98 ホッジス王国からの脱出
エミリア王女と護衛(笑)兼侍従の男性、侍女の三人は王城でしばらく過ごす事となった。その二日後、約束通りメアリさんに会う為コリウスの街に転移した。この前いきなりギルドマスターの執務室に転移したら怒られたので、ギルド近くの路地だ。今日は確認するだけなので俺一人である。そこから歩いて冒険者ギルドに行った。
閉じられた扉を開くと、飲食スペースで一組の冒険者が朝から酒を飲んでいた他は誰も居ない。……あの酒を飲んでいる人達、この前と同じじゃない? 仕事しなくていいのかな?
受付の女性も前回と同じ人だったが、態度が豹変していた。
「ギ、ギルドマスターに伝えて来ます!」
何も言ってないのに取り次いでくれるようだ。直ぐ降りてきたその女性が案内してくれて、メアリさんの執務室に入った。
「早いね、アロ」
「早過ぎましたか?」
「いや、いい。まぁ座んな」
示されたソファに腰を落ち着けると、受付の女性がお茶を淹れてくれた。今日はそのまま部屋に残っている。目でメアリさんに問うと鷹揚に頷かれた。意味はよく分からない。
「この子はサンドラ。この子も脱出希望者だよ」
「よ、よろしくお願いします」
「あ、はい」
そしてサンドラさんから紙を渡された。
「それが脱出希望者の名簿だ。予定より増えちまったが大丈夫かい?」
人数を数えてみると二十四人。これくらいなら問題ないだろう。
「大丈夫だと思います。王都に戻ったら人数を伝えておきます」
「頼むよ。それで決行日なんだが、明日でもいいかい?」
随分早いな。二週間から一か月くらい先になるかと思ってたんだけど。
「そうですね……滞在先の食料の準備が間に合えば問題ないと思いますが……何か急ぐ事情があるんですか?」
「……そうさねぇ、あんたには話しておこうか。近々内乱が起きそうなんだよ」
「内乱ですか」
「しかも、反王族派の旗頭がここの領主なのさ」
「なるほど……この街が戦禍に巻き込まれる、と」
「その可能性が高い、とあたしは思ってる」
内乱か……そういう雰囲気を察して街が閑散としているのか。他国の政情に口を挟む趣味はないが、内乱になれば王城爆破未遂の黒幕を突き止めるのも時間がかかるだろうなぁ。それどころか、しばらくホッジス王国には立ち入れないかも知れない。
「詳しい事は、あんたの国に行って然るべき人が居る所で話すよ。約束だからね」
「そうですね。その方が良いです」
そうそう。今の俺の任務は、メアリさん達を無事にリューエル王国に連れて行く事。と言っても転移するだけだから、集まってもらいさえすれば簡単なお仕事だ。
それから時間を決めた。明日の午後十時。その時間に、今度はギルドマスターの執務室に直接来て良いそうだ。
明日の準備をする為にメアリさんの所を辞去した。王都の屋敷からニコラスさん宛てに手紙を出し、明日の夜、二十四人が滞在先の屋敷に到着する事を伝える。ニコラスさんなら色々と手配をしてくれるだろう。
「明日の夜コリウスに行くんだけど、アビーさんとレインに一緒に来て欲しい」
「承知したでござるよ!」
「分かったぜ!」
その日の夜、リビングで皆に説明した。初めての家族旅行を楽しみにしていた母様と義父様は残念そうだったし、久しぶりにホッジス王国に行けると張り切っていたじいちゃんも悔しそうだったが、内乱が起こるような場所に連れては行けない。
アビーさんとレインの二人を連れて行くのは理由がある。
エミリア王女の御者が強化魔人に変化した事から、ホッジス王国の件には邪神の眷属が関わっている可能性が高い。メアリさんを信用してない訳じゃないけど、脱出希望者の中にこちらの目論見を阻止しようとする者が紛れてないとも限らない。
戦闘になった場合は近接戦になるだろうし、あまり大人数だと動きが阻害される。コリンも連れて行きたいところだが、彼には別の事を頼みたい。
「じいちゃんとミエラ、サリウス、コリンには滞在先の屋敷で待機して欲しい」
「おっ? 儂も出番があるんか?」
「出番はない方が良いんだけどね」
二十四人の中に敵が紛れていた場合、転移先まで尻尾を出さないかも知れない。迎撃態勢を万全にしておきたい。
「グノエラ、ディーネ、シル、ヤミちゃんはこの屋敷を守って欲しい」
「分かったのだわ!」
「「はいなの!」」
精霊三人は素直に返事をしてくれた。
「ヤミは……アロと一緒に行きたいのです」
「理由を聞いても良いかい?」
ヤミちゃんがこくりと頷く。
「龍闇魔法には隠蔽や幻惑があるので、それを見破れるのです。それに『精神操作』も分かるのです」
