75 準備
アルマー子爵邸のリビングに全員が集まり、龍神の神殿で起きた事、聞いた事を皆に伝えた。
「アロ……試練を受けるって気持ちは固まってるんでしょ?」
俺の話を受けて、それぞれが思案に耽る中、ミエラが口を開いた。
「うん、俺は誰も失いたくない。その為に必要な力なら、何が何でも手に入れたい」
これまでの俺は、邪神を滅ぼしたい一心だったと思う。今は、邪神を滅ぼすと言うよりも大切な人を誰も失いたくないという気持ちだ。その為に出来る事があるならやるのが当然だと思っている。
「あ、でもすぐ明日からって言う訳じゃないよ? 龍魔法の習得にどれくらい時間がかかるか分からないし、修行の途中で戻って来れるかも分からない。だから先に色々準備をしたいんだ」
俺がやっておきたい準備とは――。
まず第一に、対魔人用魔法具を量産体制に乗せる事。リューエル王国は当然として、周辺国の魔人に対する防衛力を上げる。コリンの協力もあって試作品は完成した。既存の槍や盾に取り付けるタイプの魔法具だ。これで魔人が攻めて来ても被害は大幅に減らせる筈である。
第二に転移陣の設置。ベイトンの冒険者ギルドからワンダル砦に移動した時の転移陣を元に、設置型転移陣については解析が終わっている。俺が居ない間に皆が移動したい場所と、この屋敷を繋ぐ転移陣を設置したい。ついでに、緊急離脱用の紙の転移魔法陣を全員に持たせたいと考えている。
第三に、次の宮殿から武器を回収する事。次の武器は、アビーさんに使ってもらおうと思っていた「槍」だ。ミエラの「ミストルテイン」、レインの「レーヴァテイン」、そしてアビーさんの「グングニル」。新しい武器を使いこなすには習熟する時間が必要だろうから、俺が試練を受けている間に武器に慣れて欲しいという思いがある。
「この三つが終わったら龍神の神殿に行こうと思う」
皆には、俺の思いや覚悟が伝わったと思う。だけど、パルには泣きそうな顔で尋ねられた。
「アロ兄ぃ……アロ兄ぃといっしょにいられないの?」
「ごめんね、パル。しばらくの間、一緒に居られない」
「いやっ! そんなのいやだよぅ」
パルは俺のお腹にぐりぐりと頭を押し付けて泣き出した。パルの頭を優しく撫でながら、心を鬼にして告げる。
「俺も離れるのは嫌だよ。でも、これはパルやみんなを守る為なんだ」
「やだっ! ずっといっしょにいるの!」
出会って初めてのパルの我儘だ。他の事なら何でも聞いてあげたいが、これだけは譲れない。
「パル、俺は皆を失うのが怖いんだ。絶対に失いたくないんだよ……その為にどうしても必要な事なんだ」
ギャン泣きするパルを見かねて、ミエラもパルの背中を撫でてくれる。
「パル、私だってアロと離れるのはイヤよ……私だけじゃなくて、ここに居る人はみんなアロが居なくなるのはイヤなの」
「……うん」
「アロだけじゃなくて、誰か一人だって居なくなるのはイヤ。パルもそうじゃない?」
「うん」
「そうならないように、アロはしばらくお出掛けするの。私も凄く寂しいけど、アロは絶対に帰って来てくれる。だから一緒にアロが帰って来るのを待とう?」
泣き止んだパルは赤い目を服の袖で擦りながら、ミエラと俺の顔を交互に見つめる。
「……アロ兄ぃ、かえってくる?」
「もちろん。絶対に帰って来るよ」
「……パルのこと、わすれない?」
「忘れないさ。忘れる訳ないじゃないか」
パルは俺の首にぎゅっと抱き着いた。
「パルちゃん。アロがお出掛けするのはまだ先だから、それまで一杯甘えるのよ? その後は私が思いっ切り甘やかしてあげるわ」
母様がパルの頭を撫でながらそんな事を口にした。
「シャルさま……」
パルは俺から離れて母様に抱き着いた。パルが離れると、すかさずディーネとシルが飛び込んでくる。二人はパルの様子を見ていて、何となく寂しくなったんだと思う。
「主さま、待ってるの!」
「待ってるの!」
「ああ、まだ行かないけどね」
「「そうなの?」」
この子達は話を聞いてなかったようだ。まぁいいや。パルは渋々だが、取り敢えず全員が納得してくれたようなので、俺はまず対魔人用の魔法具量産について、義父様と相談する事にした。
コリンと俺は私室から魔法具の試作品を取って来て、義父様の執務室に場所を移した。義父様と母様も執務室に移動してもらった。
「義父様、これが対魔人用魔法具の試作品です」
執務机の上に二つの魔法具を置く。一つは盾の裏側に取り付けるもの。手の平の半分くらいの大きさで、厚みは一センチ程度。起動スイッチを押せば神聖魔法の障壁が盾の前に展開される。
