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薬屋葵堂と赤鬼物語  作者: 彩霞
最終章

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第90話 「おかえり」と「ただいま」

「今は会いません」


「どうしてですか?」


 充は絳祐こうゆうの答えに対し、反射的に尋ねた。今こそ会うべきではないかと思ったからである。

 すると絳祐こうゆうは深紅の瞳を細め、充を優しく見つめた。茜と同じ瞳の色で、彼女とは親子のはずなのに、絳祐こうゆうの深紅の色は茜よりもずっと柔らかい印象がある。

 もしかすると茜も同じような柔らかさを持っていたのかもしれないが、父親を失ったと思った日から、強くあらねばならないと思ってきたのかもしれないなどと、充はぼんやりと思った。


「私が今やるべきことは、娘の友人であるあなたを助けることです」


 思ってもみなかった言葉に、充はきょとんとしてしまう。


「友……?」


「違いますか?」


 絳祐こうゆうのやんわりとした問いは、土から芽吹いたばかりの草を思い出す。柔らかくて、でもしんがある。

 充は彼の笑みにつられて笑った。


「いいえ、違いません」


「よかった」


 絳祐こうゆうはほっと胸をなでおろすと、言葉を続けた。


「茜もあなたが戻って来てくれることを望んでいるはずです。それにあの子とは巡り合わせがあると思いますから、きっと大丈夫。再会する日が必ず来るはずです。ただ、一つだけ。言伝ことづてをお願いしてもいいですか?」


「もちろんです。どういった内容ですか?」


 充は姿勢を正して、彼の「言伝」について耳をかたむける。すると絳祐こうゆうの表情が幾分硬くなった。それほどまでに大事な話ということだろう。


「もし、私の墨を追うならば、『ムラセレイという名の者を訪ねよ』とお伝えください。『ムラセ』は『村』に浅瀬の『瀬』、『レイ』は玉が触れる音という意味の『玲』と書きます」


「『村瀬むらせれい』……?」


「はい。そうです。あまり詳しいことは申せぬのですが、その者が私と行動を共にしてくれています。邪道を追い、私の血を元に作った墨を悪しきことに使われないようにするために。今は情報を集めるために、各地を転々としております。次へ行くのは旭村から西のほうになるでしょう」


「分かりました。必ず伝えます」


 充は使命を与えられたくらいに重要なことだと思い、真剣にうなずく。その様子を見て、表情をやわらげた。充は彼の顔を見ながら、「このひとは笑みを浮かべているほうがいいな」とそんなことを思う。


「ありがとうございます。——さて、そろそろ時間ですね」


「時間?」


「この空間がもう少しで途切れるのです。さあ、私の手に掴まって」


 絳祐こうゆうの手が再び伸ばされる。充は自分よりも大きなその手に、自分のてのひらを重ねた。温かくて、しっとりとした手である。その手が充の手を祖っとにぎると、少し長い爪が見えた。

 肌の色は茜と違って色白だが、髪と瞳の色や爪の長さなどは、やはり茜の父親なのだということを思わせた。


「それでは、充さん。またどこかでお会いしましょうね」


 絳祐こうゆうがそう言うと、彼から急にまばゆい光が放たれ、周りが一瞬にして見えなくなる。

 

「うわっ、眩しい……!」


 充は目をつむり、さらに顔をそでで隠したが、光はどんどん大きくなりそのまま彼を飲み込んでしまった。


     ☆


あまめ……、私を一歩も中に入れさせないつもりか……」


 山小屋のある広場に続く道の真ん中で、桜は一人でぶつぶつと悪態をつきながら寒さも気にせず突っ立っていた。山小屋の邪気が大きくなったのを感じて、すぐに現場に向かったが、早々に天つ日のという術が掛けられてしまい入ることができなかったのである。

朝見草あさみぐさ」というのは、ひとによっては大変厄介(やっかい)な術である。天つ日だけが使える術で、術者である天つ日が選んだ対象者たちをこの世と切り離した空間に置くのだ。今回はそれにより暴走する邪気の流出を防げているが、術に取り込まれた者たちはをそれぞれの「心」を試される。

 それは気持ちの強さであったり、優しさであったり、人を思う気持ちであったりと、人によって違う。

 もし、「心」の力を使って天つ日の術から抜け出すことができなければ、永遠にこの世には戻って来られない。その上、当事者と術者の天つ日以外は干渉かんしょうすることができないため、周りから手助けすることもできないのだ。


「間違いなく充も飲み込まれているというのに……。もし戻って来なかったらそのときは……」


 ぎりっと歯を噛みしめたときである。後ろから雪を踏みしめる音と、自分の名を呼ぶ声が聞こえた。


「桜ちゃん?」


 はっとして後ろを振り向くと、少し離れたところに薬箱を背負った時子が立っていた。


「時子……。登って来たのか……」


 桜が時子がここにいる理由を察してつぶやくが、一方の時子は桜の隣に並び、少し息を整えてからあっけらかんとした様子で答える。


「もちろんよ。万一のことがあれば、私が何とかしなければならないでしょうから」


 時子はそう言うと、何もない空間に向かってゆっくりと手を伸ばす。するとそこにはシャボン玉のまくのようなものにぶつかり、軽く弾かれてしまった。


「あら。『朝見草』の術はまだ破られていないみたいね。誰か帰って来ていない子がいるのかしら?」


 いつも通りといった様子の時子に桜は言った。


「時子が無理することはない。これで失敗したら天つ日に後始末をさせてやれ。私はそれをしたとしても許せそうにない」


 邪気を払いきれなければ、時子が沙羅に猛毒を飲ませることになる。そのような嫌な仕事をやらされるくらいなら、すべて天つ日に任せてしまえばいいのにと桜は思っていたのである。

 時子のことを思いむすっとした表情を浮かべていた桜に、彼女はくすっと笑う。


「まだ、結果が出ていないのに、お天道さまのことを許さないつもり?」


 あまりにのんびりとしているので、桜は自分の感情をぶつけた。


「時子! 充も巻き込まれているのに、何でそんなに呑気のんきでいられるんだ!」


 しかし彼女は驚いた様子もなく、ただゆっくりと山小屋のあるほうを目を細めて見つめる。


「充のことだもの。大丈夫、あの子ならやれるわ」


 そして視線を桜に移すと、「ね?」と言って笑う。

 すると、桜の中にある怒りが一気にしぼんで小さくなった。


「ちゃんと信じているんだな、充のことを……」


「もちろんよ。あの子は思っている以上に色んなことができるわ」


 時子がそう言ったときだった。先程まであったシャボン玉のような膜がぱんっと割れたのである。


「時子」


 桜が時子の名を呼ぶと、彼女は大きくうなすいた。


「ええ」


 二人が駆け出し、山小屋の中に入ると、布団の上に起き上がっている充を天つ日が抱きしめており、その傍で茜と沙羅が、嬉しそうな歓声と涙を流して喜んでいた。


「天つ日! そこをどけ! 充を抱きしめるなど千年早いわ!」


「せめて十年にしてくれ。長すぎる」


「何だと!」


 桜が山小屋の中に踏み込み、天つ日とぎゃー、ぎゃーと騒いでいる中、時子は充と目が合う。

 彼女はほっとした表情を浮かべると、大切な息子に言った。


「おかえり、充」


 騒がしくしている二人の声で、時子の声がかき消されたと思ったが、口の形で何と言ったのか分かったらしい。充は無邪気な子どものような笑顔を見せて返事をした。


「ただいま、義母かあさん」

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