84 精霊達
アロが試練に挑んで一年が過ぎ、パルはようやく寂しさに慣れてきた。慣れただけで、寂しくない訳ではない。むしろ会いたい気持ちは日に日に大きくなっているようだ。
その夜も、自分の部屋で「等身大アロ兄ぃ人形」を抱き枕にしているパルであった。
「アロ兄ぃ、早くかえってきてくれないと、パルおよめに行っちゃうよ?」
出会った頃七歳だったパルは、もうすぐ九歳だ。当然だが結婚の予定は一切ない。
アロが龍神の試練に赴いた日から、パルはあまりの喪失感で食欲を失ってしまった。勿論周りに居る者達は物凄く心配して、代わる代わる一緒に寝たり、気分転換に外に連れ出したりした。
シャルロットの思い付きで「アロ人形」を作ってみた。出来上がった人形は、髪の部分が薄い黄色のフェルトで作られていた。サイズもパルが片手で抱けるくらいの大きさだった。
「かみの色がアロ兄ぃとちがう。アロ兄ぃのかみは白いの」
この時のパルの言葉に全員が衝撃を受けた。薄い金色の髪は、アロが偽装している色なのだ。話を聞いてみると、パルには最初から髪が白く見えていたらしい。要するにパルには偽装の魔法具が効果を発揮していないようだった。
「わ、妾の髪は何色に見えるのじゃ?」
「サリウスちゃんも白! アロ兄ぃといっしょ!」
これで全員が確信した。だからと言ってパルに対する態度が変わる訳ではない。変わったのはアロ人形の仕様だ。髪は白いフェルト、大きさは百五十五センチくらい、目は金色のボタンで、口はバッテンになっている。本人よりすこしふっくらした感じで作られた。主に抱き心地を考慮した結果である。
これを見てアロを連想する人は皆無と思われたが、パルは大いに気に入ってくれた。毎晩抱きしめて寝るくらいには気に入っていた。等身大アロ兄ぃ人形と寝るようになってからパルは精神的に落ち着き、食欲も戻って皆が安心した。
アビーやレインと共に訓練に出掛ける事が多くなったミエラに代わりに、グノエラとディーネ、シルの三人がパルの相手をしている。そこにサリウスやコリンが偶に加わると言う毎日だ。
屋敷が寝静まった真夜中。パルの部屋で一緒に寝ていた三人の精霊は、気配を感じて体を起こした。
「「「ペリリオーレ様」」」
半身をベッドから起こしたパルに向かって三人の精霊が恭しく頭を下げた。
「地の大精霊グノーム、水の大精霊ウインディーネ。それに新たに生まれし森の精霊シルワァーヌス。この幼子を守ってくれてありがとう。頭を上げてちょうだい」
精霊女王ペリリオーレ。アロ達と出会う前からパルの体に憑依している。
憑依していると言うより、仮住まいにさせてもらっていると言うのが正しいだろう。ペリリオーレは精霊女王としての力を殆ど失い、このように表に出て来る事も滅多にない。パルの意識がなく、近くにいる大精霊の力を借りなければ話す事すらままならない。
それなのに、こうやって表面に出て来るというのは何かあるという事だ。
「小さな精霊達にイゴールナクを探させているのだけど、やっぱり見つからないの」
「アロ様の封印を自力で解いたのだわ?」
「「そうなの?」」
「そうじゃないのよ。どこにも居ないの」
「「「?」」」
グノエラとディーネには、邪神の気配が薄っすらと感じられる。シルはその限りではないが、二人の大精霊が感じるのだからそうなのだろう、と思っていた。
「引き続き探してみるけれど、アロちゃんが戻って来たら一度話をした方が良いかも知れないわ」
「でもお話するなら全て伝えないといけないのだわ」
「そうね……」
「話し方も気を付けた方が良いと思うの」
「ええ……」
パルの体を借りたペリリオーレは、窓から夜空に浮かぶ月を眺めて溜息を吐いた。
憑依しているパルの気持ちはペリリオーレにも伝わる。今は異性として恋慕を抱いている訳ではなく、本当の兄のように慕っている。だが、それがいつ恋に変わっても不思議ではない。
もしパルがアロに恋心を抱いた時、ペリリオーレはどうしたら良いか分からない。アロはミエラ一筋だからだ。パルを傷付けたくない精霊女王だが、こればかりはどうしようもない。どうしようもないから悩んでしまうのだ。
だが、それよりも先に片付けなければならない問題がある。
「まだ時間はあると思うわ。私もゆっくり考えてみるわね」
その言葉を最後にペリリオーレの意識は内側に引き篭もり、パルはぽすんとベッドに倒れた。グノエラが乱れた上掛けを優しく掛け直す。
「私達も小さな精霊に頼んだ方が良いのだわ」
「「そうするの!」」
パルに悪い影響はないし、ペリリオーレに悪意はないのだが、アロがどう受け止めるかは正直言って分からない。だから話すとしても慎重を期すべきだろう。
まして、イゴールナクが居ないかも知れないなんて話、アロが冷静に聞ける筈がない。いずれにせよ、もっと確かな情報を集める必要がある。
