第40話 貧しい家
(もう着いた……)
暗闇が支配している空の下、修が駆る馬に乗せてもらいながら充は自分の家に向かっていたが、あっという間に着いてしまって驚いていた。
しかしよく考えてみれば充の足でもそれほどかからずに、地主の屋敷に辿り着くのだ。馬で向かえば大した時間もかからずに辿り着くのも当然である。
早く着いたお陰で、道中、妖に襲われる心配をしたのが馬鹿らしかった。
「ここですね」
「はい……。粗末な家でございますが、ここが僕の家です……」
馬を下り、提灯に火を入れて尋ねる修に、充は小さく答えた。
謙遜の意味ではなく、本当の荒ら屋の家である。生まれ育った場所ではあるが、修のような身分のある人が来るようなところではないなと、つくづく思った。
彼はそれを見てふっと笑うと「大丈夫ですよ」と言った。
何が大丈夫なのか充には分からなかったが、馬から降ろされると、修の隣に立って事の成り行きを大人しくしく見守ることにした。
修は充の様子を確認したのち、「御免下さい」と言いながら粗末な木戸を叩く。
すると「はい」と聞こえたあとに、「ったく、こんな時間帯に誰だい?」という文句が聞こえてきた。まさか外に話し声が筒抜けになっていると思わなかったので、充はまさかこうなるとは思わず、恥ずかしさで顔を俯けた。
「はい、はい、お待ちくださいね」
がらりと木戸が開くと、ほっそりとした長女が目をまん丸にして驚きの声を上げた。
「――え⁉ ミツ……と、誰⁉」
「……ただいま、姉さん」
充が言うが、姉は困惑したままである。
「え? え? どういうこと?」
長女は戸惑った様子で修と弟を交互に見た。
「こんばんは。こちらにミツ君の親御さんはいらっしゃいますか?」
修がにこりと笑うと、彼女は背筋をぴんと伸ばし、緊張した声で「はいっ!」と返事すると、慌てて母親を呼びに行った。
奥で「なんね?」という母の面倒そうな声が聞こえる。
だが、娘から話を聞いて何か気づいたらしい。手拭いで手を拭きながら、入り口のところまで出てきた。
「はあ、あの、あなたさんはどなたで……?」
母は目を丸くして尋ねた。
「この方は僕を助けてくれた人だよ」
「薬屋の店主をしています、葵と申します」
「息子を助けた」というのを聞いて、充の母は頭を下げた。
「こりゃご丁寧に……、ああ、えっと……そうだ、あんた! あんた!」
母が父を呼ぶ。すると、奥から「なんだよ!」と機嫌の悪そうな声が聞こえた。
「お客さまだよ、ちょっと出とくれ!」
「誰だよ!」
「薬屋さんだよ。いいからちょっと来とくれ!」
母の説得で、父は渋々《しぶしぶ》と出てくる。
手にはいつも晩酌で飲んでいる、大徳利が握られていた。修が持った提灯で照らされた彼の顔は、火の光に照らされているというだけでなく、酒を飲んだせいかほんのりと赤い。
「誰だよ、こんな夜分によ……」
着崩した格好で出てきた父は、さも面倒そうに修の前に立つ。
充は何か悪いことが起きやしないかと、ハラハラしてきた。
「今晩は。夜分に突然お伺いしまして申し訳ありません。薬屋の葵と申します」
「薬屋が何の用だい?」
丁寧に挨拶をする修を無遠慮に眺めながら、「そうだ、ミツ。お前の飯はないぞ。帰ってくるのが遅いから抜きだ」と言う。今言わなくてもいいことを平気で言うのが、充の父なのだった。
修はその様子を静かに眺めながら、柔らかだが芯のある声で「実は息子さんが怪我をされたので、手当てをいたしました」と言った。
「え⁉」
「な……っ!」
すると、母親のほうはとっさに、充がやったように地べたに跪く。
充よりも背の高いはずの母が、ひどく小さく見えた。日焼けした傷だらけの細すぎる手が震えていた。
「うちの息子が、大変なご迷惑をお掛けしたようで! ほんとうに、ほんとうに申し訳ねえ! しかし、この通り! うちは金がありゃせん! あんたさまがどういう気持ちでこの子のことを助けたのか知りませんが、お薬代を払える金はありませんので、どうぞその子を使いっ走りでもなんにでもしてくだせえ! どうか、この通りです……! どうか……!」
「お母さま、顔を上げてください。そんなつもりは――」
そう言って、修が充の母を起こそうとしゃがんだときだった。
「貧乏のうちの子どもを助けるとはどういうこった。金をせびるためか?」
父が喧嘩腰のような態度で、修に突っかかったのである。
充の父の問いに対し、修は否定した。
「まさか。善意でやったことです。私はただ、この子が怪我をしたこと、そして治療をしたこと。そしてしばらく働かせず休ませてやってほしいとお願いしに来たんです。あと、この子の言っていることを信じてほしいと」
「休ませるだぁ?」
父はせせら笑う。
「あんた、身分があるみたいだが馬鹿なお方なんだなぁ。俺たちは自分の畑だけではやっていけねえから、百姓のなかでも最も馬鹿にされてる『イーソ』って言われてんだ。イーソが何のことか知っているか?」
修は感情の籠らぬ声で「……いいえ。存じ上げません」と答える。父は勝ち誇ったように大口を開けて笑った。




