第46話 時子と銀星
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充が鷹山で茜と話をしているころ、葵堂に訪れている者が一人いた。
銀星である。
だが、普段の白銀の髪をした少年の姿ではなく、髪は肩まであるさらりとした黒髪で、体つきがしっかりとした青年の姿になっていた。
姿が変わっているのは人里のほうへ降りているため、万一に備え、天狐の変化術を借りて姿を変えているからだ。
「いらっしゃい、銀ちゃん」
戸口の前で戸を叩こうとしたとき、がらっと勝手に扉が開いた。出迎えたのは時子である。
彼女はその姿を見るや否や、朗らかな笑みを浮かべた。彼女には変化術を用いてもすぐに「銀星」だと分かるらしい。
親しげな声で呼ばれた銀星だったが、「銀ちゃん」という呼び名が不満なため、無愛想な顔にさらに眉間の皺を深くして時子を見下ろす。
「その呼び方はやめろと言ったはずだぞ、時子。銀星と呼べ」
すると時子は残念そうに「可愛いのに……」と呟く。
銀星はちょっとした罪悪感が胸に浮かんだが、これまでの経験上、どうせ注意しても次からは再び「銀ちゃん」と呼ぶのだろうと思ったので気にするのはやめた。
「それより話があるのでしょう? お入りなさいな」
時子に勧められると、銀星は素直に葵堂の中へ入る。薬屋というだけあって、いろんな薬草の香りが漂っていた。
「もしかして、においがきつい?」
今は天狐の変化の術を借りているので人間の姿であるが、半妖の能力が消えるわけではない。銀星が妖犬と人間の間に生まれた子であり、鼻が利くことを知っている時子は気を使って尋ねてくれたのだ。
しかし、今日は問題なさそうだったため、銀星は「大丈夫だ」と答えた。
「煮だされていると、においがきつくなるから逃げ出したくなるが、これくらいなら平気だ」
「それならよかった」
時子はほっと胸をなでおろすと、てきぱきと温かなお茶を用意し銀星に出す。そして小さな座卓を隔てて座ると、時子のほうから「沙羅ちゃんと茜ちゃんのことね?」と尋ねた。
「察しの通りだ。その件で、天つ日——いや、お天道さまから伝言があって来た」
銀星は肩を竦める。
時子は、人間だが妖怪と近い生活を送ってきたせいなのか、それとも生来のものなのか、「物事」に対する察しがいい。次に何が起こるのか、どういうことが起こるのか。そしてどう対処し、どう駒を進めればいいのかよく心得ている。
ただし、一定の物に対する感覚の鋭さが影響しているのか、心の機微に疎いところがあるのが玉に瑕ではある。
「そういえば、俺が時子に茜たちの話をするのは初めてだな。どこまで知っている?」
時子は「そうねぇ」と空を見つめて考えたのち、次のように答えた。
「茜ちゃんが鷹山にいるのは、以前いた村で、お父上である絳祐さんが『鬼』であることを知られてしまったから……というのは聞いたわ。村の人たちに知られてしまったきっかけは、絳祐さんが術が掛けられている沼に飲み込まれてしまったせいだって。そういうものって、妖にしか効かないから……」
「ああ。しかも厄介なことに、その沼に仕掛けられていた術っていうのが、『邪道』の一派が仕掛けた『操墨』の術なんだ。……時子は『邪道』のことは知っているよな?」
妖と関わる薬屋のことだ。「邪道」が「陰陽術」から派生した一派であることくらいは知っているだろうと思っていると、彼女は意外なことを口にした。
「ええ、もちろんよ。私の祖父が陰術の本家である、『藤宮家』にいたときの時代の話だもの。祖父に聞いた話だと、『邪道』が登場したとき相当大きな問題になったらしいわ。お陰で一族の中では毎日その話で持ち切り。祖父は陰術の家柄に生まれながら、元々妖と共存したい人間だったから、あまりそりが合わなかったみたいなのよね。そんな中『邪道』問題でさらに嫌気が差したから『藤宮家』を抜け出して、ここに薬屋葵堂を構えたのよ」
銀星は時子の話している意味が分かると、驚いて目を丸くする。
「そうなのか? それは知らなかった……」
銀星が鷹山に来たのは、今から二十年ほど前のこと。
そのときすでに、薬屋葵堂の店主だった修に聞いた話では、「葵堂は時子の祖父が始めた薬屋なんだ。だから世間体として僕が店主をやっているけど、本来は彼女のほうが薬とかは詳しいんだよ」と朗らかに笑って言っていたので、修が婿であることは知っていた。
しかし、銀星が来たころにはすでに時子の祖父は他界していなかったし、葵堂ではちょうど類が生まれたばかりのころだったので、事細かに成り立ちを聞くこともなかった。そのため、聞かないままになっていたが、まさか陰術と関りあるものが血族にいたとは思いもよらなかったのである。
その一方で、葵堂がここにある理由もこれで合点がいく。
普通、妖が住む鷹山の麓に薬屋を作るなど考えないだろうが、陰術の一族にいたのであれば、妖への耐性もあるし、時子の祖父が元々妖と共存を望んでいたなら、ここはぴったりの場所だ。




