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庭師が私を攫うまで  作者: 天乃まりの
萌しの篇
1/15

1 恋をしてそして攫って

「私と恋をして、ここから攫ってほしいの!」


名家『御堂家』の庭師として働く柘植 柊一(つげ しゅういち)は、松の木を剪定していた手を止め、訝しげに声の主を振り返った。


「……何言ってんだクソガキ」


そこに佇んでいたのは、桃色の銘仙の着物を着た御堂家の長女———御堂 ゆりあであった。

ゆりあは柊一の眼光の鋭さと顎の傷にびくりと怯えて少し後ずさったが、こちらも負けちゃいられないと二歩近付き、「私と恋をして」ともう一度声高に告げた。


「三年後、高等学校の卒業のときよ。私をこの家から誘拐してちょうだい。」





御堂家は200年以上前から続く名家である。初めは小さな商家であったが、初代当主の御堂松之助が相当なやり手であったため、瞬く間に大商人と成り上がり、主に幕府や大名家を得意先として富を築き上げた。

その血が濃いのか厳しい商人教育の賜物なのか、歴代当主は皆商才に恵まれており、時代を跨げば跨ぐほど御堂家の力は増大していった。

それは当代当主である御堂 源治(みどう げんじ)も例外ではない。


「お父様がおっしゃったの。高等学校を卒業したら、私は貿易商の息子さんと結婚することが決まってるんですって。」


ゆりあは十六年前に源治の長子として生まれ、そのビスクドールのような顔立ちから周囲に可愛がられ、それはもう蝶よ花よと育てられた。くっと吊り上がった零れ落ちそうな大きな目、その瞳は青みがかった黒曜石のように輝き、小さく尖った鼻や口角の上がった薄い唇は猫を思わせる。昔から近所では名前の通り百合の花のように美しいと評判の娘であった。

名家の長女であることの誇りから少々強気でわがままなところはあるにしても、それすら「芯の強い女性」であるとして賞賛を受けている。見目麗しいというのは得なことだ。


さてそんなゆりあも今年の春より高等学校に入学することと相成った。

いわゆるお嬢様学校というような女子校である。同級生は皆同じく名家の出で、政界、医療界、経済界に名を轟かせる家ばかり。

元々パーティーやらお茶会やらで顔を合わせたことのある者ばかりが通うので、初対面の新鮮さはほぼ無いに等しい。女子会の延長線上にたまたま高等学校があったという感じだ。


ゆりあの話によれば、高等学校を卒業すると同時に、御堂家と懇意にしている取引先の貿易会社の社長の次男を婿に取るよう源治に言われたのだそうだ。

それは決定事項であり、既に先方とそのつもりで話を進めていると。


「ありえないと思わない?私まだその人に会ったこともないのよ。ねえ柊一聞いてる?」

「ハイハイ、名家のお嬢さんは大変なこって」

「何よその言い方!あんたの態度、お父様にバラしてやったっていいのよこっちは」


ゆりあはつまらなさそうに頬を膨らませ、腰かけた縁側のふちに手をかけ、ぶらんぶらんと足を揺らし始めた。


「ばあさんに見つかったらすげえ勢いで怒鳴られるぞ、それ。行儀悪いって」

「ばあやは今買い物中だもの。ね、それより、お願い聞いてよ」


ぽぉんと履いていた下駄をすっ飛ばし、地面に落ちていた松の葉を箒で集めていた柊一の尻にぶつける。


「いって!おいクソガキ調子乗んなよ」

「あんたが私の話をちゃんと聞かないからじゃない!」


振り返った柊一が声を荒げると、ゆりあも負けじと声を張り上げてオギャンと吠えた。


なぜただの奉公人である柊一がこんな口の利き方をできるのかと言えば、この二人は幼少からの幼馴染であるからだ。

とはいえ歳は柊一の方が三つ上。出会ったのは柊一が七歳の頃であるから、ゆりあは四歳。

当時のお抱え庭師であった柘植 茂(つげ しげる)のもとに柊一が弟子入りしたことがきっかけで、御堂家に連れてこられた。


ゆりあはその頃から淑女教育を受けていたためにあまり柊一と関わる時間もなかったが、時折庭に出ては柊一と話をしたり鞠で遊んだりしていた。気兼ねなく遊べる歳の近い相手が屋敷にいないことを心配していた両親もこれには大層喜んで、柊一をゆりあの遊び相手として認め、好きに屋敷を出入りさせていた。


ゆりあが初等部に上がると本格的に名家の長女としての教育が始まり、家庭教師やら手習いやらでほとんど遊ぶ時間がなくなり、柊一は柊一で庭師としての修行が忙しかったため、二人はめっきり顔をあわせなくなってしまったが。


