87 コリンの修行
「コリン! もっとチャキチャキ走る!」
「ふぁ、ふぁい!」
アロとは別の場所で、コリンが扱かれていた。左手首には龍神クトゥルスから渡された「弱体化の腕輪」を着けている。全ての力が二分の一に抑えられるそうだ。アロは十分の一になる腕輪を着けていると聞かされ、コリンは驚愕した。二分の一でも体が鉛のように重くなったからだ。
基礎体力が低かったコリンは体力作りもやらされている。午前中は毎日走り込みから始まる。それが終わってようやく龍光魔法の訓練だ。
コリンの修行を担当するのはコウリュウ。白に近い金髪をボブカットにした、見た目七~八歳くらいの可愛らしい男の子だ。コリンは自分以外で、こんなに可愛い男の子を見たのは初めてだった。どう見ても女の子に見える。
コウリュウにはヤミリュウという双子の妹が居るそうだ。コウリュウ曰く、人見知りが激しくて引っ込み思案な性格らしい。人懐っこくてひらすら前向きのコウリュウとは正反対だ。
「はぁ、はぁ……」
「ほら、お水! ちょっと休憩しようね」
「コ、コウリュウさん、ありがとうございます……」
修行を開始して三か月。なんとか途中で倒れる事無く走り続けられるようになった。走り終えて死にそうな顔になっているのはあまり変わっていない。
コリンにとって、龍光魔法の最初のハードルは龍神クトゥルスに魔力を捧げる事だった。改宗しなければならないのか、それまで信仰していたハトホル神と龍神の二柱に対する裏切りにならないか不安だったのだ。だから最初に尋ねた。
「ハトホル神を信仰しているのに、龍神様に魔力を捧げても良いのでしょうか?」
「うむ、問題ないぞ?」
クトゥルスの答えは実にあっさりしたものだった。
「これから教える事は他言無用。約束出来るか?」
「は、はい」
神との約束を反故にしたらどんな天罰が下るやら……絶対に口を噤んでいよう、コリンは固く誓った。
「実は今、ハトホルは……訳あって不在にしているのだ」
「はい!?」
「ハトホルの不在は他の六柱の神が分担して補っている」
「ハトホル神はいつからご不在なのでしょうか……?」
「済まんがその問いには答えられんのだ」
この大陸ではいくつもの神が信仰されているが、その中でもハトホル神を信仰する人が最も多い。それなのに、ハトホル神が今は居ないなどと広まれば大問題になる事は容易く想像出来る。クトゥルス神から口止めされなくても、絶対に口外できない事実であった。
「それでは、私達の祈りは……」
「我を含めた六柱の神に届いているし、ハトホルはいずれ復活する。だからハトホルへの祈りは決して無駄ではないのだ」
無駄じゃなくて良かった……。コリンはほっと胸を撫で下ろした。
「龍光魔法を使う時だけで良い。我に魔力を捧げるのだ。それによってお主に直接力を与える事が出来る」
龍神クトゥルスの言葉は、信仰するフリだけで良いと聞こえた。力が欲しい時だけ頼れ、と。コリンはそんな都合の良い事はしたくないと思った。
「クトゥルス様。私のハトホル神様への信仰は揺らぎませんが、クトゥルス様の事も同じように信仰してもよろしいでしょうか?」
「お主がそうしたいならそれで良い」
龍神クトゥルスとしては他の神を信仰していても特段構わないらしい。二柱以上の神を信仰する事は地上でも容認されている。
龍神の教えについては全く知らないし、なんならつい最近まで龍神クトゥルスという神の存在すら知らなかったけれど、現に目の前に居て会話をしているのだ。信じる信じないの段階ではなかった。
「さぁコリン。今日も障壁をやるよー」
「はい!」
暫しの休憩を終え、昨日までと同じく障壁の訓練を始めた。
龍光魔法は「障壁」と「治癒」に特化している。それはこれまでコリンが使っていたものとは似て非なるものだった。
強く拒めば拒む程強固になる「障壁」。相手を深く思いやる程に効果が高まる「治癒」。神聖魔法のように決まった術式で一定の結果が得られる訳ではない。龍神に捧げる魔力量が同じでも、自分の想い次第で結果が劇的に変わる。もちろん良い方にだけ変わるのではない。悪い方にも変わってしまう。
「ほらほら、また脆くなってる」
「くっ!」
術式を正確にトレースし、精緻な魔法陣を構築して神聖魔法を使ってきたコリンにとって、気持ちで結果が変わる魔法は受け入れ難かった。
「コリンは何を守りたいのかな?」
そんなの、アロ君に決まってる。
「それは、どうしてもコリンが守らなきゃいけないもの?」
……いや。アロ君なら、自分の身は自分で守れるよ。
「コリンじゃなきゃ守れないもの、あるんじゃない?」
……ボクにしか守れないもの?
