第63話 言わない理由
桜の問いに、天つ日はそよ風のごとくひらりと躱す。
「我は鷹山の秩序を守る者であって、善人ではない。忘れたか?」
天つ日の気まぐれに見える態度は今に始まったことではない。
彼女は己の基準で言うことと言わないことを決めている。それが他者の癇に障ろうが関係ない。
こちらもそれを分かっているから、あまり踏み込まないようにしているわけだが、充が関係しているせいか、天つ日の態度に桜は苛立っていた。
「……さっきから聞いていれば、いちいち遠回りな答え方をしよってからに」
すると桜が右腕を振り上げ、天つ日に向かって殴り掛かろうとする。
(まずい!)
その瞬間、銀星が彼の左手を掴み、後ろに引っ張って止めた。
「天狐! 気持ちは分かるが落ち着け!」
「銀星、放せ。痛い目に遭っても知らないぞ」
桜は腕に力を入れながら静かだが低い声で言う。銀星に脅しをかけているのだ。
麗人に言われるとさすがに恐ろしいとは思う。だが、彼には切り札があった。
「俺の頬を殴るか? 天狐がそうしたいなら仕方あるまい。だが、そうなったら充に言いつけてやる。『怪我をしたのは天狐のせいだ』とな。ついでに天つ日にも何かしたら同じように充に言うからな」
桜にとって、何故充がそれほどまでに大事な存在なのか銀星にはよく分からない。だが、「どれほど大切であるのか」ということは見ていれば分かる。
充に「いいひと」と思われたい桜は、「銀星を傷つけたひと」などと思われたくないはずだ。
案の定、充の名前を出した途端、桜の怒りが一気にしぼんでいく。効果は絶大だ。
「お前という奴は……」
桜は己の怒りをどこにやったらいいのか戸惑いながらも、腕から力を抜く。
銀星はほっとため息をつくと、桜の手を離し、話を元に戻した。
「天つ日」
「何だ、銀星」
天つ日は薄ら笑みを浮かべて、黒い瞳で銀星を見る。
彼女の目は何かを語っているようなのに、じっくり見ていても何も伝わってこない。
銀星はその視線を静かに見返す。
「沙羅が邪気によって化け物になるのを避けられないのだとしたら、どうしたらいいのだ? 助けられないのか? 茜は……あれは、相当沙羅に入れ込んでいるぞ。それに充だって、俺の血で落ち着くことで万事解決すると思っている。茜も充も沙羅の事情を知らないだろう? 言わないままにしていていいのか? それに、天狐はこの件で充が関わることを心配しているが、俺も懸念はある。充が二人の関係に対して何かするにしても、あれには何もできないだろう。沙羅が邪気によって化け物になったとして、噛まれるなり引っ掛けられるなりをして、怪我をさせられるだけのような気がする」
茜は桜に「面倒を見るように」と言われて、沙羅のことを世話している。
最初はどうだったかは知らないが、茜の沙羅への甲斐甲斐しさは目を見張るほどだ。言葉づかいは厳しいときはあるものの、いつも沙羅が不自由をしていないか気にかけている。まるで本当の姉妹であるかのようだ。
だが、沙羅のほうは自分の父親が、茜の父親にしたことを知っている。
それを思うと、自分は茜に面倒を見てもらえる身分ではないと思うのも無理はない。自分だけで生きていこうと銀星の血を得たのも納得がいく。
だが、茜と充はそれを知らないし、沙羅の体に邪気が付いていることも気づいていない。
沙羅が銀星の血を体になじませることが、今の問題の終結だと思っている彼らの前で、沙羅が邪気によって化け物になったとき二人がどう思うか。
茜は愕然とするだろうし、充に至っては震駭するかもしれない。
そうなる前に、彼らに話しておくべきではないかと銀星は思ったのである。
「茜と沙羅のことを、時子に聞いたのだな」
銀星はこくりとうなずく。
そして薄茶色の瞳で、天つ日を見て返答を待つ。すると彼女は、短く「我は言わないし、そなたたちに伝言させるつもりもない」と言った。
「どうして?」
銀星は白銀の髪と同じ色をした眉をきゅっと顰める。
また天つ日の気まぐれだろうかと思っていると、彼女は意外なことを口にした。
「あの子たちは自分で何とかできる。そういうものだからだ」
まるで天つ日が、これから起こりうることに対して茜たちがきちんと対処できることを信じているかのような口ぶりである。
彼女がそんなことを言うと思わなかったので、銀星は驚いて目を丸くしていたが、天つ日は構わず言葉を続けた。
「大人たちが手出しするのはいい。大事にしているからこそ手を出したくなることもよく分かる。だが、何でもそんなことをしていたら、本当に助けにいってやれないときにどうなる?」
「私はいつでも駆けつけられる」
話を聞いていた桜が話に割って入った。
天つ日は彼の言葉にしようがないと言わんばかりに笑う。だが、馬鹿にしている笑いではない。桜の言い分も分かっているという雰囲気のある、優しい笑いだった。
「桜、そなたは己の力だけですべて助けられると思ってはいまいか? 残念だが、世はそれほど簡単ではない。少しは我慢強さを身に着けて、物事を外から見届けてみよ。それも力のある者の必要な役目でもあるのだからな」
「……」
「そうであるから、我はどのように充があの子たちと関わらざるを得ないかも秘密にする。桜に言えば、手を出しをして、助け出そうとしてしまうだろうからな。だが、そうすることで大切なものも失うことになる。ゆえに、我は言わぬ」
天つ日はそう言い放つと、立ち上がってその場で伸びをした。
「今日は無駄に話をしすぎた。暫くは声をかけても出て来ぬつもりゆえ、尋ねてくるなよ」
「誰がするものか。もう天つ日には頼らぬ」
桜がふんとそっぽを向いて言う。
すると天つ日は嬉しそうにくすくすと笑った。
「ふふ、その意気だ」
そして彼女は白い光に包まれたかと思うと、その光ごと祠の中に戻っていった。
一方の桜は不機嫌な表情を浮かべながら、銀星に「あとは頼む」と言い残して、空に向かって飛んでいく。
残された銀星は肩を落とすと、面倒なことになりそうだという予感だけを胸に、鷹山の奥深くにあるねぐらへと戻るのだった。




