第54話 天狐の桜
麗人の美しい形の唇は、言葉を発するたびにきれいに動く。そして「桜」と名乗った麗人は、充を見つめると不思議と親しみを感じる優しい笑みを浮かべた。
「桜……さん? えっと、『ようやく会えた』ってどういうことですか?」
分からず尋ねると、桜は柔らかな声で答える。
「私はずっとそなたたちを見ていた。修と時子と類。そして充……優しい子」
「あの……」
充が呟くと、桜は充の頬から手を離し、代わりに彼の右手を両手で取ってきゅっと握った。
「大きくなったなぁ。私は嬉しいよ」
白い息をはきながらにこにこと笑う桜を充はただただ見つめる。
どうしてこの麗人は、自分と会っただけでこんなに嬉しそうにしているのか、充には全く分からない。
すると桜が何かを思い出し「そうだ」と呟く。そして徐ろに右手で左袖の中を探り、上等な白い和紙で包まれたものをゆったりとした動作で取り出すと、そのまま充の右手に乗せた。
「はい、お土産」
「お土産、ですか?」
「うん。開けてみて」
促されるままに包みを開けると、桃を月形に切って乾燥させ白い砂糖をまぶした菓子が現れる。
充は一瞬にして懐かしさがこみ上げてきた。
「これって……」
目の前にあるのは、先ほど風流に話していたときに出てきたお菓子と同じものである。「葵堂」を訪ねて来た客人が持って来てくれたというものだ。
「桃菓糖だ。懐かしいだろう?」
桃菓糖。それは口に入れると途端に甘さが広がり、少し硬い果肉を噛むと、ふわりと桃の香りが鼻を通る菓子。
それはいいのだが、今、桜は「懐かしいか?」と聞かなかったか。
初対面の桜が何故、充がこの菓子を見て懐かしむであろうと知っていたのかが謎で目を瞬かせる。
「どうしてそう思うのですか……?」
充の質問に、桜が緑色の瞳を細めた。
「そなたが葵堂に来たばかりのときに、桃菓糖を持って来たのは私だ」
充は何度か桜の言葉を頭の中で繰り返したあと、目を見張る。
「……桜、さんが?」
「桜でよい。そう呼んで欲しい」
頼まれて、充は内心緊張しながらもそっと名を呼んだ。
「えっと……さ、桜が?」
すると麗人は弾けたように顔をほころばせる。まるで本当に桜が咲いているかのような、華やかな笑みだった。
「そうだ。修と時子が十歳くらいの子どもを迎えたと聞いたから、祝いに持って行ったんだ。充が物珍しそうにしながら桃菓糖を食べると、くりくりとした目を大きく開けて、これほどにおいしい菓子があるのか、と言って破顔したのを昨日のことのように覚えているよ」
そういえばそんなこともあった――と思ったが、そのときの記憶を思い出しても、どうも目の前にいる桜と姿が一致しない。
桃菓糖を持って来てくれたのは、確か背の高い黒髪の女性だった。
「でも、あのとき家に訪ねてきたのは、黒髪の女の人だったはずですが……」
躊躇いながら呟くと、桜は「ああ」と言って理由を説明する。
「髪を黒くしていたのは、人に妖だと思われないように『変化術』を使っていたからだよ」
聞いたことのある言葉に、充ははっとした。
「変化術? もしかして、茜が使っていたものも桜の妖術なのですか?」
すると桜が嬉しそうに笑う。
「ああ、そうだよ」
そのとき充の中で、茜の「変化術の話」と桜が繋がった。
(そうか。茜の言っていた「天狐」って、桜のことだったのか)
しみじみ思っていると、桜が言葉を付け足す。
「念のために言っておくが、私には人間の言う性別というものがない。あのとき、胸を作って女の姿をしていたのは、そのほうが菓子を買うのに都合が良かっただけで、大した意味はないよ」
そうあっさりと言ったが、一方の充は内心衝撃を受けていた。
(妖怪って、性別がないこともあるんだ……)
世の中、妖怪も関係なく男と女で成り立っていると思っていたので、充にとって初めて知る世の中の理に、己の無知を知らされたような気分になる。
(こんな美しい人が、女性じゃないんだ……。あ、いや、男性でもないのか……。何だか変な感じだ……)
「どうかしたか?」
桜に声をかけられ、充ははっとする。
「えっ、あ、いえ……何でもありません……」
「そうか。まあ、性別がないというのは結構色んな面で不便だから、便宜上は『男』ということにはしているけれど」
「は、はあ……」
充が何とも言えない反応をすると、桜はふとこんなことを言った。




