第71話 返された力
山小屋までは、半時(一時間)かかる。
しかし悠長にはしていられないので、充は後ろを折って来てくれている風流に気を使う暇もなく、彼女の前に立ちいつもよりも早足で上に向かっていた。
(少しでも早く。でも、無理はしないように)
心の中で自分に言い聞かせて歩を進める。
だが、足元は道が凸凹していて歩きづらい。昨日の夕方溶けた雪が、零下の夜に再び凍ったため、自分が歩いた足跡や獣の足跡が硬くなって、足が掛けずらくなっているのだ。その上に、さらりと雪が積もっていたが、そこに獣が通った真新しい足跡が沢山あって、雪の下の氷がどうなっているのかが確認できない。それでも風流が来た時間帯から比べるといいほうだろう。
(風流はこんな悪路を歩いてい来たんだ。早朝で道もよく見えなかっただろうに……)
現在は空も薄明るくなってきているので、だいぶ見えるようにはなっているが、彼女はそれすらも分かりにくい中を歩いてきたに違いない。
そう思うと泣き言など言っていられないと、充は必死で一歩、また一歩と歩を進めた。
(もう少しで、お天道さまのいる祠の辺りだ……)
しかしそのときだった。
天つ日の祠がある道との分かれ道のところで、誰かが倒れているのが見えたのである。
「風流、誰かが倒れてる!」
充は振り返って風流に言うなり駆け出した。
「ええ⁉」
風流は驚いた声を出しながら、充の背を同じように走って追いかけた。急いで斜面を駆け上がると、白銀の髪がはっきりと認知できる。
充はその瞬間、倒れている人物が誰かが分かった。
「銀星!」
白銀の髪を持つ者は、充が知る限り鷹山には沙羅以外で一人だけ。うつ伏せになっているが、体格を見ても彼だろうと思われた。
「風流、銀星が……!」
充に追いついた風流は荒い息を整えながら、「本当だ……」と呟く。
「でも、どうして……?」
充は銀星の頭を腕に抱えると、白銀の髪をかき分け隠れていた顔を見た。
昨日は天狐の変化術で青年の姿をしていたが、今は本来の姿に戻っていて、充が以前見た時と同じく、犬耳に目尻にはあの印象的な紅色の花びらのような印がある。
しかし顔色が悪く、脂汗もかいていた。
「苦しそうだ……」
「怪我をしているのかしら?」
充は風流の問いに「そうかもしれない」と答えると、銀星の腕の脈をみる。
「脈はとりあえず正常だ」
「よかった」
「でも、胸のあたりの着物が乱れてる。まるで苦しくて掴んでいたみたいだ」
銀星の着物の重なった部分がよれており、ぎゅっと握ったような皺もできている。風流は充に言われてそれを見てうなずいた。
「本当だ……」
「でも、どうしよう。薬とかを持って来なかった……」
充が銀星の苦しそうな顔を見ながらぽつりと言うと、閉じていた彼の瞼が震えゆっくりと開く。薄茶色の瞳が、充と風流を捉えた。
「銀星!」
ほっとしたように充が言うと、銀星はふっと笑う。
「来た……のか」
掠れた声で呟くので、充は彼を支えながらゆっくりと起こすと、竹筒に入った水を飲ませてやる。その間に、充は銀星に聞いた。
「怪我をしているでしょう? 手当をしないと……」
「俺は……とりあえずいい……」
「でも、倒れていたし大丈夫そうには見えないよ」
銀星はちらと充を見ると「実はな」と言って、苦笑しながら事情を説明した。
「……沙羅の邪気にやられた。正確には、沙羅に付いた邪道が作った『墨』の邪気に……と言ったらいいか」
「攻撃を受けたの?」
風流の問いに銀星は「違う」と否定する。
「俺は鬼墨の邪気を抑えるために、沙羅に俺の血を飲ませていたんだ。まあ、元々は俺の考えじゃなかったんだが、まあ必要なことだったからそれはいいんだ。だが、沙羅に付いた邪気が暴れたせいで、俺の血に混じっている妖気が破られてしまったんだよ。人間の術で言えば、『呪詛返し』とか『術返し』とかいうらしいが、それに似たようなもので、俺はそれを食らったというわけだ……」
「それって大丈夫なの?」
今度は心配そうな顔で充が尋ねると、銀星は「そんな顔をするな」と言いながら腹のあたりをさすった。
「予想はしていなくて驚いたが、腹に一発食らったみたいな程度だ」
苦笑する銀星に、充は真剣な顔で言う。
「嘘を付かないでください」
「み、充⁉」
「寒いかもしれないですけど、確認します」
充は一言断ると、銀星の着物の胸元を開く。
すると色白の肌のはずが、腹筋の広い範囲で青黒いあざとなり、所々皮膚が裂けて血が出ていた。
「ちょっと、これ、本当に大丈夫なの……?」
風流が口元を覆って息を飲む。
想像以上にひどい状態だったせいだろう。
「薬箱……持ってくればよかった……。いや、そうじゃないね。今から戻って持ってくる!」
そう言って鷹山を下ろうとしたときだった。銀星が充の腕を掴んだ。




