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庭師が私を攫うまで  作者: 天乃まりの
萌しの篇
10/15

10 過ちの代償

パーティー翌日、ゆりあと柊一は二人で雛子の家を訪れた。


道中の車内で深刻そうなゆりあの顔を見て、柊一は窓を開けて空気を入れ替えてやったりしていたが、彼女の顔が晴れることはなかった。


「…お前、本当に旦那様たちに昨日のこと言わなくてよかったのか」

「…ええ、事態が本当に収束するまでは。藤原家で解決するまでは、ことを大きくすべきではないわ」


ゆりあは昨日の出来事を両親に話さずにいた。

というのも、藤原財閥と御堂家は取引関係にあり、藤原家のパーティーでゆりあが危険な目に遭ったとなれば、両家間の関係が悪化しかねないと考えたからだ。

そもそも浩二の本性を暴くためにいわばハニートラップを仕掛けたようなものだったので、自分が被害者面をして浩二を糾弾するのが少し後ろめたかったのもある。


気が付くと藤原邸の前に車は止まっており、二人は車を降りて呼び鈴を鳴らした。

少し経って雛子が出てきて門を開けた。憔悴しきった様子で、一睡もできなかったのか目の下には青いクマがくっきりと浮き上がっている。


「ひ、雛子…あなた大丈夫なの?」

「え…ええ、ごめんなさい心配かけて…。柘植さんもわざわざ申し訳ありません…」

「あ、いえ、俺は…」


ゆりあが雛子に駆け寄り手を握ると、雛子の瞳にじんわり涙が滲み始めた。

慌ててゆりあがハンカチを差し出すと、雛子は「ごめんなさい」と言って受け取り、軽く目尻にハンカチを当てて涙を拭うと、使った面を内側にしてたたみ直してゆりあに返した。


ゆりあと柊一は客間に通された。

少しして雛子が祖父を連れて客間に戻って来て、人数分の茶を使用人に頼むと、二人と向かい合うようにソファに腰かけた。


気まずそうにゆりあが未だ立ったままの祖父に会釈すると、祖父はソファの横に杖を立てかけ、深く頭を下げた。


「…先達ての身内の無礼、本当に申し訳ございませんでした。本人に代わってお詫び申し上げます。許してほしいとは言いません、もう少し遅ければ強姦事件に発展していたでしょうから刑事告訴していただいても構いません。藤原家としましても御堂さんのお望みの処分を彼に下すつもりです。」


「えっ、刑事告訴って、そんな…」


厳格な年上の男に頭を下げられたという事実に加え、刑事告訴という言葉に仰天したゆりあは、どうしたらいいかわからず柊一を不安げに見上げた。

柊一はその視線に気が付いて溜息をつくと、「やめてもらえませんか」と声を低くして雛子の祖父を睨みつけた。


「しゅ、柊一!」

「昨日の今日でゆりあも混乱しています。三元浩二の処遇については今すべき話ではないでしょう。それに、幼いゆりあに人一人の人生を左右するような判断を迫らないでいただきたい。大人の責任としてそちらが正当な処分を下すべきではありませんか」

「ちょ、ちょっとあんた、相手が誰かわかってるの!?」


ゆりあは慌てて柊一の後頭部を掴み、「申し訳ございません、うちの者が!」と自分と共に頭を下げさせた。


おろおろと両者を交互に見つめる雛子の隣で、雛子の祖父は顎髭をいじりながら、「ハッハ!」とカラカラ笑い出した。

そして灰色がかった瞳で柊一を見つめると、降参だというように肩をすくめてどっかりソファに腰を落とした。


「いや結構結構。いい従者だ」

「え…?」


ゆりあが顔を上げ、柊一も鬱陶しそうにゆりあの手を払いのけて顔を上げると、雛子の祖父は眉尻を下げて柔らかい笑みを浮かべていた。



「…浩二は、別棟の自室に監視付きで籠らせているよ。奴の処分を決める前に、雛子にも…御堂さんたちにも、話さなければならないね。どうしてワシがこんな急に雛子と奴の結婚を決めたのか…」



