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反射的にもう一度頭を下げた。
「悪いと思っている。謝る。申し訳ない。でももう一緒にいることはできない。別れよう!」
珠希の反応が感じられず、恐る恐る顔を上げる。
ビールか水をぶっかけられることも覚悟したが、目の前にあるのは変わらない笑顔だった。
「じゃあまた最初から始めればいいね。ね、良くん。付き合おう?」
ぞっとする。自分の血の気が引いていくのがわかった。目の前の視野が急に狭くなったような、胃がムカムカするような不快感が襲う。
「す、すまない。明日も仕事で早いから。俺はこれで失礼する。」
立ち上がり鞄を持つ。
「ああん、泊めてくれるんでしょ?」
「無理だ。」
斉藤さんが置いて行ってくれた一万円と共に、交通費の意味も込めてもう一万円を置いて店を出た。
また俺は逃げたのか?
でもしっかりと別れたいと言ったはずだ。
後ろを振り返りながら駅から電車に乗り、また最寄駅で振り返る。
一人であることを確認して初めて肩から力が抜けた。
彼女は中部支社の営業補助だ。うちの本社の場所も当然知っている。まさか会社まで来たりは……。
その夜、久しぶりに悪夢を見た。
***
白くて細い首を絞め、黒い淵に飲み込まれていく。
***
「おうおう、酷い顔してるな。……なんでそんなにびっくりするんだよ?」
「おっ、おはよ。……なんでもない。」
会社に行く途中、なんとなくびくびくしながら歩いていると、後ろから篠原に声をかけられた。
プロジェクトは休むことなく進んでいる。休むわけにはいかない。
「どうした? 体調が悪いのか?」
「いや、大丈夫だ。」
信号待ちをしていると結城さんと鉢合わせた。
相変わらず大きな目を少し見開いてから明るい笑顔を見せた。
「おはようございます、篠原さん、樫井さん。」
「おはよーう、結城サン! 早いねえ! 朝から可愛いねえ!」
篠原の声が跳ねている。朝から元気だ。
「おはよう。」
朝から夏の熱をはらんだ風が結城さんの黒い髪の毛をさらさらとなでる。それを見ていると心が凪いでくる。
ああ、やっぱり夢の中の彼女は結城さんだ、と確信する。あの夢の中で、俺は彼女に対して愛情を感じていた。
俺の中には珠希はいない。
でもなぜ、あんな内容の夢なんだ? なぜ彼女を殺すんだ?
大きく息を吐く。仕事は仕事で頭を切り替え集中する。そうすることで心も落ち着いてくる。
なのに。




