第66話 効かない薬
「え……?」
風流は、自分が冷や汗をかくのを感じながら、そっと目を瞑り、得体のしれない気配がどのように動いているのか意識してみる。
己の感覚が鋭くなっていくと、髪や腕の産毛が逆立っていくのを感じた。
(怖い……。強い力に飲み込まれそう……)
恐ろしい気配が見えているわけではないが、黒い靄のようなものが山小屋のほうに近づいてくるのが分かる。
(気配を纏った者がこっちにやってくる。……でも、あれは誰なの?)
風流はその先にさらに意識を向けると、一瞬だけ恐ろしい形相をした者が目に入って来た。
「……っ!」
驚いて目を開けると、風流の顔を心配そうに覗く半妖の子たちの姿があった。
風流はかれらに「大丈夫だよ」と声がけしたあと、「茜、もしかしてここにいると危ないのかな?」とできるだけ毅然とした態度で尋ねた。
このまま山小屋にやってきたら、茜と風流だけではこの子たちは守り切れない。
茜は彼女の質問に答える前に、自分にしがみついている半妖の子を風流のほうに渡すと、すっくと立ちあがった。
「風流は子どもたちとここにいろ」
そう言うと、彼女は一つに結わえた長い赤い髪を軽く後ろに払う。
すると生え際から毛先に向かって、髪に光が走った。これは茜が自分の中にある妖気を使うときの仕草だ。体が妖怪よりになるので、着こまなくても寒さに耐えることができたり、体の動きも今まで以上に無理が利いたりするという利点がある。
便利な力ではあるが、負担使わないのには理由がある。これを使うことで茜の体に負荷がかかるからだ。
そのため、本当に必要なときにしか使わない。
(茜が妖気を使うなんてよっぽどだ……)
「茜!」
外に出て行く茜を呼んだが、彼女はちらと風流を見るだけで、吹雪く中に出て行ってしまった。
(誰か……、銀星とか、呼んでこなくちゃ……!)
風流は立ち上がると、居間の隣の部屋から先ほどまで使っていた毛布を手に取り、子どもたちに掛けてやる。
「皆、いい? ここに固まっていること。囲炉裏の火さえ気を付ければ、ここは安全だから。とにかく山小屋から出ないように。いいわね!」
風流はそう言い置くと、自分は土間に置いてある自分の藁沓とわら蓑、そして笠を素早く被り、茜を追って外に出た。
びゅっうと雪を纏った風が東から西に吹く。
風流は山小屋から出ると、腕で目の上あたりを多い視界を確保しながらゆっくりと右の道——つまり東側へ行く。
足元には動物たちの足跡が沢山ついていたが、すでに多くの者が山を下ったようで、今は数匹が鼠や兎が西側の山道へ入って行くくらいである。
すると、吹雪きの中、茜があの気配と対峙しているのが見えた。
相手は体で感じ取った気配と同じように黒い靄を纏っていたが、その大きさは山小屋の天井を優に越えるほどで、横幅も大人が五人腕を広げて立っているくらいに広い。
しかも山小屋の中で感じた気配よりもずっと強い。
こちらに対して恨みなのか、怒りなのか、凶暴なものをぶつけてくるのが感じられた。
風流は雪が積もって小さな山になっているところに身を隠したのち、少しだけ顔を出して茜に聞こえる声で叫んだ。
「茜! そいつは何者⁉」
すると茜はちらりと風流のほうを向いてから、短く答えた。
「沙羅だ!」
「ええ⁉」
風流は一瞬耳を疑った。
まさか沙羅がこのようになると思わなかったからである。
(半妖の血を飲んだだけでこんなことになるの? でも、最近のあの子は落ち着いていたはずで、馴染んできたはずじゃ……)
「風流!」
茜は「沙羅」と思われる者のほうを向きながら、風流に声をかけた。
「何⁉」
「居間にある引き出しから、ありったけの水薬を柄杓に入れて水に溶かしてくれ! もしかしたら効くかもしれない!」
「分かった!」
風流は言われた通り山小屋の中に戻ると、藁沓だけ脱ぎ、子どもたちの合間を縫って居間に入る。
水薬は充が入れていたのを見ていたから場所は分かる。
箪笥の一番上にある左端の引き出しの中だ。
(あった!)
風流は引き出しに入っていた五枚の水薬を全て手に取ると、藁沓をはいて土間に下り、柄杓の中にそれを入れた。
(水の量ってどれくらいだろう……? ええい! 入れちゃえ!)
風流はもう一つ別の柄杓で瓶から水を掬うと、柄杓の半分くらいの量の水を注いだ。すると一気に水薬が溶けて見えなくなる。
(よし!)
風流は零れないように気を付けながら、もう一度外に出て叫んだ。
「茜、持ってきたけど、これはどうすればいいの⁉」
茜はちらりと後ろを振り向いて風流のほうを確認すると、対峙している者の様子を見つつ、後ろ向きのまま、たったっと地面を蹴った。
それを何度か繰り返し、風流の元へ来る。
「水薬は何枚使った?」
「五枚よ。全部使ってしまったわ」
「それでいい」
茜はそう言うと、今度は強く地面を蹴って飛び上がる。
そして彼女は黒い靄の上の辺りに来ると、水薬をさっとかけた。
「……」
茜がすたっと地面に着地し、様子を見る。
だが、靄が消える様子も、気配が弱くなることもない。
「駄目なの……?」
風流が独り言ちたとき、再び茜に「風流!」と呼ばれた。
「何⁉」
「悪いが葵堂に行って、時子か充を呼んできてくれ! あたしじゃどうしたらいいかわらない!」
茜の言葉に風流は眉を寄せた。
薬が効かなかったのに、葵堂に行く意味があるのだろうかと思ったのだ。
「葵堂⁉ ねえ、それよりも銀星を呼んできたほうがいいんじゃない? それに今なら天狐だっているはずじゃ――」
すると茜は何故「葵堂」と言ったのか理由を述べた。
「銀星と天狐がこの邪気を感じないわけがない。それなのにここに来てくれないということは、手を出すつもりがないということだ。あたしが他に頼れるのは葵堂しかない。頼むから、呼んできてくれ!」
なるほど、そういうことか、と風流は合点する。その一方で何故手を出すつもりがないのか首を傾げた。
しかし今は理由を考えている場合ではない。
「わ、分かったわ!」
風流はうなずくと、西側の山道から葵堂のほうへ向かうのだった。
次が最終話です。