そんな中でもゆりあは何か悩み事が出来た時や両親とばあやには話せないことがある時に庭を訪れ、柊一を見つけて捕まえてはこうして絡んでいた。


「もう仕方ないだろ、旦那様が決めたことなんだから。当主の決定にはさすがのお前でも逆らえねえし、何よりそれが御堂家の発展とお前の幸せのためだって旦那様が考えて決めてくださったんだろうから。」

「でも私、勝手に相手を決められた結婚なんて嫌だわ。知らない人だし。」

「知らない人じゃねえだろ。先月の毒島グループ創立記念パーティーの時に会ってる」

「なんであんたが知ってるのよ」

「橋本が文句垂れてた。西洋かぶれのいけ好かねえ野郎だってさ」


橋本というのは、代々御堂家の従者として護衛を任されている橋本家の次代当主候補である橋本 諒吾(はしもと りょうご)のことだ。

まだ十四歳でありながら武術に長け、ゆりあの護衛としてパーティーや登下校の伴をしている。


「諒吾が?……ちょっと待って思い出すわ」


ゆりあはうーんと首を捻るが、なにも思い出せないようだ。


「茶髪の長身で優男だったらしいぞ。お前の手の甲にキスしたっていう」

「……ああ!そういえばいたわねそんな人!」

「なんで覚えてねえんだよ」

「あのパーティー、出されたお菓子が美味しかったのよ。そっちに夢中になってたわ」


うすぼんやりその男のことを思い出しながら、ゆりあはぐっと頭を後ろに下げ、天上を見上げた。


「……悪い人ではなかったとは思うけど、でも私やっぱりこんな形で結婚相手を決められるのなんて嫌だわ。何よりお父様、決める前に私になんにも相談してくれないんだもの。私のことなのに…」


しゅんと声のトーンを落として呟くゆりあの隣に、松の葉を集め終わった柊一がどすんと座った。

頭に巻いていたタオルを取っ払って乱れた髪を直しながら、「それで」と口を動かす。


「それでなんで俺と恋をして連れ去ってもらおうってことになるんだよ」

「おうちの中で一番歳が近いから」


フン、と言い捨てたゆりあに、柊一は開いた口が塞がらない。


「おまっ…それだけで!?恋愛ごっこなら他でやれよ!」

「だって出会いがないじゃないの!学校はずっと女子校だったし、名家のご子息はみんな私の家を目当てに言い寄って来るし、歳が近くて私を『家』で見てこない男の人ってもうあんたしかいないのよ!諒吾は家の関係的に絶対無理だし、弟にしか見えないし!」


ゆりあはそう捲し立てて一息つくと、空の雲を突き抜けそうなほどの大きなキンキン声で叫んだ。


「私だって少女雑誌の恋愛小説みたいな大恋愛をしたいのよぉ~~~~~!!!!」


両こぶしをぎゅっと握って、瞳に涙の玉を浮かべながら吐き出すゆりあ。


柊一は数秒目を見開いて固まっていたが、はあ、とため息をついてゆりあの背中をぽんぽんと叩いた。


「つまり?まともな恋愛を一度も経験しないまま政略結婚の道具にされるのは嫌だと」

「そうよ」

「なら一度経験すれば満足すんのか」

「しないわ」

「なんでだよ」


漫画表現をするなら柊一はここでずっこけているところである。

ゆりあは肩を落として、「わかってるの」とこぼした。


「本当はちゃんとわかってる。いいお婿さんをとって優秀な男児を生むことが私の責務だって。そのために色んな教育を受けさせてもらったんだもの」


名家の長女として生まれた自分の宿命だ。

残念ながら男が生まれなかった当代では、女が良い婿を取るほか御堂家の繁栄を守る方法はない。


すみれ(・・・)には無理だしね」


柊一はそれを聞いて押し黙る。


すみれというのはゆりあの六つ下の妹だ。身体が弱いため学校にも行けず、屋敷にこもりきりになっている。


「でも、…私だって雑誌や街で見かける女性みたいに、普通に出会った普通の人と、普通の恋をして、普通の結婚がしたいのよ…。家とか、跡目とか、そういうの抜きにして…」


言葉が尻に向かって段々と小さくなっていく。楽譜で言えばデクレッシェンド。

そもそも誘拐された末の誘拐犯との結婚は普通の結婚と言うのか?と柊一は首をかしげた。いや普通ではない。


ただゆりあが求めている『普通』とは、結婚を目的とせずに出会い、恋に落ち、そして結婚をする、『恋愛結婚』のことであろう。

最近彼女が熱心に読んでいる少女雑誌には純愛ものの恋愛小説がたくさん載っている。連載もあって、続きが気になるあまりに出版社に乗り込んで発行前の原稿を見せてもらおうと画策したこともあった。それを話した時点で柊一に「アホ抜かせ」と止められてしまったが。