そう言うと、雛子の祖父は自分と三元家の関係、浩二についてをぽつりぽつりと語り始めた。









「…ワシが浩二の母…現在の三元会長夫人であるナオコと出会ったのは今から30年前のことだった」



当時雛子の祖父———藤原 時忠(ふじわら ときただ)は、藤原財閥系列のひとつの会社の社長を務めていた。

その当時の取引先の社長の次女が、現三元会長夫人であるナオコだった。


「ナオコは当時18歳。ワシは45歳だった。近所でも評判の別嬪でな、ワシも年甲斐もなくあの子の美貌の虜になってしまった」


雛子はそれを聞いて口元を押さえ、顔を青くした。「おばあさまがいたのに」と呟くと、時忠は沈痛な面持ちで「すまない」と言った。


「ナオコは不思議な魅力を持っていてな、目が合っただけで恋に落ちる男が続出したものだから、何かの妖術でも使っているんじゃないかと噂になるくらいだった。ワシもいかんとわかってはいてもどうしてもあの子に惹きつけられてしまった」


ナオコはその美貌に加え、気立てが良く誰にでも平等に優しい女であった。

名家の次女でありながら気取らず我儘も言わず、派手な暮らしを嫌っていつも質素な格好をしていた。周りの男たちは余計に贈り物に熱を注ぎ、ナオコはそれをひとつひとつ丁寧に断っていた。


「ワシとセツは…お前のおばあさまのことだが、政略結婚でな。おまけにセツには長年想い人がいた。日露戦争で亡くなってしまったがな。今でこそ仲はいいが、…互いに老いぼれになったからこそで。雛子、お前が生まれるまではワシたちの夫婦関係はとても業務的で…冷めきっていた」

「そんな…信じられませんわ、だっておばあさまとおじいさまはいつも仲がよろしくて…私もおじいさまたちみたいな夫婦になりたいと…幼いころからずっと…」


そこまで言うと雛子は口を噤んでしまった。時忠の笑みがとても哀しそうで空虚なものに思えたからだ。


「ワシは取引先に行くたびにナオコを口説いていた。ナオコも初めはつれなかったが、次第に心を開くようになって…父親ほど歳の違うワシのことを、本気で好きになってくれた。世間知らずのお嬢様だったから、どこに連れて行っても何を与えても大層喜んでくれてな。ワシは幼く綺麗なあの子を自分の作った箱庭で囲っているつもりになっていた。ただ…」


柊一はその言葉にぴくりと眉尻を動かした。そして隣で神妙に時忠の話を聞くゆりあに視線を移し、戻してから目を伏せた。

時忠は懐かしむように天井を見上げ、目を伏せて両の手の皺と皺を擦り合わせた。


「ワシは立場も名声もある人間で、不倫したうえ10代の女と再婚するとなれば世間や業界内での批判は免れん。家の名を守るためには、セツと別れてナオコと一緒になることは出来なかった」


ナオコもそれをよく理解していたので、時忠に結婚を迫るようなことは一切言わなかった。


それから時忠は満州への事業拡大や欧米諸国との事業提携で忙しくなり、次第にナオコの元へ通わなくなってしまった。ほんの少しの期間の淡い恋として、勝手な話ではあるが時忠の中では綺麗な思い出として昇華されていった。


