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薬屋葵堂と赤鬼物語  作者: 彩霞
最終章

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第91話 それぞれの道へ

     ☆


 充は晴れやかな空の下、辺り一面雪景色の葵堂裏庭で大きく伸びをした。


 はあ、と息をはき出すが、気温が暖かいせいか白くはならない。店の雨どいからは、雪がけてちょろちょろと水が流れる音や、タン、タンと、したたった水が下に置いてある空っぽの植木鉢に当たる音が聞こえた。


 まだ雪が降る季節ではあるが、一日の陽の光が出ている時間が少しずつ長くなっている。そのため、見かける鳥の動きや、花の蕾などを見かけると、大地が春の準備をしてきているのを感じた。


「あ~……、いい天気だなぁ……」


 三週間前、沙羅の堕突鬼きとつき騒動があったとは思えないほど、充たちは穏やかな日々を過ごしている。


 三週間前のあの日。


 充が無事に、天つ日の「朝見草」という術から戻ってくると、山小屋の中で茜と沙羅と神々しいような雰囲気をまとった女性が、彼の顔をのぞいていた。


 茜と沙羅の間には、険悪な雰囲気が全くなく、まるで姉妹のようにきゃっ、きゃっと充が起きたことを喜んでくれていて、それを見た充は大きい安堵あんどを胸に感じた。


 また、女性は充が起き上がるのを手伝ってくれると、自分が「天つ日」であることを教えてくれた。充が驚いて目を丸くしていると、「時子はお天道さまというがな」と言って、ふふっと笑う。それを見て近寄りがたさが少し無くなると、天つ日も充の気持ちを感じ取ったのかそっと抱きしめてくれた。


 見た目は女性だが、天つ日からは「女」という気配は感じない。代わりに、天日干しをしていた布がかわいたときのような香りがふわりと香り、充はそれをぐと不思議と戻ってきたことを実感したのだった。


 そのあとは、桜が山小屋に飛んで入って来て、天つ日から充を引っぺがして力の限りに抱きしめ、「後から追う」と言っていた義母ははも入って来てにぎやかだったのを覚えている。

 ただ充はとても疲れていて、義母に「おかえり」と言われたあとは、緊張の糸がぷつりと切れたようで、ひどい眠気に襲われ泥のように眠った。


 そのあと聞いた話に茜も沙羅も無事であったし、邪気の影響を受けていた銀星も、風流に連れられて葵堂まで辿り着いたようだった。ただ彼の場合は、体をしばらく休ませる必要があったため、数日間葵堂にいて、充と布団を並べて時子に看病をしてもらっていた。今思い出してみても、体調の優れない銀星には悪いが充にとっては楽しい時間だった。


 騒動のあと、沙羅は時子や桜、茜たちの話し合いの末、茜の母が住んでいる旭村あさひむらの家に預けられることになった。


 沙羅が鷹山に住んでいたのは、邪気があり、そのあと銀星の血を飲んで暴れまわっていたからである。邪気の浄化と共に銀星の血の力も失った今、髪は白いままではあるものの、人里で暮らすことに支障がないということで、事情を理解してくれた茜の母の元に行くことになったのだ。


 最初は緊張気味の沙羅であったが、茜の母はすんなりと受け入れてくれたお陰で、不自由なく暮らしている。


 沙羅は働くのが好きなようで、茜の母がしている畑仕事と機織りの仕事を積極的に手伝っている。また「仕事さえしてくれれば、勉強も好きにしていい」と言われているため、沙羅は生き生きと楽しそうにしているようだ。


 しかし、茜とあれほど仲良くなったのであるから、鷹山で暮らし続ければいいのではないかという考えもあると思う。それができないのには、理由があるのだ。


「充」


 葵堂の裏手に回って充の名を呼んだのは、黒髪に白っぽい黄色おうしょくの肌に姿を変えた茜だった。手にはかさを持っている。

 充は声のしたほうを向いて軽く手を挙げて応えると、旅支度をした彼女に「行くのか?」と尋ねた。


「うん。皆には挨拶したし、沙羅のこともひと段落した。それに充のお陰で手掛かりも掴んだからね。あたしの兄がすでに父のことについて調べるために鷹山を出てはいるんだけれど、あたしも力になりたいし、せめて父の血で作られた墨が悪いことに使われないように動きたい。そのためにまずは『村瀬むらせれい』という人を探しに行ってくるよ。その人に会って、手伝えることがないか聞いてみたいんだ」


