第74話 計画
大きな火柱のような黒い靄が、少し離れたところに見える。
そして靄がいるすぐ傍——つまり、先ほどまで充たちがいた辺りに大きく地面が抉られた部分があった。雪に隠れていた土が見えている状態になっていたため、もし茜に助けられなかったら、充は大怪我をしていたかもしれない。
そう思うと、背筋が寒くなった。
しかし風流の話を思い出す限り、あれが沙羅なのだろう。
「ねえ、茜」
「何だ」
「あれが……、沙羅なんだよね」
確認するように聞くと、茜は硬い声で「そうだ」と答え、さらに言葉を続けた。
「邪気によって、化け物みたいになってしまったらしい。だが、何故こんなことになったのか、あたしには全く分からないんだ。半妖の血を飲んだから化け物になったって話は聞いたことはないし……。いや、もちろんそれに邪気が含まれていたら別だが、仮に邪気のある半妖の血を飲んでいたら沙羅はとっくの昔に化け物化している。つまり半妖の血が原因じゃないってことだ。それであたしはさっきから原因を探っていた」
「何か分かった?」
すると茜は首を横に振った。
「原因は分からない。ただ、あの靄が生き物を狙っていることは分かる。だから充がここに来たときに真っ先に狙われたんだ。それと動く生き物が周りにいなければ、植物も狙うらしい。お陰で山小屋の裏の竹林がやられた」
充は足場の悪い屋根の上でそっと立ち上がり、裏のほうをみる。
すると、悲惨なことに竹林は枯木と化していた。
「本当だ……」
これでは春の恵みである筍などは見込めないだろう。
「それでも、高いところにいると気づかれにくいみたいなんで、何度か距離を取って上から様子を見ているんだが……止められる方法が分からない」
茜の話から山小屋の屋根に乗った理由は分かったが、充はそのときもう一つのことに気づいた。
茜は、自身の父親と沙羅に関係があることを知らないのではないかと思ったのである。
(これって話したほうがいいのかな……)
充がどうしたものかと思っていると、茜が次のことを尋ねた。
「充、時子はどうするといいと言っていた?」
茜の深紅の瞳が少しだけ不安そうな光を宿している。
充はそれをじっと見たあと、袖口に手を入れると義母から手渡された薬を取り出した。
「これを飲ませてみてほしいと言われた」
充は屋根の上の状態を確かめつつ少しだけ茜に近づくと、「桃守香」が入った薬包紙を見せた。
「薬か?」
「うん。沙羅の口に放り込めれば、正気を取り戻させることができるかもしれないって。義母さんが言っていた」
すると茜が深紅の瞳を見開いた。信じられない、といった様子である。事情は分からなくとも、沙羅の「正気を取り戻させることが難しい」状態であることは直感的に分かっていたらしい。
「本当か?」
真剣な表情で尋ねる茜に、充は彼女の希望に答えるかのようにうなずいた。
当然、充もどうなるかは分からない。だが、この薬にかけたいという気持ちは、充も同じである。
「試したことはないから、効き目があるかどうかは分からないって言ってたけど、少しでも可能性があるならやったほうがいいと思う。……どうかな?」
充の問いに、茜は少し笑った。
「いいに決まっている。沙羅をこんな状態にさせておくのは胸糞悪すぎる」
「うん」
充もつられて笑ったあと、すぐに表情を引き締めた。
それを見た茜が彼に「作戦は? どうやって薬を飲ませる?」と尋ねる。
「僕が沙羅の口に薬を入れる」
はっきりと断言したので、茜は目を見開くと少し心配そうな表情を浮かべた。
「やれるのか?」
「やるしかないんじゃないかな。だってあの状態の沙羅に、『口を開けて』って言って素直に開けてくれると思う?」
冗談めかして言うと、茜は少し緊張が緩んだのか、くすっと笑ってくれる。
「思わないな」
「だろう? だから、茜が沙羅の口をこじ開けてその間に僕が入れるしかないと思うんだ」
正直怖さはある。黒い靄のどこに沙羅の口があるのかも分からないし、近づいたところでやられる可能性だってあるのだ。地面が抉れたところを見れば、それがいかに危険なことなのかは充も分かる。
だが、茜が言ったようにこのまま放っておいたら、最終的に義母が沙羅に毒を与えることになってしまう。それも猛毒だ。苦しまずに済むのかもしれないが、きっと終わったあとに「絶対に桃守香を飲ませていれば」と後悔するに違いない。それならば、やってみるだけやってみたほうがいい。
充の覚悟を受け取った茜は、にっと歯を出して笑う。
「それもそうだね。じゃあ、あたしが沙羅の口を開けるから、薬を飲ませるのは任せたよ」
「うん」
二人はうなずき合うと、どのように行動するか簡単に計画を説明した。
「いいか、屋根を下りたら充はとにかく逃げろ。あたしが引き付けて機会を伺う。多分、靄の中に沙羅の体があるはずなんだ。それを見つけて口を開かせるから、『開けた!』と言ったら靄に近づいてくれ」
「分かった」
「それじゃあ、行くぞ――!」
茜は再び充を抱えると、たっと屋根を蹴って華麗に地面に降り立つ。すると黒い靄は目ざとくこちらの動きを感知して、充たちがいるほうに動き出した。
「充はここにいろ」
「分かった」
茜に言われ充は待機する。その間に彼女は靄に向かって駆け出した。




