92 【前世:3】獣人の領域と黒髪の少年
シュタイン、アリーシャ、カイザーの三人は魔族領を後にして北上した。北の方に広く分布する獣人族の領域を訪れる為である。
魔族は激しくエルフ族と対立していたが、何とかお互い不可侵とする所まで説き伏せた。最初は話すら聞いて貰えなかったので、シュタインが極大魔法のデモンストレーションを行うと途端に大人しく話を聞くようになった。脅した訳ではない。あくまでもデモンストレーションである。
その後シュタインは単独で一度転移し、お世話になったエルフ族の族長、エウリカ氏を通じて全エルフ族に魔族との休戦を徹底してもらうようお願いした。脅してはいない。あくまでお願いしただけである。
ひとまず魔族とエルフ族の争いは諫める事が出来たと見做し、シュタイン達は北へ向かったのだった。獣人族の領域は北方で東西に広がっているのだが、西から魔族・エルフ族・人間族と境界付近で争っているという話だった。
「僕が引き篭もっている間に、どの種族もお互い争うようになってしまったんだね……」
「私達エルフは、攻めて来た魔族を迎え撃っただけだ」
「某はエルフが魔族領に攻めて来たと聞きましたが」
三人はお互いに顔を見合わせる。剣呑な雰囲気という事は無い。アリーシャとカイザーは種族の蟠りを超え、仲良しとまではいかないが現在大陸中で発生している争いを治める為に行動を共にする「同志」だと認識している。
「争いが長く続いているから、どちらからと言うのは自分達に都合の良い解釈に変わっているのかも知れないな」
アリーシャが誰にともなく呟いた。少なくとも百六十年以上続いている争いだから、戦う為の大義名分は必要だろう。自分達が正しく、相手が悪い、そう思わなければこれ程までに長く争う事は出来ないのではないだろうか。
「争いが長引けば、より多くの血が流れる。すると余計引くに引けなくなるって事だよね」
今やどちらが最初に攻めて来たかは重要ではなく、自分達の仲間が殺されたから、同じかそれ以上殺さなければ気が済まない、という風に戦いが泥沼化しているのだ。
「獣人族は最後まで争いに参加しなかったと聞いておりますぞ。自分達の領域が侵されたから仕方なく戦っている、と」
カイザーがそのように言うが、それも本当かどうか今となっては誰にも分からない。
「どの種族も言い分はあるだろうね。今は兎に角争いを止めること、それだけを考えよう」
一旦北上し、領域の境界をなぞるように一行は東へ向かった。獣人族最大の街、ブルンザに行く為だ。ブルンザには、東西に広く散らばっている獣人族を取り纏める代表者が居るらしい。この代表者が、話の分かる平和主義者であれば良いのだが……。
南に行けばエルフ族の領域、という所も随分過ぎて、このまま行けば人間族の領域が近くなるという頃、一行は北へ折れて森へと入った。進む程に木々は高さを増して鬱蒼となる。だが元々森の民であるアリーシャが居るので、森で迷うという事は無い。カイザーも元軍人であるから森を進むのに支障はない。シュタインだけが少し辟易していた。森が苦手と言うより、今居る森が苦手だった。妙に魔素が濃くて、魔力の気配を察知し辛いのだ。
二頭の馬と一頭の大蜥蜴に跨った三人は、そのまま二日掛けて森の奥に進んだ。急に樹上や草陰からこちらを窺う目が増える。いきなり襲い掛かって来ないだけマシだろう。周囲を警戒しながらしばらく進むと、木々のない開けた場所に出た。そこにシュタイン達を待ち受けるように、大剣を背負ったすらりとした女の獣人が立っていた。
「やあ、僕達は――」
馬から降り、挨拶をしようと口を開いたシュタインに女獣人が迫り、大剣を振り下ろす。
「おわっ!?」
シュタインは半身になって大剣をギリギリ避けるが、軌道を変えて下から斬り上げてくる。振り下ろし、斬り上げ共に目を見張る速さだ。シュタインは思わず飛び退った。
「僕達は戦いに来たわけじゃ――」
女獣人は目を爛々と光らせてシュタインを追った。アリーシャとカイザーはそれを面白そうに眺めている。女獣人の目にはその二人は映っていないようだった。まるで舞を踊るかのようにクルクル回りながら的確に急所を狙ってくる。それは「死の竜巻」と言って良かった。
(もう、何なの!? 『身体強化』×3、『加速』×3!)