「会えるといいね、その人に」


「うん。——なあ、一つ聞いてもいいか?」


「何?」


「充を邪気から守っていたという桃花とうかはどうしたんだ? 消えてしまったのか?」


 充が絳祐こうゆうと出会う少し前、桃花の名は呼んでみたが返事はなかった。力を使い尽くしたのか、それともどこかに隠れたのかは分からない。

 桜と天つ日が言うには、充の体に桃花の気配は残っているというのだが、残りのようなもので消えかかっているという。

 せめて沙羅のことはお礼を言いたかったため、やり取りができなくなってしまったことは残念だった。


「僕もそれがよく分からないだ。でも、彼女が沙羅を助けてくれたことは間違いないから、近いうちにお礼を言いに桃の木を訪ねようと思っているよ」


 桃花に直接言えないのであれば、せめて木のほうに訪ねてみたいと思った。そのことに意味があるのかは分からないが、充にできることはそれくらいだけである。

 すると、茜がわずかに眉を寄せた。

 

「しかし、その桃の木があるのは実家にほど近いところなのだろう? しかも嫌な思い出のある、地主の家にある桃の木というじゃないか。大丈夫なのか?」


 正直大丈夫ではない。しかし、一人で行くわけではないということが救いである。


「実は桜が一緒に行ってくれることになっているんだ。心配だからついて来てくれるって。『もしものときは、変化術を使ってもいいのだから』とも言われたよ」


「そうか。それなら安心だな」


「うん。ついでに、妖老仙鬼ようろうせんきにも会わせてもらうつもりなんだ。茜も聞いただろうけど、今回の件は妖老仙鬼の薬と、桃の精である桃花の力と、お天道さまの『朝見草あさみぐさ』っていう術を含めた、三つの力が合わさったお陰で万事が解決した。僕は桃の精に守られていたし、沙羅は妖老仙鬼の薬のお陰で、邪気の影響を受けずに済んだみたいだから。お礼と、これから必要となる薬をもらいにくのも兼ねてね」


「葵堂薬屋として、一人前になったんじゃないか?」


 笑っていう茜に、充も笑い返した。


「まだまだ、これからだよ」


 二人はひとしきり笑い合うと、茜がおもむろに右手を差し出した。桜の変化術を使った彼女の手は、いつもとは違う見た目をしている。


「握手をしよう。絶対に戻ってくる」


「せっかくなら、普段の茜の手で握手をしたかったよ」


 充の言葉に茜はきょかれたように少し目を丸くしたあと、困ったように笑った。


「そのことは考えていなかった。悪かったよ。今度からそうする。でも、そのときは充に鷹山を上ってもらうからな?」


「構わないよ。もう慣れたしね」


「頼もしいな」


「茜にそう言ってもらえるのは嬉しいよ」

 

 充はそう言うと、褞袍どてらそでから手を出して彼女の手を握った。


「とにかく気を付けて。帰りを皆で待っているから」


「うん」


 お互いの手の温かさが行きかったところで手を離すと、茜は笠をかぶり、わらみのをひらりとひるがえして言った。


「行ってくる」


「行ってらっしゃい」


 充はそう言って、友を送り出す。

 彼は雪の中を進んでいく赤鬼の娘の背を眺めていると、店のほうから義母ぎぼの充を探す声が聞こえた。


「充ー、ちょっと手伝って」


「はーい」


 充は通って来た雪の上の足跡を辿たどりながら、店の中へと戻っていく。

 今日も薬屋葵堂は、旭村の人々と鷹山の半妖たちのために薬を作るのだった。


(完)

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