90 魔人襲来
SIDE:ミエラ
アロが試練に赴いて間もなく二年。つい一週間程前に、ミエラとパルが龍神の神殿を訪ねた際、龍巫女のメイビスから「もうすぐ試練が終わる」と聞かされた。約一年に渡って試練に挑んだコリンは、二日前に帰って来たところだ。一年でコリンは少し大人っぽくなっていた。少女から大人の女性に変わりかけているという感じだ。男の子だし、背はちっとも伸びていなかったけど。
ミエラは、今日にもアロが帰って来るのではないかと気もそぞろである。
「アロ殿がいつ帰って来ても良いように、今日も見回りに行くでござるよ!」
アビー隊長の声でミエラは我に返った。
三か月前から、ミエラ達は「見回り隊」を自認して各転移先を回って異常がないか確認している。東の国境付近では散発的に魔人が襲来していたが、国境を守っている第三騎士団に配備された対魔人用の盾と槍が効果を発揮し、死人はおろか重傷者も出さずに魔人を撃退していた。キリク率いる勇者パーティも東の国境付近に常駐している。これらの情報は冒険者ギルドから齎されたものだ。
結果だけを見れば問題ないのだが、ミエラやアビーは違和感を抱いていた。
邪神の復活が近付けば、眷属の動きも活発になるのが道理。新たに復活した眷属も居るかも知れない。そうなると魔人の数はどんどん増える筈だ。それに伴って被害が増えてもおかしくない。
だが今の所そんな動きは見られない。それが却って不気味なのだ。邪神の眷属や魔人にとって、今が雌伏の時なのではないか。どこかで機会を窺っているのではないか。
違ったら違ったで構わない。後で笑い話にすれば良い。それくらいの気持ちで、警戒は怠らないようにしたかった。その結果の「見回り隊」である。
西の国境は「死の大地」が横たわっているし、北は魔族領の森。魔族は魔人に変化しない事から、西と北は今のところ安全と考えている。
因みに、リューエル王国の南には低い山脈があり、その先は海だ。だから南からの侵攻も考えにくかった。
「見回り隊」は、アロが試練に赴く前に王国の東に設置した二か所の転移先を数日おきに巡っていた。
一つは国境の山越えを警戒して設置した場所。第三騎士団が駐屯する砦から北に二十キロの地点。
今来ているのはもう一つの場所で、ワイバーンの狩場である。先程述べた地点よりさらに北で、アムリア大山脈に差し掛かる場所である。ここは現実的に山越えには向かないが、少し移動すると南方を見渡せる高台に出る。目視出来る範囲で異常がないか確認するのに良い場所だった。
「異常なーし!」
高台に上ったレインが指差し確認してから大声を上げた。
「了解、次に行くでござる」
全員で屋敷に一旦戻り、今度は東の山越え警戒地点に転移する。メンバーはミエラ、アビー、レイン、コリン、サリウスの五人だ。百メートル程東から森が始まり、山へと繋がっている。
「……おかしい」
「変だな」
ミエラとレインが首を傾げた。何となく違和感がある。シンとした静けさの中、北からそよそよと風が吹く。
「静か過ぎるでござる……総員、警戒!」
ミエラ達が抱いた違和感は、いつもは聞こえていた鳥や小動物の鳴き声が聞こえない事だった。アビーの声に応え、全員が神経を研ぎ澄ます。
やがて離れた山の中腹を駆け降りるいくつもの影が見えた。かなりのスピードで動いている。ミエラ達が居る平原からは、黒っぽい濁流がこちらに向かって来るように見えた。まるで地滑りが起きているようだ。次第に地鳴りのような足音も耳に届き始める。
「なんて数……」
正確な数は分からないが、十や二十でない事だけは分かった。これまで見た事のない数の魔人が一度に押し寄せていた。
「ミエラ殿、サリウス殿! 遠距離からなるべく削るでござる! この際、山が消し飛んでも構わんでござるよ!」