カイザーはまだ「手合わせしたい」と事前に告げるだけの分別があった(話は聞かなかったが)と思う。だがこの女獣人は、まさしく野獣のようだ。真っ赤な頭に濃い灰色をした犬のような耳がピコピコ揺れて、太い尻尾がピンと立っている。何だか犬がじゃれついているようにも見えた。
「うおりゃぁ!」
裂帛の気合と共に大剣が横薙ぎにされる。シュタインは残像を残す速度で前に踏み込み、大剣を握る右手首を掴んでそのまま放り投げた。
「ぎゃうん!」
女獣人が悲鳴を上げながら地面を転がっていった。土と砂に塗れた彼女は立ち上がり、大剣を肩に担いでシュタインを睨む。
「くっそ! 武器も持ってない奴に負けるのは初めてだぜ。オレはレイラ・クルツァートってもんだ。獣人を取り纏めてる」
何と、突然斬りかかって来た女獣人は、獣人族の代表者だった。
「僕はシュタイン。シュタイン・アウグストスだ。こっちはアリーシャでそっちがカイザー。僕達は――」
「ああ、オレが負けたからには煮るなり焼くなり好きにしてくれ」
……レイラと名乗る女も、カイザーと同じく話を聞いてくれない。
「いやそうじゃなくてね、僕達はこの大陸で起きている争いを止めたいんだ」
「……なんだと? 獣人族に喧嘩売りに来たんじゃねぇのか?」
「なんでだよ……皆もっと仲良くできないのかねぇ、全く……」
シュタインは手の平で目を覆って天を仰ぎ、盛大に溜息を吐いた。
「そ、そうか。オレはてっきり……いや、済まなかった。立ち話もなんだ、中に案内するぜ」
太い木で作った塀に囲まれたブルンザの街に、シュタイン達は足を踏み入れた。中に入った途端、木の檻が目に付く。小さな家くらいある檻が見える範囲で十以上あり、そこには人間族が捕らえられていた。
「この人間達は?」
「ああ――」
「彼等は、獣人の子供達を攫おうとした下種ですよ」
アリーシャに代わって答えたのは、艶やかな黒髪の少年だった。十四~十五歳くらいだろうか? 見えているのか心配になるくらいの細い目と白い肌が印象的だ。
しかし、何故ブルンザに人間の少年が居るのだろう。
「こいつはアドラ。人間族の兵がこいつを酷い目に遭わせてたのを、見かねた獣人が助けたのよ。それ以来、こいつはオレ達の為に人間族の情報を集めてくれてるんだ」
なるほど。同胞から虐げられ、同胞を憎んでいるから獣人側に付いたって事か。
「あの人攫い達も、アドラの情報で捕らえる事ができたんだぜ?」
そう言って、レイラはアドラの頭をくしゃくしゃと撫でた。
「だがアドラ、こいつらは悪い奴らじゃねぇみたいだぞ?」
「そうですか……それは失礼しました」
レイラがシュタイン達を示し、アドラが頭を下げた。彼女がいきなり攻撃してきたのはこの黒髪の少年がシュタイン達を「敵」だと示唆したからなのか。
「まぁいいや。えーとシュタイン、だったか? こっちで詳しく話を聞かせてくれよ」
「うん。僕の方ももう一つ話したい事が出来たよ」
レイラに続いて大きな木造りの家に入る。もちろんアリーシャとカイザーも一緒だ。中はきちんと整えられており、客を迎えるのに問題ない調度品が備わっていた。ソファに誘われて腰を下ろす。家の使用人なのか、兎耳の若い女性がお茶を淹れてくれた。その女性が退室し、部屋に四人だけになってからシュタインは口を開いた。
「レイラ、あの少年は危険だと思う」
「あ? 適当な事言ってんじゃねぇぞ!?」
「まぁ聞いてくれ。彼は『精神操作』を使っていた」
「なんだとっ!?」
シュタインでなければ気付かなかっただろう。黒髪の少年は、シュタインに向けて「精神操作」を試みた。それも極微弱な威力で。魔法が不得手だから微弱だったのではない。あれは、そうと気付かせない程度に操作する為に、繊細な魔力操作を行って威力を調節したものだった。シュタインには出来ない芸当だ。
シュタインから話を聞かされたレイラは、すぐに人を遣ってアドラを連れて来させようとした。しかし、その時には彼の姿はブルンザから消えていたのだった。
獣人の子供を攫おうとしたと檻に入れられていた人間族のうち、比較的冷静な者に改めて話を聞いてみると、彼等は獣人が人間族の子供を攫っていると思い込み、子供達を救おうとこの地までやって来たらしい。
「何故子供が攫われてると思ったんだい?」
「それは、あの少年が教えてくれたから……」
「なるほどね」
どうやらアドラは人間族の方にも「精神操作」の魔法を使っていたようだ。獣人族と人間族を争わせようとしていたのだろうか?
それからブルンザには二日滞在し、レイラを通じて当面どの種族とも争わないように要請した。生来獣人族は争いを好まない種族なので、他の種族が襲って来ない限りという条件付きで要請は受け入れられた。
「ねぇレイラ。獣人族は争いを好まないんだよね?」
「そうだぜ?」
「えーと君は……」
「オレは特別だ。皆を守らなきゃならねぇからな!」
などとレイラは言っていたが、シュタインは首を傾げた。シュタインに斬り掛かって来た時は明らかに生き生きとしていたから、レイラは単に戦う事が好きなのだろう。
その証拠に――。
「オレもお前らに付いて行く! 面白そうだからな!」
と言い出した。獣人族の纏め役に飽き飽きしていたらしい。
捕らえられていた人間族から数人の案内役を選び、シュタイン、アリーシャ、カイザーにレイラを加えた四人は、彼らと共にブルンザから旅立った。目指すは人間族の領域である。
明日は19時に予約投稿します。