「操られずに単に悪意を持っている敵が居たら?」
「悪意だけならもっと分かりやすいのですよ」
「なるほど……分かった。ヤミちゃんも一緒にお願いするよ」
「はいなのです!」
この国の王都に脱出希望者を連れて来るというのは俺の発案だ。悪意ある人間を連れて来る訳にはいかない。
「じゃあそういう事で、何か問題はない?」
皆納得してくれたようなので、明日の為に体を休めておくように告げて解散した。
迎えた翌日の午後十時。アビーさん、レイン、ヤミちゃんの三人と共にメアリさんの執務室に転移した。
「待ってたよ」
「お待たせしました」
「そいつらは誰だい?」
「仲間です。邪魔が入った場合に備えて」
「若いのに抜け目ないね」
若いのは今世の見た目だけです。メアリさんを加えて脱出希望者が待機している別室に移動する。そこは広めの会議室のような部屋だった。アビーさんとレインが全員の様子を素早くチェックした。ヤミちゃんに小声で尋ねる。
「おかしな所はない?」
「…………大丈夫なのです」
ヤミちゃんが問題ないと言うなら問題ないだろう。まだ外から襲撃される可能性は残されているのでさっさとここから離れよう。
「メアリさん、準備はいいですか?」
「ああ。さあみんな、こっちに集まりな」
メアリさんの声に、俺とヤミちゃんを囲むように全員が密集した。
「では行きます。『長距離転移』」
次の瞬間には、リューエル王都に用意された屋敷の一室に居た。部屋の隅でじいちゃん、ミエラ、サリウス、コリンが待機してくれていた。人数を数え、誰も置き去りになっていないことを確認。念の為、もう一度ヤミちゃんにじっくりと見てもらって、やはり問題ない事を確認した。
「皆さん。ここはリューエル王国の王都に用意した屋敷です。もう安全ですので、今夜はゆっくりお休みください。明日、担当者から色々と説明があると思います」
「アロの言ってる事は本当だ。信じ難いだろうけど、ホッジスから遥か離れた場所だよ。安心して休みな」
俺の言葉を半信半疑で聞いていた他の脱出希望者も、メアリさんの言葉を聞いて安心したようだ。中にはその場にへたり込む人や、涙を流して家族や恋人と抱き合う人も居た。
「結構みなさんギリギリの状態だったんですね……」
「そうさ。だからこそ、あんたが来てくれた事は奇跡みたいなもんさね。本当に感謝してるよ」
大した事はしてないけど、それで救われた人が居るなら良かった。
「明日の午後、王城から迎えが来ます。エミリア王女を交えて、非公式にお話を聞く、という事になっています。俺も同席しますんで、よろしくお願いしますね」
「全く……いったいあんたは何者なんだい……分かった、また明日だね」
「はい。今日はおやすみなさい」
「ああ、おやすみ」
第一騎士団と王都の衛兵から護衛も来ていて、屋敷の周囲を警戒している。屋敷には、通いで料理人やメイドも来る予定だ。彼らの生活が軌道に乗るまで、国がある程度面倒を見てくれる。
今夜の仕事は終わりだ。
「みんな、ありがとう。助かったよ」
「何もなくて肩透かしだったぜ」
「何もないのが一番でござるよ」
アビーさんの言う通りだ。全員無事に連れて来れたし、仲間も誰一人怪我する事もなかった。それが一番大事だよね。
「儂もたまには暴れたいんじゃが」
じいちゃんも魔獣狩りに連れて行った方が良いのかな?
メアリさん達を保護した屋敷は貴族区の一画にあり、俺達の屋敷とは徒歩十五分くらいの距離だ。いつもみたいに転移しても良いけど、今夜は皆で歩いて帰った。ミエラが左腕を取り、右手はヤミちゃんと繋いでいる。サリウスとコリンが恨めしそうな目をしているが気にしない。気にしたら負けなのだ。
「夜に出歩くって新鮮だね」
「ほんとだ。この辺りも夜は雰囲気が変わるね」
貴族区は治安が良いが、態々夜に出歩く事はない。馬車が通りやすいよう考えられた広い街路も俺達以外には人っ子一人いなくて、月が長い影を落としている。しん、と静まり返っているので、話す声も自然と小声になった。
ミエラは何だか嬉しそうに並んで歩いてるし、ヤミちゃんも楽しそうに握った手を振っている。前を行くアビーさん、レイン、じいちゃんは何やらボソボソ話しながら、後ろのサリウスとコリンも肩を並べて小声で話しながら歩いている。俺達に注意を払う人は誰も居ない。何だか世界に俺達しか居ないような、漠然とした寂しさを感じた。
明日はホッジス王国の情報が聞ける。今まで分からなかった事が色々と分かるような予感がしていた。