86 ヤミちゃん
空間そのものの掌握。それによってどんな事が出来るのか。フウリュウさんは龍風魔法で出来る事を色々と教えてくれた。フヨフヨと浮かびながら。
それから二か月かけて、俺の掌握範囲は半径百メートルの半球状にまで広がった。
「今日もありがとうございましたぁ!」
「おつかれさま! さぁご飯にしよう」
もちろん作るのは俺だ。
「フウリュウさん、半径三百メートルまで掌握出来るようになるまで、あとどれくらいかかると思います?」
「うーん……ひと月もあればイケるんじゃない? 僕としてはもっとゆっくりして欲しいけど」
家に歩きながらそんな話をする。あとひと月……。因みにフウリュウさんが「ゆっくりして欲しい」のは料理と風呂を長く楽しみたいからである。
「ただいまー。って、誰?」
食材庫の前に、真っ黒な髪を長く伸ばした少女が居た。
「ひっ」
一瞬目が合った少女は小さな悲鳴を漏らし、サッと隠れた。怖がらせたのだろうか……何だかショック。
あ。もしかして……。
「いつも食材を補充してくれてありがとうございます」
「誰と話してんの?」
後から入って来たフウリュウさんに尋ねられた。
「今、長い黒髪の女の子が」
「あー。ヤミちゃんか」
「ヤミちゃん?」
「うん、闇龍のヤミちゃん。すっごい人見知りなんだ。初めて会った?」
「はい」
えっ。クトゥルス様の眷属が食材を補充してくれてたの?
「おーい、ヤミちゃん。アロ君は大丈夫だよー。優しい子だよー」
子犬か子猫を呼んでるみたいだな。
「ヤミさん、はじめまして。アロと申します。いつもありがとうございます」
食材庫の向こうからヤミさんが少しだけ顔を出した。
「ヤ、ヤミちゃんでいいのです……」
それだけ言ってまた隠れた。いや、そこに隠れていても、家から出る時は俺達の前を通らないといけないですよ?
「あ、そうだ! ヤミさ……ヤミちゃんも、一緒に食事しませんか?」
「おお、そりゃいいね! アロ君の料理は絶品だよ?」
「いえ、大したものは作れませんが」
そんな話をしているとヤミちゃんが食材庫の陰から出て来てくれた。見た目は七~八歳で、しっとりした艶のある黒髪は腰くらいまである。前髪が鼻くらいまであるので表情はよく見えない。
「ご、ご馳走になるのです」
「よかった! どうぞ、そこに座って待ってて下さい」
ヤミちゃんをテーブルに誘って食材庫を確認。おぉ、今日は牛っぽいお肉だ。塊肉を一センチ厚に切り出しておく。ステーキと合わせるから、あっさり目のスープにしよう。
昨日のサーモンっぽい魚の骨で出汁を取ってから、根菜を細切れにして沸かした湯に投入する。味見しながら塩を加え、最後に香草を入れる。
野菜は新鮮だから生で大丈夫だな。トマトとパプリカ、レタスでサラダを作ったらいよいよステーキだ。
片面に塩胡椒を振り、その面から強火で焼き始める。上になった面にも塩胡椒してひっくり返す。両面に焼き目が付いたらまた引っ繰り返し、弱火で火を通していく。その間にシヨーユを使ったソース作り。別のフライパンでみじん切りにした玉ねぎを炒め、透き通ったらニンニクを加え、最後にシヨーユを入れる。シンプルなソースの完成。
そうしているうちにステーキが焼き上がった。皿に盛ってソースを掛ける。スープとサラダ、白パンと一緒にテーブルに運ぶ。
「お待たせしました! ヤミちゃんが持って来てくれたお肉をステーキにしましたよ」
「「おおぅ!」」
ヤミちゃんは両手にナイフとフォークを持って待ち構えていた。
「どうぞ、召し上がれ」
「「いただきます!」」
フウリュウさんが器用にステーキを切っているのを見ながら、ヤミちゃんも一生懸命切ろうとする。なかなか上手くいかないようなので代わりに切ってあげた。
「こうやって、押す時に力を入れるんです」
「へー」
「はい、どうぞ」
「あ、ありがとぅ……」
ナイフに刺したお肉を頬張ると、前髪の隙間から見えた大きな瞳が輝いた。
「お、美味しいのです!」
いつも食材を補充してくれていたのだから、ご馳走くらいしないとね。喜んでもらえるなら俺も嬉しい。
「ね? アロ君の料理、絶品でしょ?」
フウリュウさんがドヤ顔で自慢し、ヤミちゃんがコクコクと頷く。料理はあっという間に完食された。
