第39話 滝との会話
「そうでしたか……。辛かったですね」
修の労わる優しさが、充を癒してくれるようだった。
(修さんの息子さんは、幸せだろうな……)
充はふとそんなことを思う。
修が与えてくれた着物は「息子の使い古し」と言っていたので、息子がいるのだろう。
(毎日生きていくことすら大変でも、修さんのように、励ましたり慰めてくれたり、労わったりしてくれる人が傍にいてくれれば、辛いことでも乗り越えていけるのに……)
「ミツ君。あなたのおうちは、ここから遠いですか?」
物思いに耽っていたとき、修に声を掛けられ、はっとする。
「……え? あ、あの、その……も、申し訳ありません! 聞いておりませんでした!」
尋ねられたことを聞いておらず、必死になって頭を下げる。
修は「そんなに謝らなくても大丈夫ですよ、もう一度言えばいいことですから」と笑って改めて質問してくれた。
「ミツ君の家がどこにあるのかをお聞きしました。ここから遠いですか?」
尋ねられ、充は「どうしてそんなことを聞くのだろう」と思いつつ、ここから自分の家の距離を考えてみる。
(僕の足で歩いて行ける距離だから、そんなに遠くない……ってことでいいよね……?)
「あ、えっと……そんなに遠くはないと思います」
「どれくらいの距離があるかは分かりますか?」
尋ねられ、首を横に振った。
寺子屋に行っていれば少しは分かったかもしれないが、学んだことのない充には距離を示す方法がわからなかったのである。
「そうですか。分かりました」
修はおもむろに立ち上がると、障子戸を開けて近くの女中を呼んだ。気づいた一人が、入り口に跪き、頭を軽く下げながら「何か御用でしょうか」と尋ねる。
「すみません、このあと夕餉を用意していただくことになっているのですが、どれくらいで出る予定ですか?」
「あと半時(一時間)ほどかと思います」
「そうなのですね。分かりました」
「他に御用はございますか?」
「使用人の滝さんを呼んでいただけませんか。急ぎの用事なので、できれば早く。もし彼がいなければ、別の方を呼んでください」
「かしこまりました」
女中は深く頭を下げると、丁寧な所作ながら素早く立ち上がり去っていく。
彼女とやり取りをしてそれほど経たないうちに、男が障子戸越しに声をかけて来た。
「葵殿、滝が参りました」
先ほど、充を助けないようにするために、修を止めようとしていた男の声である。
充は反射的に体を強張らせたが、気づいた修が「大丈夫です」といって、背中に隠してくれた。
「どうぞ、お入りください」
部屋に入った滝は、正座をし修に一礼してから「何か御用でしたか?」と尋ねた。
「地主さまは戻られましたか?」
「それがまだでして……。先程早馬が到着したのですが、このまま行くと夜の道になってしまうので、今宵は隣村の地主の家に泊めてもらうとのことでした」
(妖怪に襲われるからかな……)
日中は陽の光で、妖が姿を現すことはないが、闇に包まれると動き出すため見つかったら襲われるといわれている。
充は妖を見たこともないだけでなく、襲われたこともないが、数か月に一度ほど朝方に、「妖怪の仕業である無残な姿の死体が見つかった」という話が集落で噂になっていることがある。よって充をはじめ、人々は妖のことを恐れているのだ。
そのため夜に出歩く者はほとんどいない。
ただし、妖怪を追い払うことができる「祓い屋」がいるときは別だが、よっぽど金を持っている者でなければ難しいことである。
「そうですか。では、丁度いいですね」
すると修はすっくと立ち上がって、羽織を着た。
「すみませんが、この子と少し出かけてきます」
「はい?」
滝は間の抜けた声を出し、修を見上げた。
「早く終わらせたいので、馬も連れていきますね」
「ええ?」
「夕餉を作っていただいているのに勝手なことをして申し訳ないのですが、夜四つ(午後十一時ごろ)までには戻ってきますから」
矢継ぎ早にこれからやることを話す修に、滝はやっとのことで言った。
「え、あ、その、ちょっ! お待ちください! これから外へ出るのは危険です!」
「大丈夫ですよ。私に悪さをする妖はおりません」
修はにっこりとほほ笑む。
「その自信がどこから来るのか分かりませぬが、どちらに出かけるというのです⁉」
滝の意見に、充も心のなかで同意していた。
(今から、外に行くの……?)
これから出かけると聞いて、急に怖くなる。修はいい人だと思うが、妖怪に襲われるかもしれない夜に出かけると思うと気が気でない。
「この子の家に行くのですよ」
「どうして……」
戸惑う滝は、修の背に隠れている充のほうを見る。
だが、困惑しているのは彼も同じだった。まさか、自分の家に行くとは思っていなかったのである。
「出かける理由を説明していると長くなるので、それは地主さまが帰ってきた明日にでも必要であればいたしますよ。万に一つの可能性ですが、ひと仕事していただかなくてはなりませんしね」
「は?」
「とにかく、大丈夫です。必ず戻ってきますから」
そういうと修は充を立ち上がらせ、子ども用の羽織を肩にかけてやる。
夜気に体を冷やさないようにするための気遣いだろうが、それとこれとは話は別である。
「あ、あの……」
震える充に、修は明るい声で言った。
「さあ、ミツ君。あなたの家に行きますよ。案内してください」
はっきりと言われ、充は現実を突きつけられたような気がした。よく考えてみれば分かることだ。修に助けられたからこそ、客間にいられるが、自分はここにいていいはずの人間ではない。
(修さんと、もう少しだけでいいから一緒にいたかったな……)
せめて一晩だけでも、この優しい人の傍にいられたらと思ったが、充の儚い夢は一瞬にして霧散した。
「分かりました……」
充は「仕方ないことだ」と自分の気持ちを押し殺して、修の言葉にうなずいた。
「さあ、いきましょう」
修は高らかに宣言すると、戸惑っている使用人の滝を置いて、充とともに彼の家へ向かったのだった。




