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薬屋葵堂と赤鬼物語  作者: 彩霞
第六章

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第82話 孤独

(声なんて聞こえたかな……)


 周りの虫たちのさわがしい音にまぎれたとも考えられるが、人の声は虫の音色ねいろとは質が違う。そのため「声」が聞こえたなら分かりそうなもだが、彼には聞こえなかったため不思議に思った。

 充は小首をかしげつつも、考えても仕方がないと思い、赤い髪を目印に彼女を追った。


 いくつかの廊下の角をがると、屋敷の中にある土間に出る。しかし中には誰もいない。


「茜?」


 追ってきたはずの茜もいなかったため、どこに行ったのだろうと辺りを見渡していると開けっ放しの勝手口が目に入った。


(もしかして外か?)


 充は土間を下りると勝手口からそっと顔を出し、きょろきょろと外を見る。

 しかし茜の姿はない。


(どこに行っちゃったんだ?)


 充はため息()じりに地面を見る。土がぬかるんでいれば足跡で茜を追えると思ったが、先ほどまで雨に濡れていた地面は嘘のようにからりとかわいてしまっていた。


「……右か、左か」


 充は勝手口の前に立って、右と左を交互こうごに見た。

 右は充たちが来た方向なので長く壁が続いているが、左は一丈いちじょう(=約30.3メートル)先の辺りで壁が切れている。土間の分の壁だろう。


(こっちを確認したほうが早いな)


 茜がどちらに行ったのか分からない以上、確認するしかない。

 両方確認するのであれば左のほうが先がいいだろうと思い、そちらに歩き出す。すると、向かっている方向から茜の「やめろ!」という鋭い声が聞こえた。


「茜⁉」


 充は反射的に走り出し、壁の端まで行く。


 壁の端を抜けると、そこは開けた場所になっていた。屋敷に住んでいる者たちの洗濯を干す場所になっているようで、高いところにひもが張られている。ただ、洗濯物は一つも干されていない。そして充から見て右側には井戸があり、茜もそちらに体を向けているのだが随分ずいぶんと距離があった。

 どうやら再びシャボン玉のような透明なまくはばまれているようで、井戸に近づけないらしい。


(何を見ているんだ?)


 井戸に近づけない茜から、充は彼女が見ている井戸のほうに再び視線を向ける。井戸は屋根が付いた立派なものが備え付けられてあり、傍には小さな影が二つあった。


(子ども?)


 よく見ると一人が井戸の中に体の上半身を入れており、もう一人が後ろで立っている。一見、井戸から水をみ上げようとしているように見えるが、井戸に体を半分入れている子は、じたばたと足を動かして抵抗しているように見えた。


「やめろ、沙羅!」


 茜が再びさけぶ。


(沙羅?)


 充はもう一度二つの影に目をらした。

 すると後ろに立っている子が沙羅であることが分かり、上半身を入れているのは彼女よりも小さい子であることに気づく。


「その子は、お前の弟だろう!」


 その瞬間、充はハッとした。

 先ほど如月が「息子は世継ぎの意識がないのか、さっぱりいたしません」と言っていたことを思い出したのである。


(沙羅の父親が言っていた『世継ぎ』って、沙羅の弟のことか!)


 そして彼女は今、その弟を井戸に落とそうとしていたのである。


「沙羅、駄目だ! よせ!」


 今度は充が叫ぶ。

 その声が聞こえたとは思えないが、異変いへんに気付いた屋敷の女中たちが甲高かんだか奇声きせいをあげながら充のわきを通り過ぎ、井戸の前まで来ると、大騒ぎになりながら男の子から沙羅を引き離した。


 女中たちは、たとえ屋敷の主人に嫌われている子であろうとも、身分の高い沙羅をしかることなどできない。そのため彼女のことを認知していてもいないように振舞い、如月家の大事な後継ぎは丁重ていちょうに扱いながら屋敷の中に連れていく。

 一方の沙羅は、しかられることもなく、そこにいることすらも認めてももらえないため、 屋敷に連れていかれる弟を呆然ぼうぜんと見ながら、ただただその場に立ち尽くしていた。


「沙羅……」


 見るにえず充がぽつりと呟くと、こちらに気づかないはずの沙羅が充と茜のほうを向いた。

 充は驚いてびくりと体を震わせる。沙羅がこちらに気づいたこともそうであるが、彼女の顔には覇気はきがなく、何を考えているのか分からない虚無感があり、とても子どもが浮かべる表情ではなかったのである。


「ねぇ? ずっと見てたでしょう? 私は父上に捨てられたんだよ。頭のいい女はいらないんだってさ」


 沙羅は表情の変わらない人形のように、茜と充に向かって言った。


「頭がいい女は嫁にもいけないから、父上は私に馬鹿な振りをしろって言うんだぁ……。愛想のいい可愛らしい子でいろって。虫を追ってもいけないし、花のことも詳しくちゃいけないの。名前だけ知ってればまだ可愛いって。でも、知りすぎていることはいけないんだって」


 そう言ってうつむくと、彼女の背中から禍々《まがまが》しい黒いものが湧きだしてきた。


「あれって……」


 沙羅の過去を見に来る前に、山小屋で見たのと同じものである。


「邪気だ!」


 茜が言う。充は沙羅の様子を見つつ、茜のほうに駆け寄った。


「邪気なのは分かったけど、どうして小さい沙羅から出ているんだ?」


 邪気を持っているのは「今」の沙羅であり、「過去」の沙羅ではない。

 そして、小さい沙羅は「過去」の者ではなかったのか。


「どうやら違うみたいだ。天狐の変化術を使ったみたいに、小さいときの沙羅のように振舞っていたんだ」


 充はごくりとつばを飲む。

 ということは、先ほど充と茜が見ていたのは、「今」の沙羅が小さい姿になって見えていただけということになる。


「だったら、沙羅は辛い過去をもう一度体験したってこと⁉」


「そうかもしれない……」


「そんな……!」


 充は黒いもやをどんどん大きくしている沙羅を見つめた。山小屋のときとは違い、まるで雲のように空をおおい隠せるほどのもやとなっていく。それと同時に、強い向かい風が充たちに襲い掛かった。

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