数年してナオコの家の事業が失敗し、経営が立ち行かなくなり、ナオコの両親と姉夫婦はそろって自殺してしまった。

ナオコは天涯孤独の状況に陥り、そんなときに彼女との結婚を望んだのが現三元会長であった。当時はまだ会長ではなく、社長の身だったが。

ナオコには両親と姉夫婦が残した借金があり、三元家はその借金の返済を肩代わりする代わりに、ナオコを娶ることを望んだのだった。


時忠がそれを知ったのは長期のヨーロッパ出張から帰国した時だった。


「ワシが戻った時にはすべての話がまとまっていた…。寂しくはあったが、結婚もしてやれん中年のワシとずるずる曖昧な関係を続けるより、相応の男と結婚した方がナオコにとっても幸せだと…これでよかったと、その時はそう思っていた。結婚してすぐに長男の浩一くんも生まれたしな」


時忠の気持ちが変わったのは、三元ナオコが長男浩一を生んでから七年ほど経った頃だった。


「ある日…あれはそう、酷い雨の日で…ナオコがずぶ濡れで街中を歩いているのを見かけた」


尋常ではない様子でふらふらと歩くナオコに時忠はすぐに駆け寄り、どうしたのかと尋ねた。


曰く、夫の暴力から逃げ出したのだという。


夫はここ数年で人が変わったように短気で暴力的になり、何か気に入らないことがあればすぐにナオコに手をあげるようになってしまったらしい。それが殴る蹴るの暴行に留まらず、嫌がるナオコに性行為を強要するようになったと。

浩一に被害が及ばないようにとナオコの計らいでイギリスの寄宿学校に留学させたのだが、それが夫の逆鱗に触れたようで、ついには刃物を持ち出す勢いだったために慌てて家から逃げ出したとナオコは語った。


『少しでいいんです。私を囲ってくださいませんか。あの時のように』


「抗えんかった。瘦せ細ったあの子の体にいくつもの痣が見えてしまって」


柊一は考え込むように前腿に肘をつき、顎を手で支えるような仕草をした。


「…三元氏が豹変したのは、麻薬でしょうか」

「今考えるとな。当時はワシもとにかく必死で、三元製薬の事業のことまでは調べる気にならんかった。当時ちょうど我が家の古い箇所を改築する予定があったんで、ついでとばかりに別棟の増築を依頼した。ワシはそこにナオコを囲い、住まわせた」


ゆりあはハッとして浩二の話を思い出した。

二十年ほど前に建ててから長らく使われていなかった別棟。

そこはナオコのために誂えられた鳥籠そのものだったのだ。


「別棟が完成するまでは、ナオコを隠すように離れの客間に住まわせ、信頼できる使用人を一人だけナオコの世話係にした。その日からナオコとワシは時間を取り戻すように愛し合った。セツは恐らく気付いていたと思うが、ワシに関心がなかったのか何も言わなかったよ」


それから数か月して、ナオコの妊娠が発覚した。


「ワシの子…と言いたいところだが、月を計算してみると妊娠したのはナオコがワシの元へ逃げ込んだ時期で。それまで毎日のように三元に性行為を強要されていたこともあって、どちらの子かわからなくなってしまった。その子が二歳になったとき、ナオコの居場所が突き止められ、三元家に連れ戻されてしまった。三元はその子が自分の子だと信じて疑わなかった。時期が時期だったからな」


雛子は勢いよく顔を上げ、「そのときの赤ちゃんが浩二さんなんですね」と言った。

時忠は何も言わずに頷いた。


ゆりあは少し考えてから何かに気が付いたのか、眉を吊り上げて「待ってよ」と零した。


その声は怒りに震えていて、握った拳が真っ白くなっていた。


「もし本当におじいさまの息子だったら、雛子にとって叔父にあたる人じゃない。それって…」

「傍系血族の三親等内。近親婚になるな」


柊一がゆりあの言葉を補うように付け足した。


雛子はその言葉にサッと顔色を青くし、信じられないというような目で時忠を見つめた。


「…最低な祖父だということはわかっている。近頃、浩二の手癖の悪さがほんの噂程度ではあるが業界内で囁かれ始めた。それが三元の麻薬事業と深く関連していることも。三元が秘密裏に強姦用の睡眠薬や麻薬を製造して密売人とも取引があることは、業界内ではもう有名な話になった。昨日御堂さんがくれた薬もその類のものだ。すべてが公になるのも時間の問題だと思ったワシは、せめてナオコと浩二を三元から離してワシの目の届くところに置いておきたいと考えた」