「ンマ、お前がそういう結婚を望んでたとしたって、俺はその相手になんのは御免だね」

「どうしてよ!私こんなに可愛いじゃない!」

「お前……あーあー旦那様と奥様が可愛い可愛いで育てるから……」

「ねェ~~~~どうして私じゃダメなのよ、難しいお願いじゃないじゃない、可愛い私を好きになって、結婚前にここから連れ出してくれればいいだけなんだから」

「難易度がエクストラなんだよなぁそれは」


ゆりあは隣に座った柊一の肩に自分の肩をドスドスとぶつける。揺らされるまま柊一は受け流した。


「第一俺に何の得もない」


それを聞いたゆりあは、閃いたというように目を輝かせる。柊一は「ゲ」と思わず漏らした。これはゆりあに何らかの良くない策を思いつかせてしまった時の顔である。


「お父様にあんたのお給金を上げるように言ってあげるわ」

「……」

「どうしてかは知らないけど、必死にお金貯めてるって他の植木屋さんから聞いてるわ。何か目的があるんでしょ?」

「……いやそれでも誘拐は無理だって」

「じゃあとりあえず、とりあえずよ。高校の三年間、私の恋人みたいに振る舞って。それで私に恋を教えて。誘拐はあとあと考えたらいいんだもの。とにかく私と恋をして。」


ゆりあは柊一の腕を掴んで、うるうるした瞳で彼の顔を覗き込んだ。

濡れた双眸はきらきら輝いている。

戦中、疎開先で見た田舎の星空のようだと柊一は思った。


「……どれくらい上がる」

「お時給100円」(※)

「ダメだ、200」

「マ!欲張るわね。いいわ、200円上げてあげる」

「交渉成立だな」


柊一は立ち上がり、頭のタオルを巻きなおすとゆりあを振り返った。


「恋をする、ってーのは、男女交際をするってことでいいのか」


ゆりあはボッと顔を赤くして、「それはまだ早いんじゃないかしら!?」と慌てて首を振った。


「それの前の段階ってものが、ほら、あるでしょう?」

「前ェ?」

「こう…(ふみ)のやり取りをしたり、お出かけをしたり、手を…手をつないだり…」


両手の人差し指の指先をちょんちょんと合わせながら、視線を泳がせてもごもごと話すゆりあに、柊一は絶句した。


(そこからか そこからなのか お嬢様)


心の中で一句したためつつ、ため息をついてゆりあの手を取った。


「ギャ!」

「お嬢様がなんて声出しやがる。とりあえず立てよ、着物シワんなるぞ」

「え、ええ」


いそいそとゆりあが立ち上がると、柊一は照れ臭さからかぼりぼりと頭の後ろを掻く。


「あー……じゃあ、とりあえず、文の交換からか?俺は字がきたねえが…」

「構わなくてよ。私の文で綺麗な字を学ぶといいわ!」

「一言余計なんだよなぁお前」

「じゃあ、とりあえず今晩あんたのお部屋に文を持っていくわ。お返事は明日ちょうだい」

「ああ、わかった」

「よろしくね!」


さっきまで赤面していたゆりあだったが、途端にフンスと得意げな顔をした。

ちょうどばあやが買い物から帰ってきたため、ゆりあは柊一の手を離して家の中へ入っていった。


ゆりあの小さい背中が遠くなっていくのを見届けて、柊一は自身の手のひらを見つめる。


(……マ、すぐに飽きるだろ。)


















月明かりが柳の葉を照らす。

川沿いを千鳥足で歩いていた一人の男は、不意に自身の足音のほかにもう一つ、足音があることに気が付いた。

酒を飲み過ぎて幻聴が聞こえているのだろうか。こんな真夜中にこんなところを歩く人間は自分くらいなものだろう。


ザッ、ザッ

ザク、ザク、ザク


自分の足取りより少し速いペースで後ろから歩いてくる。

なんとなく気味が悪いように感じた男は、立ち止まって背後のソイツが自分を追い抜いてくれるのを待った。


ザ。

ザク、ザク、ザク、ザク


段々と近付いてくるその足音に鼓動も一緒に早くなる。

頭の中で警鐘が鳴らされる。

どうか立ち止まってくれるな、なんともない顔で俺を抜ききってくれ。


ザ。


男の願いを裏切るように、足音は男のすぐ後ろで止まった。


張りつめた緊張感と恐怖に辛抱ならず、男は勢いよく振り返った。


「だ、――――」


誰だ、と言おうとしてブツンと音が途切れる。

男の首はゴロンと転がり、坂を下って川へ落ちた。


ボチャン。


「あーあ、川に落とすな言うたのに」


カランコロンと下駄の音と共に、関西訛りのある涼やかな男の声が聞こえた。


「ひいらぎの。回収すんの誰やと思てんねん」


その風鈴のような声が届いた先に佇むもう一人の男は、ビュンと一度刀を振って血を落として「すみません」と振り返った。




男の顎には古い切り傷があった。





※1円=現在の10円の価値

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