「ごちそうさまなのです」
「お粗末様でした。ヤミちゃん、食べたかったらいつでも来てくださいね」
「いいのですか……?」
「二人分作るのも三人分作るのも手間は変わりませんから」
それから、ヤミちゃんにも風呂に入ってもらった。その次にフウリュウさん、最後に俺が入る。フウリュウさんが入っている間少し話をしたら、いつも派手に壊されている場所が翌朝に元通りになっているのは、ヤミちゃんの魔法らしい。
「ヤミちゃんはずっと陰から手伝ってくれてたんですね」
そう言うと顔を真っ赤にして照れていた。多分何万年も生きている闇龍にこんな事言うのは何だけど、可愛いよね。
風呂から上がるとフウリュウさんはいつものように既に居なかったが、ヤミちゃんはまだ居た。
「あれ? ヤミちゃんは帰らなくていいんですか?」
「あ、あの……アロと一緒に寝てもいいですか?」
「えっと、俺は構わないですけど、龍の姿に戻らなくて大丈夫ですか?」
「ヤミは龍に戻れないのです」
「そ、そうなんだ……」
何か事情がありそうなのでそれ以上は聞かない事にした。まぁベッドは二つあるから問題ないだろう。
「全然いいですよ。好きなだけ泊ってください。って言っても俺の家じゃないけど」
あはは、と笑うとヤミちゃんも少し笑ってくれた。その後風呂から上がってベッドに入ると、ヤミちゃんは当たり前のように俺のベッドに入って来た。
「ヤミちゃん?」
「アロは優しいのです。お兄ちゃんみたいなのです」
そんな事言われたらベッドから出て行けなんて言えないよ……。ま、まぁ、見た目七~八歳だから問題ないか。パルみたいなものだ。……パル、元気かな。俺の事忘れてないかな。
空間を掌握する事によって出来る事。ビッテル湖でバルトサニグが空間を割って突然現れたように見えたが、これはこの空間掌握を利用したものだった。転移でも同じ事が出来るが、自分が居る空間と移動先の空間を入れ替えるというのが根本的に違う。ここから分かるように、空間に存在する物ごと移動したり出来る訳だ。
これを利用すると、物凄く残虐だけど、敵の首を切り離して別の空間と入れ替えたり出来る。ただし龍水魔法と同じく、障壁を張られていると当然防がれる。
他にも空間を「ずらす」という事も出来る。フウリュウさんは遠くの山をずらして山頂を崩してしまった。俺には勿論そんな事は出来ない。そんな遠くまで掌握していないからだ。
それでも、日々掌握範囲を広げる鍛錬を重ねる。龍水魔法と同じ半径三百メートルが目標だ。
人見知りのヤミちゃんは、あれからずっと俺の家(?)で寝泊まりしている。フウリュウさんと三人で毎晩一緒にご飯も食べている。因みにヤミちゃんとフウリュウさんは一日一食しか食べない。精霊と同じで、本来魔力さえあれば食事は不要らしい。
そしてひと月経った頃、遂に掌握範囲が目標に到達した。
「フウリュウさん、ありがとうございましたぁ!」
「うぅ……頑張ったね、アロ君。うん、頑張り過ぎだよ……もっとアロ君の料理食べたかったな……」
「ずっと居ればいいじゃないですか」
「それがさあ、クトゥルス様から言われてるんだよね……終わったらここを去るように」
何でだろう?
「僕とかスイリュウは、意識しなくても周囲を掌握しちゃうでしょ? それが別の魔法習得を妨げるんだって」
「そうだったんですね……」
「うん。でも僕を必要だと思ったらいつでも呼んでね?」
「はい、分かりました!」
フウリュウさんはその晩の食事と風呂を固辞してあっさりと去って行った。また会えるさ、と言い残して。
そうと分かっていれば、昨夜はもっとご馳走を作ったのに。
「アロ、寂しいのです?」
「少し。やっぱりお世話になりましたからね」
二人で食事をしているとヤミちゃんからそんな事を言われた。
「大丈夫、明日はドリュウちゃんが来るのです!」
「そっか……四つ目の属性ですね……って女性ですか」
「そうなのです。面白い子なのです」
「それは楽しみです」
風呂から上がった後、これまでのひと月と同じように、ヤミちゃんと一つのベッドで眠るのだった。
ブックマークして下さった読者様、本当にありがとうございます!
拙い作品ですが、最後まで楽しんでいただけるよう頑張りまっす!!