85 風龍
「僕はフウリュウ。よろしくね!」
「アロと申します。よろしくお願いします」
姉が増えた翌朝。いつもの家から外に出ると、シルよりも薄い緑色をした髪の青年が立っていた。フウリュウと名乗った彼は二十代前半のとても華奢な男性に見える。そして、地面からフワフワと浮いていた。
「えーと、一応言っておくけど、『風が全てを運び、全ては風に還る』だよ。別に覚えなくていいけど」
「風が全てを運び、全ては風に還る。え、覚えなくていいんですか?」
「いいよ。ただの決まり文句さ」
フヨフヨと浮いているフウリュウさんは空中で胡坐をかいた。
「火、水と習得したアロ君なら、龍風魔法がどんな魔法か想像出来るかな?」
「風は空気の流れ……空気の動き……空気を自在に操る魔法、でしょうか?」
「ほぼ正解!」
と言われても、じゃあ具体的に何が出来るのかはまだ考えられない。
「あ、先に俺がここに来た理由を言っても良いでしょうか?」
「知ってるよー。邪神を倒したいんでしょ?」
「は、はい」
「僕も先に言っておくね。龍風魔法はその目的にはあまり役に立たないと思う」
「そうなんですか!?」
いや、しかし、スイリュウさんも随分と自己評価の低い人だったが、龍水魔法はかなり強力な武器になると思った。
「だってさー、考えてごらん? 空気をチョロっと動かしたくらいで神を倒せると思う?」
「いや、でも使い方によっては――」
「無理無理! ぜーったい無理!」
あははー! と笑いながらフウリュウさんは空中を漂っている。今は横に寝そべっていた。
「そんな……」
「だからね、龍風魔法は他の魔法と一緒に使うといいと思うよ!」
他の魔法……他の龍魔法と? あっ!
「空気を動かせるという事は……空気中の水分も一緒に動かせる」
「うんうん!」
「火は空気のない所では燃えない。空気を送り込めば燃え盛る」
「そうそう!」
フウリュウさんはフワフワ漂いながら楽しそうな笑顔を見せた。
「だからね、僕がアロ君に教える事はあんまりないと思うんだ。いや、殆どないと言っても過言じゃない」
「……え?」
「だからさぁ、今日はもう終わりにして料理作ってくれない? カリュウの奴が凄く自慢してウザいんだよ。アロ君の料理が絶品だって」
えっと、フウリュウさんってもしかして、自由と言うか我儘と言うか、物凄く面倒くさがりなのでは?
「……まだお昼にもなってないですが」
「いいじゃんいいじゃん!」
この人のペースに呑まれては駄目だ!
「空気の動かし方を少し教えて頂いても? それが出来るようになったら直ぐに料理を作りますから」
「えぇ……仕方ないなぁ。じゃあやるよ? 『回空』」
…………何も起こらない。と思った瞬間、ゴウッと風が吹き付けた。
「えっと、今のは……?」
「上空三百メートルの空気を並行に百八十度入れ替えたのさ」
咄嗟に空を見る……が、当然そこには何も変わらない空があるだけだった。
「上空……」
「地上でやると危ないじゃん?」
空気を入れ替えた? 換気……じゃないよね。回転させたという事か。空気は透明だし、三百メートル程度だと雲もないから痕跡すら分からない。ただ強風が吹いた事だけがその事実を物語っている。
「えっと、危ないというのは具体的にどうなるんですか?」
「風に煽られるよ」
煽られる……その程度? いや待て。
「因みにどれくらいの範囲の空気を入れ替えたんでしょうか?」
「僕を中心に、上空三百メートルから三十メートル上まで、半径も三百メートルくらい」
えーっと、円柱の体積は底面積×高さだから……二百七十万㎥の空気を動かしたのか! それだけの空気があの一瞬で回転したら、どれ程の風が吹くのだろう……。もしかして、人間の体なんてバラバラになるんじゃない?
