第32話 側役
地主の屋敷に行った充は、表の門番に事情を話すと、門番が中にいる別の人物に話に行く。少し待っていると、屋敷の出入り口で待っていた門番から「側役殿が入れと仰せである」と言う。
それは充にとっては驚きの言葉だった。
自分のような卑しい生まれでも、地主の屋敷の中に入ることができると思わなかったのである。
「失礼いたします」
充は精一杯失礼のないようにしようと思いながら、屋敷の中に足を踏み入れた。
立派な玄関にそぐわぬ粗末な履き物を脱ぐと、すぐに女性が一人彼の進む先に立ち、「こちらです」と案内してくれた。地位のある家の人の家に入ると、案内をしてくれる人がいるのだと充は初めて知った。
案内された場所は客間で、北側にこぢんまりとした庭が作られており、そこが緑豊かである。しかし、このような立派な場所に入ったことがなかったため、緊張どころであまり周りを見渡せなかった。
充が客間に入ってから暫くすると、一人の男が中に入って来た。敬意を払うためすぐさまひれ伏すと、相手は上座に座り確認するように言う。
「ミツと言ったか」
柔らかさのある男の声だった。
地主に会うのは初めてのため、充は名を呼ばれ、身を引き締めて返事をする。
「はい」
「今、地主さまは出掛けられていらっしゃらない。側役の一人である私が代わりに話を聞くゆえ、お前が言った『桃の件』について話してみよ」
地主がいないのは充にとって誤算だった。しかし側役と言った人は充から見ればとても立派な人のようであったし、彼が地主に話をしてくれると思い、「はい。失礼ながら申し上げます」と答えると、頭を下げながら桃盗みの話を説明した。
「……以上が、我が次兄が行った過ちでございます」
その後、兄にどのような罰を下されるのかひれ伏して待ったが、側役はため息をはくと、信じられないことに「何故そのような嘘をつく」と言った。
「え……?」
充は驚いて顔を上げると、「誰が顔を上げて良いと言った!」と怒鳴られる。充は訳が分からないまま、いぐさのよい香りのする畳に額を擦り付けるほど深く頭を下げた。
「う、嘘ではございません。本当に兄が——」
「お前は兄が嫌いなのだな。だから罪を着せようとした。そうであろう?」
充はその瞬間、背中に冷水をかけられたかのように、急激に体が冷えるのを感じた。
「そんなことはございません……。違います……!」
唇が、手が、震える。それが伝わって、全身が身震いしてきた。次兄をしょっぴいてもらおうと思った告白が、側役には「ミツルが兄に罪を擦り付けようとしている」と解釈されたようだった。
「いくら言っても無駄だ。嘘をつく子どもがいるとは、お前の親も苦労する。私から地主さまに、お前の家族には影響がないように取り計らってもらおう。その代わり、お前にはたっぷりと罰をくれてやる」
「わ、私は何もしておりません! 本当に……本当なのです!」
充は一生懸命に懇願した。だがそれは何の意味もなさなかった。
「五月蠅い」
側役は冷ややかに言うと立ち上がり、充の目の前に立つと彼の左頬を思い切り叩いた。
パアンッという乾いた音が部屋に響く。
「う……っ!」
痛いと叫ぶ暇もなかった。衝撃で視界がぐらりと揺れ、その場に蹲る。
平手が当たった頬は、瞬間的に火に触れたのかと思うような熱を帯びた。そうかと思うと、次第にじんじんと疼くような痛みへと変化していく。充は両手で左頬を押さえる。強くなっていく痛みが、気休め程度に和らぐ気がした。
充はなんとか痛みにこらえ懇願するように見上げる。するとぎらぎらとした目の側役が、見下ろしながらにやりと笑っていた。
「……っ」
充が恐怖にごくりと唾を飲み込むと、側役は懐から扇子を取り出し、彼の顎を下から上に向かせる。充はひゅっと息を呑んだ。
側役は顔を近づけ、静かに、だが面白そうに語る。
「小僧。お前は正しいことを言えば、物事が正しい方向に進むと思っているのだろう。だからこの屋敷を訪ねた。だがな、本来ならばお前はこの屋敷に入ることすらできぬ身分なんだよ。それが分からないか?」
「では、何故……上がらせてくださったのですか」
側役の男は、充の恐怖に慄いた顔を見つめながら、ねっとりとした声で続けた。
「外で怒鳴るわけにもいかんだろう。誰がどこで何を見ているか分からない。だから入れたまでだ。話を聞く前から、お前が桃を盗った盗人だと決まっていた。当然だろう? 何故、我々が《《ただの桃ごとき》》に犯人捜しの時間を割かねばならぬ?」
「……」
充はそのときようやく悟った。兄が何故許されて、自分が犯人扱いされるのかを。
大人は兄が犯人であろうと、充が犯人だろうとどうでもいいのだ。正しく裁くことなど考えておらず、犯人に仕立て上げれる者がいれば問題ないのだ。「犯人はこいつです」と差し出せる人物がいれば、この側役の仕事は終わり。きっと地主も細かいことを気にしないのだろう。
そしてこの男は、犯人にするには充のほうが都合がいいと判断した。
最初から充に、兄を真っ当にさせる道などなかったのだ。




