第14話 風流の過去
充は手当の道具を片付けながら、ふと、彼女が「文字」のことを話したことに疑問を抱いた。ここでも、文字の読み書きの練習をするのだろうか。
村では子どもたちに読み書きを教える場所があるが、ここには教師となるような人がいるように思えない。そのため、彼女が字が書けるということが不思議だった。
「あの、さっき名前の字を教えてくれたけど、字は誰かに教わったの?」
尋ねると、瞬時に答えが返ってきた。
「茜」
「そうなんだ」
「知っていたほうがいいからって、教えてくれたんだ」
「そっか。すごいね」
茜を称えると、彼女は表情をぱっと明るくして、まるで自分のことのように茜のことを自慢げに話す。
「そうよ。茜はすごいよ。すごくて――特別」
「特別?」
「そう。私のことも分け隔てなく優しく接してくれる」
充は「どういうことだろう」と首を傾げる。充の様子を察した彼女は自嘲気味に話し始めた。
「私の母は、人間に『吹き消し婆』と呼ばれた妖怪なのよ」
「吹き消し……ば、婆?」
妖怪が母ということだけでなく「婆」にも驚いて、思わず言葉が躓いてしまう。
すると彼女は充の言いたいことを察して「違うよ」と小さく笑った。
「『婆』っていうのは見た人がそう言っただけの話。『吹き消し』は、若い女の姿をしている者もいれば、男もいる。そして、吹き消しと言う妖は、ありとあらゆる火を消すんだよ」
「火事のときに大活躍じゃないか」
充が感心すると、風流は困ったような顔をした。
「そうね。父がそんな母に惚れ込んだのは確か。父は火事で死にそうになっていたところを、母に助けられたから」
「いい話だね」
だが、彼女は悲しそうな顔で笑うだけで同意はしなかった。
「二人は結ばれ私が生まれたけれど、吹き消しというのはさっきも言ったように、ありとあらゆる火を消すのよ。だから、家の中に灯された火も消してしまう」
充はそれを聞いて、風流がこれからどういう話をしようとしているか、何となく想像がついてしまった。
人間にとって、暗闇に灯る火は大切なものである。
足元を明るくすれば安全に歩けるし、部屋を明るくすることは闇の中でも作業が出来ることに繋がるからだ。そして時には、人々の中にある闇に対する恐怖を和らげてくれる。
それを消してしまうとなると、問題になったに違いない。
「母は父に嫌われないよう、家の中の火を消さないようにしていたみたい。でも私は、生まれてから本能に従って何度も何度も家の中の火を消したものだから、父はとても驚いていて……、同時に怒ってもいた。そのときの顔が今でも目に浮かぶ。だけど、私の火を消したい衝動は消えることは無いの。それが私たち『吹き消し』の定めなのでしょうね。でも、人の生活ではあり得ないこと……」
風流はそう言って、少し上を向いて目を閉じる。ほんの少しの間そうしていると、再びゆっくりと瞼を開き、言葉を続けた。
「だからあるときから、父は夜になると、私を火がない部屋に押し込めるようになった」
「怖くはなかった?」
充の問いに、風流は僅かに目を細めた。
「暗闇への恐怖はない。だけど、父に突き放されたのは悲しかった。まだ五つくらいのときだったから、やっぱり両親の傍で眠りたかった気持ちはある」
「それは当然だよ……」
充には彼女の気持ちが痛いほど分かった。
彼自身、自分を産んでくれた本当の両親に構ってもらいたくても、仕事が大変な上に、兄弟が多くてそれが出来なかった過去があったからだ。
「でも、だんだん堪えられなくなって、それを母に言ったら『家を出よう』って言ったの。限界だったのは母も同じみたい。揺らめく火を見ると消したくなる衝動を抑えられなかったんでしょうね。私たちは父が家にいないときを見計らって、家を出た。それから、五、六年くらいかな。人間の世界に入ったり出たりしながら、何とか生活をしていって、最終的に母は私を鷹山に置き去りにし、どこかへ去った。私を抱えて生活するのが難しいと思ったんでしょうね。悲しかったけれど、それに浸っている暇もなかった。最初のここでの生活も楽ではなかったから」
「それは……強い者が上にいる世界だから?」
茜に聞いたことがふと頭によぎったため、それを充が尋ねると、風流はふっと笑う。そして自分の両手を掲げて、ひらひらと振る。
「あら、人間の割に良く知っているのね。私は火消ししかできないから、戦う爪も牙もない。お陰でいじめられていたのよ。でも、そのときすでに鷹山で生活をしていた茜が庇ってくれて、助けてくれた」
しみじみと話すのを見ていると、いかに彼女のなかで茜が大きな存在としているのかが感じられた。
「そっか。だから、茜が特別なんだ」
「そうよ」
まるで自分のことのように得意気に言う風流に、充は「茜は弱いものを放っておけないんだね」と言った。だが彼女は小首を傾げる。




