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薬屋葵堂と赤鬼物語  作者: 彩霞
第三章

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第42話 決別

「金……金だと……?」


 父の表情から急に怒りが引いていき、驚いた顔をする。

 しかし驚いたのは父だけではなかった。

 母も、奥で見守っていた姉も、そして充もである。


「いかがですか?」


 修はにっこりと笑う。


「……い、いくらだ?」


 手のひらを返して尋ねる父を、母がそでつかんで止めた。


「あんた、やめておくれ!」


 しかし、修はそれを聞かずに答える。


「五両でいかがでしょう」


 充には、その金がどれくらいのものを指すのかよく分からない。

 だが、「イーソ」ならば一生かけても、手にできることのない大金であることは想像できた。


「ご、ご……!」


「あんた、まさかミツを売る気じゃないだろうね⁉」


 父は母に掴まれた袖を振りほどき、すぐに返事をした。


「売った!」


 即決だった。

 しかし、母は父の袖にすがって決定を変えてもらおうと必死になる。


「あんた、ちょっと待っておくれ! 本当にミツを売るっていうのかい?」


「うるせえな。ミツが養子に行ってくれることで、うちには金が入る。その上、一人食い扶持ぶちが減るんだ。それにこいつは、いたってしょうがないだろ。悪さばっかりしてんだからよ」 


「……それは、そうだけどさ」


 母は言い返す言葉が見つからず、勢いを弱めた。


「家には働き者が残って、厄介者やっかいものがいなくなる。これ以上いいことはねぇだろう」


「……」


 父にそう言われると母はうつむいた。

 逆らうわけにもいかないので、それ以上何も言えないということだろう。


「……ミツは、それでいいの?」


 母から一歩引いたところで事の成り行きを聞いていた姉が、母の傍に立って心配そうに聞いてきた。


「姉さん……」


 心配してくれているのだ。そう思うと、充は嬉しくなった。いつも末の妹と弟にかまけている姉も、本当は自分のことを気にかけているのだと。

 そのときだった。

 母たちの後ろで話を聞いていた次兄が出てきて、こんなことを言ったのである。


「ミツが可哀かわいそうだ。俺が代わりに行ってやるよ。ミツもここにいたほうがいいだろう?」


 寂しそうな顔をする次兄。だがそれは、自分がここから逃れたいがためのいつわりの姿だろう。母と姉は戸惑うように次兄を見た。


「なあ、母さんたちもそう思うだろう?」


 同意を求めるように言った次兄に、母は目を泳がせながら「そ、そうね……。ミツは……、まだ幼いもんね……」とつぶやく。

 次兄と母の言葉に、充の中で怒りの気持ちが一気に沸き上がった。


(修さんが言った「五両」という金額。父さんにそれだけのお金を出せるのだから、兄さんは「お金持ちの修さんについていったほうが、いい生活ができる」と思っているんだ……! そして母さんは、本当は僕じゃなくて兄さんが家の厄介者だってことを知っているんだ。だから僕のほうを家に残したほうがいいって思っている。でも、父さんに逆らえないからこれまでずっとかばってくれなかった。今更……今更だよ……!)


 充は自分の髪の毛が逆立つのを感じる。

 今にも次兄になぐりかかりたいような気分だった。だが、ここで次兄に何を言ってもこの家族は充の味方にはなってくれない。たとえ真実が分かっていたとしても。

 充は怒りのような、腹立たしさのような激情を何とか抑え込むために、太ももの横でぎゅっと拳を握りしめて我慢すると、哀愁あいしゅうのある笑みを浮かべてはっきりと言った。


「兄さん、姉さんありがとう。でも、僕がこの人の養子になるよ。だって、そのほうが皆のためにもなるからね」


 すると、次兄は一瞬だけ鼻に皺を寄せたが、急に態度を変えて「そっか。じゃあ、勝手にしろよ」と苛立いらだった様子で言った。自分の思うとおりにいかなかったから、悔しかったのだろう。


(僕はもう、兄さんのためには生きないよ)


 充が心のなかで気持ちに区切りをつけると、何かを察した修は充の右手をにぎった。

 見上げると「本当にいい?」と問うているような顔がある。充がこくりとうなずくと、修が優しい笑みを向けてくれた。


「本人の意見も聞けましたし、ご主人の許可を得たということで、取引は成立ですね。明日畑仕事が終わる夕方ころ、地主さまのところにいらしてください。手続きをいたします。お金もそこで。よろしいですね?」


「ああ、構わねえよ」


 金が入ると分かり上機嫌になった父はそう言うと、家の中に入っていく。

 次兄はすでに引っ込み、母と姉だけが心配そうに充のことを見ていた。長兄は部屋の奥で末の弟と妹の面倒を見ていたためか、一切口は出さず、こちらには背を向けていて見送る気もないようだった。


「ミツ……」


 母が今にも泣きそうな顔をする。

「ミツ」と呼んだ一言には、どう言っていいのか困っているような、引き留めたいような、だが引き留められない気持ちがあるような、そんな複雑なものがあるように思えた。


「会いたかったら会いに来ていいんですよ」


 修が充に耳打ちしたが、彼は首を横に振った。

 決めたのだ。もう、この家には戻らないと。


「母さん、姉さん、今までありがとう。さようなら」

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