『コリン! 大き目の障壁張れる?』
アロの声を思い出す。あの時、アロ君はどうしてボクに障壁を頼んだんだっけ?
ああ、そうだ。村の人が沢山居たんだ。広範囲に障壁を張るのはボクしか出来なかったんだよね。小さな子供もいっぱい居たし、村の大人達は戦う力を持ってなかった。多少戦えても敵うような相手じゃなかった。
『コリン、皆を守ってくれてありがとう。助かったよ』
あんなに強いアロ君が、ボクに「助かったよ」って言ってくれた。それが凄く嬉しかったのを覚えてる。
そうだ。アロ君だって、皆を守りながら戦う事は出来ないんだ。ボクが守れば、アロ君は安心して戦いに集中出来るんだ。
「ボクは……戦えない人を守る。そうすれば強い人が思う存分戦える」
「そうだね。コリンはそうやって戦いに参加してるんだ」
「参加? ボクが?」
「攻撃する事だけが戦いじゃないよ。守る事だって立派な戦いさ。さっき自分で言ったじゃないか。強い人が思う存分戦える環境を作る事は、敵と戦ってるのと同じさ」
……そうか。ボクもアロ君や皆と一緒に戦ってるのか。
コリンは攻撃魔法を使えない事で、自分が足手纏いになっているんじゃないかと危惧していた。幼いパルと幻獣のピルルは別として、アロ、ミエラ、アビー、レイン、サリウス、グノエラ、ディーネ、シル、全員が高い戦闘力を持っている。だから攻撃手段を持たない自分の価値を低く考えていた。皆の仲間で居て良いのか迷いがあった。
でもそうじゃないんだ。ボクの役目は、彼らが思いっ切り戦えるようにしてあげる事。守るべき人の事を気にせず全力を出せるようにする事なんだ。
ボクも役に立てる。
「コリン! 出来たねっ!!」
「あっ……」
数えきれない程の正六角形ががっちりと嚙み合って出来た光のドーム。龍光魔法で最上級の障壁魔法「神の盾」だ。「神聖盾」や「神聖砦」を遥かに凌駕する防御力を誇る。
コリンの中で迷いが消え、自分の成すべき事がはっきりと分かった。そのおかげで龍神クトゥルスから与えられた力が全身をスムーズに巡るようになった。元々コリンは才能があるのだ。そう、後は気持ちの問題だった。
「ここまで来たら、後は大きさや強さを調節出来るようになるだけだよ!」
「ガンバリマス……」
三か月掛かって初めて「神の盾」を使う事が出来た。しかしまだ使いこなせているとはお世辞にも言えない。
大きさや強度を自由自在に調節する。まだ想像でしかないが、それでもコリンは自分なら出来ると思えた。いや、自分にしか出来ないと思えた。
この後コリンは、コウリュウが驚く程に腕を上げていくのだが、ここまで一切「治癒」の訓練に触れていない事は二人とも忘れていた。
「治癒」は「障壁」より難易度が高い。地獄のような訓練が待っている。
がんばれ、コリン。