「……だから大学を出たばかりでまだ三元製薬の事業に本格的に関わっていない浩二を婿入りという形で藤原家の人間にしてしまおうと考えたんですね。後にすべてがバレても、浩二は知らなかったで通せる。浩二が望んだと言えば、母であるナオコさんが藤原家に越してくることも難しくはない」


柊一は顎の傷をさすりながら、「藤原さま…雛子さまを犠牲にしてまで、守ろうとした」と付け加え、じろりと時忠に鋭い視線を送った。


「その通りだ。当時ナオコを囲っていたワシからの縁談の打診など三元は聞き入れないと思っていたが、三元はナオコがどこに身を隠していたのかなど覚えていなかった。薬のせいもあるかもしれん。早い方がいいと思い、雛子が結婚できる歳になると同時に…だが、やはりこうなってしまったな…」


「そんな…悪い噂があることを知っていて雛子と結婚させるなんて!なんだと思っているの!?どれだけナオコさんと浩二さんが可愛いの!?おばあさまとの関係がどうあれ、雛子はあなたのたった一人の孫娘なのに!あなたの思い付きに巻き込まれる雛子の身にもなりなさいよ!」


辛抱ならんといった風にゆりあは立ち上がり、今にも時忠に食い掛りそうに怒鳴った。

柊一がそれを慌てて止めてゆりあを座らせると、ひとつ溜息をついてから時忠に向き直った。


「失礼しました。……時忠さま、俺達からもひとつ、白状せねばならないことがございます」


「なんだ」


「……昨日のゆりあのことですが、あれはゆりあが浩二の本性を暴くために仕掛けたことだったんです」



時忠はその言葉に目を見開き、ゆりあに視線を移した。

ゆりあはドキッとして苦笑し、「ごめんなさい」と言った。


すかさず横から雛子が、怒りや悲しみに震える声で、「私がお願いいたしました」と言い出した。


「雛子…」


「おかしいと思ったんです。おじいさまが随分急いで婚約をお決めになったから。普段のおじいさまなら絶対にしないことです。浩二さんに何かがあると思って、ゆりあさんたちにお願いして探ってもらったんです」


「俺と三条さまはもっと着実にことを進めるつもりだったんですが、ゆりあが突っ走りまして。結果的に騒動になってしまって、ご迷惑をおかけして申し訳ございません」


「ちょっと!私だけ悪者にしてっ」


「いや、良い良い。……そうか、雛子、お前は悟っていたか…」



眩しいものを見つめるように目を細めて、時忠は雛子の顔を双眸に映した。


ああ、この子はセツに似たんだな。力強い眼差しが、人を見抜く聡明さが、自分がずっと苦手に思っていた妻にそっくりだった。


きっと妻には自分が薄っぺらくて浅はかな人間であることがわかっていたのだろう。妻はいつも自分を批判的な目で見ていた。


だから逃げたのだ。純粋に自分を尊敬してくれる幼い女に。浩二の好みは自分の遺伝だろうなと自嘲するほかない。


だからこんなに老いるまで、妻と分かり合えなかったのだ。







「……愚かな祖父ですまない、雛子。お前の両親にはワシから全て話そう。そして縁談は白紙に戻そう。お前たち家族が望むのなら、ワシは引退してどこか遠くに隠居しよう。……本当にすまなかった。ワシの思い付きでひどくお前を傷付けてしまった。…御堂さん、柘植さんも。巻き込んで本当に申し訳なかった…」



そう言って深く頭を下げた時忠の背中はやけに丸く小さく見えて、大物の威厳、などというものは全く感じられなくなった。




ゆりあは目の前のただの老人を、茫然と見つめていた。

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