第48話 「操墨」という術
銀星ははっとする。それは茜の父に使われた術も同じ名前だった。
「絳祐殿に使われた術と同じ……?」
銀星の指摘に、時子はしっかりとうなずく。
「『操墨』という術はね、術を使うときに使う『墨』に秘密があるの」
「『墨』に秘密?」
小首を傾げる銀星に、時子が説明をした。
「術師たちが、術を発動させるために地面に陣を書いたり、札を作ったりする。それは、自分の持っている『気』の力を増幅させたり、『術』という能力に変換するための装置みたいなものなのね。『操墨』ではそれを『墨』が担うの」
「ということは、その『墨』は特別なんだろうな?」
銀星の問いに、時子は神妙な面持ちでうなずいた。
「ええ。大抵は力のある山の樹を切り出して、墨に念を込めるの。そうすることで、術を発動させることができる『墨』になる。『操墨』は術の自由度が高くて、墨を蜘蛛の巣のように使って妖を捉えることもできたし、葉っぱに『物探し』なんて書くと、それが風に乗って探し物を見つけてくれるなんてこともできたんだって。でも、いくら術を使う者の『気』の力や技量が高くても、『墨』そのものに備わっている力が弱かったせいで、強い妖を捉えたり、封印したりすることには使えなかったみたい。だけどね、『陰術』の一人だった『鏡』という男が、『墨』の中に妖怪の血を混ぜたことで状況は一変した」
「妖怪の血?」
怪訝な顔をする銀星に対して、時子は変わらず淡々と話を進めていく。
「『操墨』の強度がとても上がったようなの。今まで使えなかった強い妖に対しても使えるようになり、滅することすらできるようになった。でもね、当時の当主は、進化した『操墨』を認めなかった。何故なら『操墨』の『墨』の元となった妖が、『邪道』が管理する小屋の中に囚われた状態で、生き血を流し続けていたから」
銀星は息を呑んだ。
「じゃあ、その妖怪はずっと強い『墨』を作るために、生かされ続けていたということなのか?」
「ええ……」
時子は瞼を閉じ、僅かに眉を寄せた。
銀星が見る限り、その表情はまるで囚われた妖怪を思って、悲しんでいるように見えた。
(何てことだ……)
人だろうと、妖だろうと、同じように痛みは感じる。
たとえ憎い相手だろうと生き血を取り続けるというのは、妖の間ではあり得ない話だ。
「人間は恐ろしいな……」
銀星がぽつりと呟くと、時子は目を開き、じっと座卓の上の湯飲みを見つめる。
「そうね……」
短い言葉だった。だが、人間の愚かさに呆れ返っているかのような呟きだった。
「……そのあとは、どうなったんだ?」
銀星が続きを促す。時子は、感情の籠らぬ声で言った。
「当時の『陰術』の当主が、『それは陰術が望む術の形ではない』と言って、『鏡』を破門をしたの。だけど『鏡殿が破門されるなら私もついて行く』と言った者たちが大勢いて、『陰術』の本家がもぬけの殻に近い状態になってしまった」
銀星はきゅっと眉を寄せる。
「何故? 当主よりも『鏡』という男のほうがよかったのか?」
半妖の銀星でも、この状況がおかしいことは分かる。
当主は組織の中で一番偉い人間のはずだ。それにもかかわらず、何故破門されることになった者のほうに人望が集まったのか理解できなかったのである。
それに対し、時子が理由を教えてくれた。
「祖父の話によれば、そのときの当主はまだ十七歳の青年だったみたい。世襲制だったようだから、若すぎると分かってはいても立たせるしかなかったようよ。だけど結局は形だけ。周囲の大人たちは幼い当主の命令に従わず、皆ばらばら。それなのに仕事は入って来ず、下手をしたら全員が飢え死にしてしまう状況。その中で『鏡』が、『陰術』の中で初めて妖を滅する力を手に入れた。もちろん、冷静に考えれば短絡的よ。だけど当時の『陰術』の術者にとって、自分たちが生き残っていけるかどうかの瀬戸際にいただけに、『鏡』が生み出した新しい術は彼らにとっては希望だったのだわ」
「敬慕の的になるのも、自然な流れだったってことか」
「残念ながら、そういうこと。そして『鏡』は自分に付き従う者たちを伴って、新たな一派を立ち上げた。それが『邪道』よ。自分たちで『邪道』というくらいだから、ほとほと呆れる連中だったのだと思うけれど、彼らの問題はそれだけでは済まなかった。『操墨』の『墨』を妖怪の血を入れることで強化していたといったけれど、血を提供してくれる妖もいつまでも生きているわけじゃない」
時子の静かな言葉に、銀星はあることに気づいた。
「まさか『邪道』が絳祐殿を罠にはめた理由って……」
それに対し、時子はこくりとうなずく。
「多分、絳祐さんの血を使って強い『墨』を作ろうとした……いえ、作ったんだわ。彼を捉えた沼を使ってね」




