第56話 修たちの祈り
「手掛かりがない……?」
桜は空から視線を充に向けた。
彼の緑色の瞳は、充に優しく微笑みを向けていたが、その奥には寂しさのようなものが浮かんでいる。
「そう」
「では、その方を助けることができないということですか……?」
充は神妙な面持ちで尋ねた。
手掛かりがないということは、どこにいるか分からないということである。
当てずっぽうに探すにしても、どれくらいの時間がかかるか分からない。時間がかかれば、囚われた友人が助かるかどうかも難しくなってくるだろう。
「今はまだ……ね」
桜は静かに呟くと、笑顔を作って「足を止めてすまない。歩こう」と言い、再び歩き始めた。これ以上その友人の話をするつもりはないのだろう。
桜の心境を考えると踏み込んで尋ねるべきではないと考え、充も何も言わずに彼の歩みに合わせてついて行った。
「暗い話をしてしまったな。それより久しぶりに充と会ったんだ。充の話が聞きたい」
しばらく進み道が平らに近くなってきたところで、隣を歩きながら桜が言う。充は少し驚きながら、彼を見た。
「え? でも、僕の話なんて特に面白くないと思います……」
「そんなことはない。六年も会っていなかったんだ。話すことは色々あるだろう。——そういえば、葵堂の生活には慣れたか?」
優しく尋ねる彼に、充はゆっくりと視線を足元に移す。
「少しは慣れましたけど……。でも、桜が面白いと思うような話なんて……。だって、僕は役に立っているかよく分からないし……」
すると桜が優しい声でこんなことを言った。
「さっき桃菓糖の話をしただろう。お祝いのために持ってきたものだが、あのお菓子を頼んだのは修と時子、そして類なんだよ」
充はその言葉にはっとする。再び顔を上げ桜を見ると、彼は朗らかな笑みを浮かべていた。
「え……?」
「『お祝いをするから何がいい?』っていったら、『お菓子にしてほしい』って。養子にもらったのはいいけど、その子がずっと気を張っているから、それが解れるようなお菓子を買ってきてもらいたいと言われたんだ」
「……」
「お菓子にはいくつか候補があった。そのなかで桃菓糖が選ばれたのには訳がある。分かるかい?」
「……分かりません」
充はふるふると首を横に振る。
小豆の入った饅頭や大福なら、お腹の調子を整えてくれるとは聞いたことがある。だが、それ以外の菓子は桃菓糖以外思い浮かばない。高価なものなので、世間にどういうお菓子があるのか充はよく知らないのだ。
「『悪しきものを充に近づけないように』。そして『桃の気が充を守ってくれますように』という祈りが込められている」
桜が白い息をはき、諳んじるかのように言う。
充はその意味が分かると、ゆっくりと目を見開き立ち止まった。
「祈り……?」
少し先に進んでいた桜は、背中に声をかけられて振り返り、充を見上げる。
桜色の髪がさわさわと冷たい風に揺れていた。
「そうだよ。桃には邪気払いの効果があると言われていて、悪いものを寄せ付けないといわれているんだ。……私は簡単にだが、充が葵堂に来た経緯を聞いた。修たちは『ミツ』の父親に『充』を奪われないように、もしくは手出しができないようにしたかったのだろうと思う」
充の目頭はだんだんと熱くなり、自分の視界が潤んでくる。
ずっと外にいたために冷え切った頬には、ぽろりと零れた雫は熱い。一瞬にしてその雫は大気に熱を奪われ冷たくなるが、その間にも次々と涙が頬を伝っていくので、充の頬は熱いものと冷たいものが織り交ざっているかのようになっていた。
「……」
桜はゆっくりと充に近づくと、そっと彼の頬に触れ、涙を指で拭った。
冷たいような温かいような桜の指は、つるりとしていて、充の頬をすっと滑っていく。そして幼い子に言うように、ゆったりとした口調でこう言った。
「充。時子は言葉足らずだし、修は旅に出てから暫く帰って来ないし、類も傍にいなかったから心細く思うのも当然だろう。自分が葵堂にとって必要かどうかも気になっていたかもしれない。でも、大丈夫。彼らは充のことを大切に思っている。掴んだ手を離すことはないから安心しなさい」




