第3話 獣の正体
(怒りが収まった……?)
すると静かな空間に、茜の凛とした声が響く。
「——沙羅」
茜が再びその名を呼んだ瞬間、小屋の奥から「ぐわぁ!」という叫び声と共に、恐ろしい速度で何かがとびかかってきた。
「うわっ!」
充は咄嗟に両腕で体を守るような体勢を取ったが、ガッという衝撃音が聞こえる。
(噛まれた⁉)
と思ったが、一向に痛みが来ない。怖がりながらもそっと目を開けてみると、目の前には、いつの間にか充と同じくらいの身長まで伸びた茜の背があった。
「な、何……⁉」
充はわなわなと震える声で呟く。何がどうなっているのだろうか。
だが状況を確認しようにも、見えるのは茜の背だけでそれ以外は分からない。
するとそのとき、ポタポタと何かが滴る音がする。目線を下へ向けると、引戸から入ってくる陽光に照らされていたのは鮮血だった。
彼女は宣言通り充の盾となり、庇ったのだ。茜が傷ついたことに驚き、困惑したが「もしこれが自分だったら」と思うと、さぁーっと全身の血の気が引いていく感じがした。
「沙羅、まさか私の血まで飲む気か? 死ぬぞ」
茜は自分の腕が噛まれているというのに、噛んでいる相手に軽い口調で意味の分からないことを言う。
「あ、あかね……?」
やっとのことで名を呼ぶと、彼女はちらりとこちらを振り向き、淡々とした様子で「無事だな」と言うと深紅の瞳を細めた。こんな状況であるのに、彼女は笑っている。
「危ないからあたしの後ろに隠れてな」
そう言って、茜は次の行動にさっと移る。自分の右腕に噛みついている《《それ》》を振り払うように、腕を小屋の奥に向かって思い切り振るったのだ。
「ぐわっ!」
強い遠心力で振り飛ばされた《《それ》》は派手にぶつかったようで、壁が破壊される音とともに木の破片や砂埃が舞い上がった。
「だ、大丈夫、なの?」
充は腕から血を流している茜と、何かが飛んで行った方向を交互に見ながら尋ねる。
「来るよ。下がってな」
だが、茜は彼の質問に答えることなく、腰を屈めて戦闘態勢に入る。その瞬間、奥に吹っ飛ばされた「何か」が、再び驚くような速度で茜との間合いを詰め、今度は鋭い爪でひっかいた。
だが茜はそれを上手くかわす。そのため爪は空を裂いたが、「何か」はその勢いのまま床に両手を付いて倒立の状態になった瞬間に、腕をばねのように使い、茜に向かって蹴りを入れた。
「ちっ!」
茜は避けることができなかったのか、その蹴りを受けて体勢を崩してしまう。その隙に相手は再び強い足蹴を繰り出し、引戸ごと外へ吹っ飛ばされてしまった。凄まじい強さである。
「あ、茜!」
充は心配になって叫んだが、その瞬間自分の隣に恐ろしい「何か」が立ったのを感じ全身を悪寒が襲う。そっと気配のする方に目を向けると、引戸がなくなって外の明かりが室内に入ったお陰で、「何か」の姿が露わになった。
「え……?」
充は、茜と対峙していた者を目にして絶句した。それは獰猛な獣でも番犬もなく、まだ年端のいかぬ少女だったのである。