもしれないわね」


ゆりあがそう言うと、柊一は得意げに「そうだろ」と微笑んだ。



「…あんま考えすぎんなよ。お前はお前の感じたことをそのまま大事にしとけ」



そう言った柊一の目は、ゆりあを眩しいものを見るような、憧憬を孕んだ、遠い景色を見つめるような色をしていた。

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