第60話 天つ日
「ちょっと時子に用があってな。だから、充の帰りの付き添いを天狐に代わってもらったんだ。そもそも充に会いたいとも言っていたしな。だが、その用事は済んだ。それで鷹山に戻ろうとしていたところに、充が葵堂に帰って来たってことさ」
そう言うと、桜の肩に腕を回して鷹山のほうへ体を向ける。
「帰るの?」
充が尋ねると、銀星がうなずく。
「ああ。天狐と一緒にな」
それに対し、桜が銀星の腕を無理矢理外しながら反論した。
「私は来たばかりだぞ。茶を飲んで帰る」
「さっき来たと時子に聞いたが?」
すると桜は時子のほうを向いて、駄々《だだ》を捏ねた子どものようなむっとした表情を浮かべる。
「時子、何故私が来たことを銀星に言ったのだ」
彼女は何が問題なのかがよく分からないまま、きょとんとした様子で彼の質問に答えた。
「だって桜ちゃんに聞いた話をしてしまったほうが早いと思ったんだもの。そうなったら、銀ちゃんは『天狐はいつ来たんだ?』って尋ねるでしょう? だから答えただけなんだけど……」
「時子を困らせるなよ。とにかく我儘言うな。また明日会いに行けばいいだろう」
銀星が桜の二の腕辺りを小突く。
「そうだが……」
それでも引き下がらない桜に、銀星は真面目な声で「俺は天狐に話すこともある。だから帰るぞ」と言った。
桜は納得していないようだったが、渋々《しぶしぶ》とうなずくと、じっと充を見たあとにそっと視線を外す。
「……仕方がない」
大きくて長いため息をついた桜は、銀星に促され鷹山に体を向けた。
「充、また明日会おう」
しょんぼりとした顔をする桜に、充は戸惑いながらも笑顔を向ける。
「……はい。また明日。銀星も」
そして銀星のほうを向くと、彼はいつもとは違った爽やかな笑顔でうなずいた。
「ああ。——時子、茶をありがとう。じゃあな」
「どういたしまして。銀ちゃん、桜ちゃん、またね」
桜の様子が少々気の毒ではあったが、充は日が傾き暗くなり始めている鷹山のほうを向きながら、義母と共に桜と銀星の背を見送るのだった。
☆
「そろそろ元に戻っていいだろう。さっさと天つ日のところに行くぞ」
「ああ」
銀星と桜は葵堂から暫く歩きながら時子から聞いたことなどを話をしていたが、鷹山の麓に入った辺りで「変化の術」を解き元の姿に戻る。
すると二人はそれぞれの妖術を使って、空を飛んだ。
充がいるときは驚かせるといけないからとまだやっていないが、そろそろ鷹山の事情にも慣れたころだろう。銀星は冷たい風を切って飛びながら、今後は「この妖術を使って充を山小屋へ連れて行くこともあるかもしれないな」などと思った。
空を飛ぶことの利点は、早く目的地に着くことである。
鷹山の麓から大した時間もかからずに、天つ日がいる祠の元へと降り立った。
先に地上に下りた銀星は、雪の上を音も立てずに歩いて祠の前に立つと、そこへ声をかける。
「天つ日、いるんだろう? 時子に伝えてきたぞ」
すると、男か女か判別できぬ籠った声で『そうか』という返事が返ってきた。
これは想定内だが、次にどうやって「茜と沙羅」のことを聞こうかと思っていると、ちょうど地上に降り立った桜がつかつかと祠に近づき、銀星を押しのけて低い声で言う。
「おい、天つ日。茜と沙羅の件で何か隠しごとをしているだろう」
それに対し天つ日は呆れた様子で返事をする。
『……桜か。全く、何のことやら』
「とぼけるな! 充が関係することなら黙ってはいられない。出てきてちゃんと話をせよ」
『ひとの昼寝の邪魔をしていてよく言う』
ふわあ、と欠伸をしているような声が祠から聞こえた。
天つ日の態度に苛立った桜は、祠を掴んで揺する。
「お前はいつでも寝ているじゃないか!」
祠の土台は土に埋まっているだけでなく、天つ日の「見えぬ力」も加わっているため容易には動かないが、加減しない力で乱暴に扱えば土台が折れるかもしれない。その上、桜の力である。彼の見た目は麗人であるが、中身は千年は生きている狐の妖怪だ。その妖気といい、持っている力といい、普通の妖怪とは桁違いの力を秘めている。
そのため、もしかすると折れるのではないかと、銀星は傍ではらはらしながら見ていた。
「おい、天狐……。さすがにそんなことをしたら壊れてしまうぞ」
辛抱たまらなくなって銀星が進言したが、桜はふんと鼻を鳴らして言い返す。
「構うものか。出てこないこいつが悪い!」
そのときだった。
祠が、急に明かりが灯ったようにぱぁっと明るくなる。
白くて強い光に紛れ、そこからするりと白い半透明な何かが出て来たかと思うと、それはすうっと祠のわきの小高くなった場所に止まり、光がすうっと引く。
するとその場所に、白い着物を身にまとった女人が姿を現した。




