第69話 時子たちが考えていたこと
「……正義?」
「ええ。修さんから聞いた話だけれど、充は血の繋がったお兄さんに、やってもいない罪を被せられたのよね?」
「……はい」
「でも『それは自分ではない』と、地主の前で言ったそうじゃない」
それに対し、充はふいっと義母から視線を外す。
「……でも、権力の前では無駄であるということも知りました」
そのころの充は「正しいことを言えば、きっと分かってもらえる」と思っていた。しかし、現実は違った。実際に地主のところへ行って正しいことを言ったのに、信じてもらえなかったのだから。
充にとって大事なことは「兄が悪さをしたことを示す」ことだったが、地主側にとって重要なことは、「犯人を捕まえて罰を与えること」だった。これでは充がどんなに正しいことを言ったところで何にもならない。
時子は「そうね」と呟くと、薬箱に薬や手ぬぐいなどを入れる手を動かしながら言葉を続けた。
「権力の前では『正しさ』を示すことは難しい。でも行動しなかったら、充は何もやっていないのに、ずっと自分がお兄さんの罪を代わりに背負い続けていたかもしれない。だから修さんはあなたを『助けたいと思った』と言っていたし、あなたの本当のお父さんに充が欲しいと交渉したときも『もし、充が元の家族のほうを選んだらどうしようかと気が気ではなかった』とも言っていた。あなたが本心から家族の元にいたいというならそれは仕方のないことだけれど、『家族の元にいたい』と言わされることになったとしたらそれは充のためにならないだろうからって」
充はだんだんと目頭が熱くなってくるのを感じる。
時子は彼の反応を待たずに、さらに言葉を重ねた。
「それにね、一緒に過ごすうちに充はすごく優しい子だということも知ったわ。あなたは傍にいるものの心に寄り添える。桜ちゃんのことだって、助けたことがあるのよ」
「え……?」
充は驚いて顔を上げた。
しかし驚いていたのは彼だけではない。風流もだった。
「充、天狐を助けたことがあるの?」
風流に問われ、涙が出ないように気を付けながら首を横に振った。
「い、いや……、そんなこと覚えていないけど……」
「まあ、七年も前の話だし、葵堂に連れてこられたばかりのころだから、充も日々の生活でいっぱいいっぱいだったんでしょう。だから忘れているかもしれないわね」
「僕が桜を助けたって……どういうことですか?」
充がそっと尋ねると、時子が答えてくれた。
「実はね、茜ちゃんのお父さんである絳祐さんが邪道の術にはめられたのは、修さんがあなたを連れてくる一年くらい前のことなのよ」
義母がそう言ったのを聞いて、充は茜が鷹山に来た経緯を話してくれたときのことを思い出す。茜は「十歳になったときに父親が沼に張られた罠に捉えられた」と言っていた。
(じゃあ、茜は十七歳で、僕と一歳しか違わないんだ……)
もう少し年上だと思っていたが、歳が一つしか違わないと分かった途端、彼女が経験してきたことがより一層身近なもののように感じた。
「突然の出来事だったんだけれど、絳祐さんの親友だった桜ちゃんは何か裏があるんじゃないかと思って、仲間にも声をかけて色々調べ始めたの。それによって私たちは今、沙羅ちゃんに問題の『墨』が付いていることが分かっているわけなんだけれど、私たちはそうやって情報収集している桜ちゃんはいつも通りに振舞っているように見えていた。だけど、違ったのね。桜ちゃんはすごく心を痛めていた。実はね、絳祐さんって、今も生きているか死んでいるかも分からない状態なの」
「ええ……?」
「詳しいことは説明すると時間がかかるから省くけど、親友がそんな状態にあるなんて辛いでしょう」
「そうですね」
「桜ちゃんはその自分の気持ちを、誰にも言わずに黙っていたのね。だけど充がうちに来たあとのことだった。修さんに頼まれた桃菓糖を持って来てくれて、充に手渡したのね。だけどそのあと、桜ちゃんは何故か充をぎゅっと抱きしめて、信じられないぐらい泣いていたのよ。あんなに泣いている桜ちゃんを見るのは初めてだったから、私たち家族もすごく驚いたわ。でもね、充ったら知らない人が泣いていて、その上抱きしめられているのにちっとも怖がらなくて、ただ一緒に静かに涙を流していたのよ。それを見たとき、私は『ああ、この子は優しい子なんだな』って思ったの」
「そんなこと、ないですよ……。心に寄り添えるなら、きっとそのことも覚えているでしょうし、義母さんに逆らったりなんてしないんじゃないですか」
「あら、さっき『養子だから』って言ったことを気にしているの?」
充は渋々《しぶしぶ》とうなずく。時子はその様子を見て、くすっと笑った。
「馬鹿ね。そんなことは『逆らう』ことのうちになんて入らないわ。実際、充が指摘したことは、修さんや類に頼まれて意図的に言わないようにしていたから、『大事なことを話していなかった』のは事実だしね」
「……え?」
「類が――あなたの義兄が言うのよ。『葵堂が旭村の人々を守るために、時には誰かの命を奪うこともあることを知ったら、充はひどく悲しむんじゃないか』とか『ここに来たことを後悔するんじゃないか』って。だから、言わないでほしいっても言われていたのよ。類はね、子どものとき私が葵堂に伝わる特殊な出来事を話したせいで、旭村の人たちに変な目で見られたらしくて、『充に同じ思いをさせたくない』って。それが修さんも同じ意見でね。全く、修さんは息子馬鹿で、類は弟馬鹿なんだから」
(桜が言った通りだ……)
彼は充に「彼らは充のことを大切に思っている。掴んだ手を離すことはないから安心しなさい」と言っていた。まさにその通りで、一気に瞳に涙が溜まる。
充は情けない顔を隠すように俯けた。するとぱたたっ、と涙が床に落ちた。
「ごめんなさい……。義母さん……。『養子だから』とか言って、本当に……ごめんなさい。義母さんたちの気持ちを分かっていなかったのは、僕のほうだった」
すると時子は薬箱から手を離し立ち上がると、充の顔を優しい笑顔で覗きながら彼の涙を指で拭いた。