「「分かった!」のじゃ!」
ミエラはミストルテインを構え、まずは無属性で威力「7」に調整して矢を山裾に向けて放った。直撃を受けた魔人数体が粉々に爆散し、貫通した矢が山肌に当たって大きな爆発を起こす。
「『氷槌撃!』」
サリウスが氷の極大魔法を放った。空中に生じた巨大な氷塊が地面に降り注ぎ、森の木々と一緒に魔人どもを潰していく。
ミエラとサリウスは続けざまに遠距離攻撃を放つが、討ち漏らした魔人達が森から走り出て来た。そこに向かってアビーとレインが吶喊する。
二人の速さは人外の領域に達していた。それまで行っていなかった魔力操作を会得した賜物である。アロから教わった魔力操作の訓練を地道に続け、「身体強化」と「加速」はかなり習熟した。地力の高い二人は化け物じみた強さになっている。
アビーは走りながらグングニルで無数の刺突を繰り出し、正確に急所を貫いて雷撃まで加える。魔人は自分が死んだことに気付かず、走って来た勢いのまま前のめりに倒れて地面を滑っていく。
レインは踊るようにレーヴァテインを振り回す。しっかり神聖力を纏わせた刃は易々と魔人を斬り裂き、再生を許さず細切れにしていく。刃の竜巻に巻き込まれた魔人の破片がレインの通り道に積み重なった。
コリンは五つの「神聖盾」を同時展開し、全員の近くに待機させている。前に出ているアビーとレインには背中を守るように張り付かせ、彼らに合わせて動かしていた。
ミエラはサリウスに倣ってミストルテインで氷属性付与の矢を空に向けて放った。威力は「5」である。それは数百の氷の矢に分裂し、隕石のような威力で地上を蹂躙する。
魔人が抜けてきた森は木々が薙ぎ倒され、山肌は土が剥き出しになって自然災害の様相を呈していた。山越えを目論んだ魔人の数は実に千体近くに及んだが、まだ動いているものは数える程となっている。
「予想以上の強さであるな。これなら実験体のデータも十分集まるであろう」
ふいに上空から声が聞こえ、ミエラは考える前にそれに向かって無属性の矢を「10」の威力で放った。
――ドォォオオオーーーン!
それまでで一番の轟音が響いたが、空中のそれは「絶対防御」に守られ無傷だった。
「お前達の相手は私ではないのである。余所見をしていたら死ぬのであるぞ?」
「ぐぅっ!?」
その時、レインが吹っ飛んだ。コリンの「神聖盾」が辛うじて直撃を防いだが、攻撃の勢いで十メートル以上飛ばされたのだ。
さっきまでレインが居た場所には、全身艶の無い黒で、他のと比べてやや小柄な魔人が立っていた。そしていつの間にか、似たような真っ黒な十体の魔人に囲まれていた。
ミエラがそのうちの一体に無属性・威力「5」で矢を放つ。するとそいつは両腕を体の前で交差し、正面から矢を受け止めた。三メートルほど後退っただけで、そいつは平然と立っていた。
アビーが別の一体に猛然と突きを放つ。そいつは両手でグングニルの穂を挟んで受け止めた。直後に雷撃の眩い光が迸ったが、その前に穂を離して後ろに飛び退いて躱された。
「『爆風刃』!」
サリウスが全方位に向けて風の極大魔法を放った。周囲から迫っていた魔人達は各々が両腕を体の前でクロスし防御姿勢を取る。それでも風の勢いは殺せず、奴らは数十メートル後ろに下がった。
「態勢を整えるのじゃ!」
コリンの左右にミエラとサリウス、前後にアビーとレインが陣取る。これは最悪の場合でもコリンの「神の盾」で全員を守れる陣形だ。
「それらは強化魔人である。一体の強さは我らと同等。さあ、足掻いて見せよ」
邪神イゴールナクの眷属、ケタニングが上空から言い放つ。サリウスの魔法で大きく後退した強化魔人達が、一斉に躍りかかった。