「すごい……」
「え?」
「凄いです、龍風魔法!」
「そ、そう? そうかな……えへへ」
あ、飄々としていたフウリュウさんが照れた。
「龍水魔法と同じように、空気を掌握したんですか?」
「えへへへ……え? あ、そんな感じ?」
「なるほど、やってみます」
自分の体を周囲に溶け込ませる……薄く薄く、周囲と一体化させる……。
「おぉ! 凄いねアロ君。でもそれは龍水魔法だ。龍風魔法とは違うよ」
「ぐぬぬ……」
「ダメダメ、そんなに力んじゃ。自分を周囲に馴染ませるんだ」
「馴染ませる?」
「うん。最初は難しいと思うから、もっと簡単なのからやってみよう」
教える事がないどころか、教えて貰う事だらけじゃん。
「ここにある空気をほんの少し動かすから見ててね」
直後、フウリュウさんの右手周辺の空気が歪んだように見えた。それを真横に押し出すと歪みの塊が飛んで行き、五百メートル離れた山肌に激突して轟音と共に盛大な土煙が上がった。土煙が収まると、木々や土が渦を巻いて中心に引き寄せられた、螺旋状のクレーターが出来ていた。
「え“っ」
「空気が動くとその後に真空が生まれる。そこを埋めるように周りの空気が流れ込む。空気が少ない場所だとああなる」
「いやいや、とんでもない威力じゃないですかっ!?」
「でもね、これくらいじゃ神は倒せないんだ」
フウリュウさんが苦笑いする。この人も自己評価が低過ぎるのかな? それとも倒せない理由があるんだろうか?
「何故そう思うんですか?」
「え? だってクトゥルス様なら簡単に打ち消すよ?」
それは眷属だからではないでしょうか? 龍神様の眷属が、主である龍神様を傷付けられるとは思えない。もしかして、フウリュウさんとスイリュウさんの自己評価が低いのはクトゥルス様のせいじゃない? だって眷属龍は力が強過ぎて地上で戦えないって言ってたし。自分達の力を、本当の意味で理解していないのかも知れないなぁ。
そう考えると、何だか不憫に思えてきた。
「大丈夫です、フウリュウさん! その力を俺に教えてください!」
「え、こんなのを教わりたいの?」
「はい! 是非!」
「そ、そう? ふーん……フフフ、そっか。うん、じゃあ教えるよ!」
「お願いします!」
「ねぇ、アロ君! こんな美味しい物を毎日食べてるの!?」
既視感が半端ない。今日の鍛錬を終え、フウリュウさんに食事を振る舞ったところだ。目を丸くして美味しそうにご飯を食べる姿は、まるで子供みたいで微笑ましい。
「こ、これが風呂!? きもちいい!!」
この一連の流れも、もう三人目だから慣れたよね。
次の日からフウリュウさんが言う「簡単」な龍風魔法を教わり始めた。だが、これが火・水と比べても難しい。なんせ透明だからイメージが湧かないのだ。フウリュウさんは色々な魔法を見せてくれるんだけど、目に見えないから何が起こったか聞かなきゃ分からないんだよね……。
何の進展もなく二週間経った頃、フウリュウさんは苛立つどころかいつも楽しそうなのだが、俺の方が焦り始めていた。そんな時――。
「ねぇ、アロ君の風魔法はどんな感じ?」
「俺の風魔法ですか? よく使うのは『飛翔』とか『風刃』ですね」
「見せてもらっていい?」
「ええ、もちろん」
俺は「飛翔」で飛び回り、少し離れた地面に向けて「風刃」を放った。
「なるほど、分かったよ」
「……何が、でしょう?」
「アロ君が龍風魔法を上手く使えない理由」
「ほんとですか!?」
「うん。でもこれ、僕の伝え方が悪かったかも」
「例えそうだとしても、怒らないので教えてください!」
フウリュウさんは暫し目を瞑り空中に浮いたまま腕組みをした。どう言えば分かりやすいか考えてくれているのだろう。
「ごめん、アロ君! 龍風魔法は『空気を自在に操る魔法』だってアロ君が言った時、僕はほぼ正解と答えたけど、そのままちゃんとした正解を教えてなかったよ」
「そうでしたっけ?」
「うん。空気を操るでもだいたい合ってるから、アロ君は理解してると思い込んでた……龍風魔法は『空間を操る』魔法なんだ」
空気と空間……似ているようで全く違う。
「空間を掌握する事で、その中の空気を操ってるんだよ」
なるほど。だから空気を掌握しようとしても上手くいかなかったのか。
「フウリュウさんはどれくらいの空間を掌握しているんですか?」
「半径一キロの半球状だね」
スイリュウさんと同じか。
「因みに、今の俺は……」
「……アロ君を中心に直径二メートルの球状だよ」
「ですよねー」
いや、ちゃんと教わってないのに、それだけ掌握出来ているのか。それなら凄い事じゃないか? それに二週間で気付きを得られたのだ。前よりずっと早い。
「俺、頑張ります!」
「うん、頑張ろうね」
ブックマークして下さった読者様、本当にありがとうございます!
100日連続投稿まであと15日……頑張ります!
作中で「三百メートル程度だと雲もない」と表記していますが科学的根拠はありません。
間違っている可能性があるので誤解のなきようお願いします。