「頭が痛いのだわ……」
パルの隣で横になっている「等身大アロ兄ぃ人形」の呑気な顔を見ながら、頭痛など感じる事のないグノエラが呟いたぼやきは夜の静寂に溶けていった。
「今日はパルも一緒に行く?」
「いく! いきたい!」
一年が経ち、もう習慣と化した龍神の神殿行き。行った所でアロに会える訳ではない。そんな事は分かっているのに、足が自然と向かう。神殿に行けば、アロを近くに感じるような気がするからだ。
いつものようにサリウスが付き添ってくれる。もう何度も訪れているから問題ないと思うのだが、魔族領だから万が一があってはならないといつも一緒に来てくれるのだ。ただ単にサリウスも行きたいだけなのだが。
「ボクも一緒に行っていい?」
コリンも行きたがったので、今日は四人で神殿に行く事になった。パルは何度か行った事があるがコリンは初めてだ。ハトホル神を信仰しているから遠慮しているのだろう。
屋敷の裏庭にある転移陣から龍神の神殿へ一瞬で移動する。王都にあるハトホル神の神殿とは全く赴きが違うので、初めて訪れたコリンはキョロキョロしていた。中に入ると暗く、高い天井から垂れている布が少し不気味だ。ミエラと繋いでいるパルの手にぎゅっと力が入る。
「メイビス、また来たのじゃ」
「サリウスお姉ちゃんにミエラお姉ちゃん! あ、パルちゃんも!」
サリウスの姪にして龍巫女のメイビスは、ミエラとはすっかり顔馴染みである。パルとは歳が近いのですぐ仲良くなった。
「こちらはコリンじゃ」
「コリンです。はじめまして、メイビスちゃん」
「はじめまして、コリン……お姉ちゃん? ん、お兄ちゃん?」
「好きな方で呼んでいいよ」
メイビスは混乱した。鋭敏な感覚を持つ龍巫女でも、コリンの性別を見抜くのは難しいようだ。
「うぅ……じゃあコリンさんで。今日もいつも通りでいいんだよね?」
「うむ」
「じゃあ龍神様に聞いてみるね」
むむむ、と唸りながらメイビスが祭壇に祈りを捧げる。やがて金色の光が天井から降って来るように見えた。そのまましばらくメイビスは膝を突いて俯いたままだった。
「ふぅ。えっとね、アロお兄ちゃんは火に続いて水も習得したって!」
「「「「おぉ!」」」」
「龍神様が言うには思ったよりだいぶ早いってさ。最初は二つ習得するのに三年くらいかかると思ってたみたいだよ?」
三年って……。一年離れているだけで寂しくて堪らないのに。
「い、いつ帰れるか、龍神様は言ってなかった?」
ミエラが勢い込んで尋ねるが、これもいつもの事だ。
「この調子なら、あと一年はかからないと思うってさ」
その言葉を聞いてガックリと肩を落とすのもいつもの事。
あと一年……アロと私は十四歳になる。そっか、それから一年待てば十五歳、リューエル王国では成人だ。け、けけけ、結婚だって出来るよね。
これだけ寂しい思いをさせてるんだから、責任取ってもらわないと。
「アロ兄ぃ……まだ一年もかえってこないの?」
パルが涙目で聞いてくる。寂しいのは私だけじゃないよね。ミエラは妄想から我に返った。膝を折ってパルと目線を合わせる。この一年でパルも随分と背が伸びた。
「アロだってきっと寂しがってるよ。頑張って一緒に待とう?」
「……うん。アロ兄ぃもがんばってるんだもんね? パルもがんばる」
背丈だけではなく、心も成長したパルの言葉に、ミエラは優しく頭を撫でて応えた。
――ドサッ
突然コリンがその場に倒れる。
「どうしたの、コリン!」
メイビスを含めた四人が慌ててコリンの傍に膝を突く。
「……うぅぅ。ご、ごめんなさい」
直ぐに目を開いたコリンに、ミエラ達はほっと安堵の息を漏らした。
「よかった……どうしたの? 具合悪くなった?」
「いや、龍神様から直接話し掛けられたんだ。……ボクに光の適正が少しあるから修行してみないかって言われた」
「「「「ええっ!?」」」」
コリンはまだ知らないが、龍光魔法は癒しと守護に特化した魔法である。神聖魔法の適性が高いコリンは、龍光魔法を習得出来る可能性があると見られたようだ。
「アロ君には会えないらしいけど……どうせここに居ても会えないし、修行したらアロ君や皆の役に立ちそうだよね」
「え、でも、コリンのご両親とか、皆にも相談とか報告した方が」
「うん、分かってる。皆に話して、決心が出来たらでいいって言われたから」
王都の屋敷に戻ったコリンは、近くにある自分の家に久しぶりに帰り両親に報告した。大聖女ポーリーンとアルマー子爵家の皆にも報告し、四日後、コリンは龍光魔法習得の為、龍神の神殿を再訪するのだった。
ブックマークして下さった読者様、本当にありがとうございます!
アロの修行にはもう少し時間がかかりますが、ちゃんと戻って来ますので楽しみにお待ちください!!