もう一つは直径三センチ、高さ五センチの円筒型。槍の柄の先に取り付け、この魔法具に槍の穂を付けてもらう。これも起動スイッチを押すと穂の刃を神聖魔法の魔力が覆う。槍の穂先に神聖属性を疑似的に付与したようになる。
俺とコリンの説明を、義父様は黙って聞いていた。
「ふむ。明日早速騎士団に持って行ってテストしてみよう。それで、量産なんだが」
「はい」
「シャルロット、君から話して貰えるかい?」
「ええ。この魔法具の製造については、陛下からアルマー子爵家に一任されたの」
「へぇ~……はいっ!?」
俺はてっきり国が作るものだと思っていた。
「それでね、新しい商会を立ち上げる事にしたのよ。商会の名前は『シュタイン商会』。どう? 素敵でしょ?」
「は、はい」
「いいと思います! とっても素敵です!」
コリンが目をキラキラさせて母様に賛同する。俺の方は前世の名前を使われるのが何だか恥ずかしい……。
「商会で最初に扱うのが、アロとコリン君が作った魔法具になるわね。いくつかの魔法具工房と守秘義務契約を交わして製造を委託します。売価の三十パーセントは、アロとコリン君個人に支払われるよう計らいます」
売値の三十パーセントが魔法具の製作者に支払われるのは慣習だそうだ。対魔人用魔法具に関しては、俺とコリンに十五パーセントずつ支払われる事になる。
商会の代表は義父様と母様になり、実務は母様が取り仕切るらしい。俺は商売の事なんてさっぱり分からないから、正直助かるよね。母様の計画では、馬車の乗り心地を良くする魔法具も売り出したいようだ。
「あれは絶対に売れるわ!」
母様の鼻息が荒い。
「あの、母様、義父様。魔法具の製造ですが、孤児院の子供達を雇う事は出来ませんか?」
屋台街で見たスリの子達が気になっていた。助けを求められた訳じゃないけど、仕事があれば犯罪に手を染める子も少なくなるのではないだろうか。
「アロ、それはとっても立派な考えだと思うわ。ただ、対魔人用魔法具だけは、ある程度の数を素早く作る必要があるの。それには熟練した職人でなければ対応できないわ」
「……母様のおっしゃる通りです。出過ぎた事を言ってすみません」
「いいえ、そんな事はないわよ? まずは職人の作業を見学してもらって、簡単なお手伝いから始めてもらうのも良いかも知れないわね」
母様は俺の意見もしっかり汲んでくれた。孤児院の子の中で、魔法具に興味を持つ子が出て来てくれればそれで充分かも知れないな。
「さあて、忙しくなるわね!」
その後義父様が説明してくれたのだが、今回の話は国王陛下が直々に決定したらしい。対魔人用魔法具の配備は国防に関わる事で、当然予算は国から出る。それをアルマー子爵家に落とすというのは、王城の爆破を未然に防いだ俺に対する褒賞という事だった。これにはほぼ全ての貴族も賛成しているので、後から文句を言われる心配もないそうだ。
「コリン、手伝ってもらった恩返しが出来そうだよ」
「そんな、気にしなくていいのに。他ならぬアロ君の頼みだったんだから」
いや、俺が気にするんだよ。俺の本能が、コリンに借りを作るのはマズいと言っている。きちんとお金で返すのが最善である。
こうして一つ目の準備は俺の手を離れた。義父様と母様、あと技術的な面ではコリンに任せておけば問題ないだろう。
その日の夜。私室で寝る準備をしていたらミエラがやって来た。
「アロ、少し話せる?」
「うん、いいよ」
お風呂から上がり、寝間着に着替えたミエラが何だか艶めかしく見えてドキドキしてしまう。ベッドの端に二人並んで座った。
「私……アロがいなくなったら凄く寂しい」
「……うん」
「私もパルみたいに大声で泣きたかった」
「そっか」
「だけど、アロだって好きで離れる訳じゃないって分かってる。私達を守るために、仕方なく行くんだって」
「うん」
「……一緒には行けないんだよね?」
「うん……ごめん」
「……じゃあ、私待ってる」
「うん。ミエラが待っててくれたら頑張れる」
「ほんと?」
「本当さ」
「……ちゃんと、無事で帰って来て。約束してくれる?」
「約束する。龍魔法を自分のものにして、無事に帰って来るよ」
「うん。じゃあ待っててあげる」
ミエラはそう言って俺の顔を手で挟み、柔らかな唇を俺の唇に軽く合わせた。
「……続きは戻ってからね。アロ、おやすみ」
「……お、おやすみ、ミエラ」
ミエラは軽やかに俺の部屋から出て行った。自分の唇にそっと触れて、ミエラの感触を思い出す。そのままうつ伏せにベッドに倒れ込み、枕に顔を埋めて叫んだ。
「続きって何だよ! 絶対早く戻って来る! 気になってしょうがない!」